戸田城聖先生 6 | 励まし慈悲感動通信

励まし慈悲感動通信

日蓮仏法を、より深く学習することで一生成仏を達成するために、日夜、お題目を唱え一人一人に寄り添い真摯に向き合い励まします。sgds、ためなる情報、感動した事を提供します。趣味はレザークラフト、スポーツは、野球・ラグビー・相撲が大好きです。

戸田先生の悟り (6)(「法華経の智慧」から①)

 ところで、戸田先生の 「獄中の悟達」 について、池田先生は、どのようにお話なされているかと思い、『法華経の智慧』 を繙いてみました。

 名誉会長 一言でいえば、戸田先生の悟達は、創価学会こそ日蓮大聖人の仏法の継承者であることを明らかにした、記念すべき瞬間です。
 今日の広布進展の原点であり、仏教史上、画期的な出来事であったと、私は確信しています。
 難解な仏法を現代に蘇生させ、全民衆のものにしたのです。
 私も、若き日、戸田先生から直接、その内容を聞かせていただいた。 学会の宗教的・哲学的確信が、ここにあると思った。
 それはそのまま、日蓮大聖人の仏法の極説に通ずる。
 戸田先生の悟達は、人類の行き詰まり打開への 「道」 を開いたと、私は信じている。 この 「道」 をあらゆる次元へ広げていくのが弟子の使命です。  (法華経の智慧・第1巻・31P) 
 ………
 名誉会長 だからこそ、いずこであれ、「一人の人間」 の蘇生から出発することが必要となる。 それが 「人間革命を通しての社会革命・地球革命」 です。 その法理が、法華経です。その行動が、法華経の智慧と言いたい。  (同書1巻・19P)
 ………
 名誉会長 ともあれ、大切なのは 「智慧」 である。智慧を体得することです。……
 智慧も知識も両方あるのが理想ですが、根本は智慧である。 目的は 「幸福」 であり、知識だけでは 「幸福」 はないからです。
 その意味で、二十一世紀を幸福にするには 「智慧の世紀」 とする以外にない。
 そして知識は伝達できても、智慧は伝達できない。 自分が体得するしかないのです。 実はそこに、法華経が 「師弟」 という全人格的関係を強調する一つの理由もあるのです。  (同書1巻・24P) 
 ………
 名誉会長 仏法が二十世紀に蘇った瞬間です。
 遠藤 その無量義経の文には 「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず……」 と始まって “三十四の非ず” が繰り返されています。

 名誉会長 「其の身」 とは仏の身のことです。 経文を読めば、そのことは分かる。しかし、その実体は分からない。
 それは 「非ず」 という否定形を重ねてしか表現できない何かである。 どんな 「定義」 をしても、そこから、はみ出してしまう面をもつ何かである。 しかも、どんなに否定形を重ねても、それでもなお厳然と存在する実在である。
 だからといって、それを単に言語表現を超えたものとか、不可思議なもの、空なるものとか言って、仏を超越的なものに祭り上げても、何も分かったことにはならない。 戸田先生は 「実感」 としてつかみたかった。「体得」 されたかった。空虚で観念的な理解では、決して満足されなかった。  (同書1巻・33P)
 ………
 名誉会長 まさに 「身」 で読もうとされたのです。
 法華経では 「一切衆生の成仏」 を説く。 しからば、その仏とはいかなる実在か。 成仏とは何か。 これは仏教全体の根幹にかかわる問題です。戸田先生は、この根本問題を深く思索され、追求されたのです。
 そして、突如として戸田先生の脳裏に 「生命」 という言葉が浮かんだ。 「仏とは生命なり」 と読み切られた。  
  「生命」 は有に非ず亦無に非ず
  因に非ず縁に非ず自他に非ず
  方に非ず円に非ず短長に非ず
  ……紅に非ず紫種種の色に非ず―― と。  (同書1巻・34P)
  ………
 斉藤 戸田先生は、“実在として” つかまれたからこそ、「生命」 という言葉で表現されたのですね。
 
 名誉会長 そう。 現代人にも分かる、平易で生きた言葉。しかも、深遠な仏法の真髄を表現し切った 「一句万了」 の一言です。
 「生命」 は、現に万人にそなわっている。だから万人が実感できる具体性がある。 その意味でも、戸田先生の悟達は仏法を万人のものとしたのです。
 また 「生命」 には多様性がある。 豊かさ、闊達(かったつ)さがある。 それでいて、法則的であり、一定のリズムがある。 この 「多様性の調和」 を教えたのが一念三千です。 その一念三千を体得したのが仏だ。
 しかも 「生命」 には解放性がある。 外界と交流し、物質やエネルギーや情報をたえず交換する開かれた存在である。 それでいながら、自律性を保っているのが生命です。 宇宙全体に開かれた開放性。 そして調和ある自由。 これが生命の特徴である。
 仏の広大無辺の境涯とは、生命のこの自由、開放、調和を、最大限に実現した境涯だとも言える。
 妙の三義には 「開く」 義、「円満」 の義、「蘇生」 の義がありますが、これこそ 「生命」 の特質です。 そして 「仏」 の特質にほかならない。
 ある意味で、仏典はすべて生命論です。……   (同書1巻・35P)

 このほかにも “生命” について、貴重なご指導が数多く記載されております。『法華経の智慧・全6巻』 は、必読の書であると確信します。
 池田先生は、「戸田先生の残された “生命論” が、どれほど先見に満ちた、一大哲理の結晶であるか。 後世の歴史は証明するでしょう」 と述べられています。