ONE GOSHO 36 妙密上人御消息 (須弥山の始めをたずぬれば一塵なり) | 励まし慈悲感動通信

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〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編

· 全ては「(いち)」から始まる

(みょう)(みつ)(しょう)(にん)()(しょう)(そく)

 広宣流布(だい)(せい)(どう)完成10周年の「11・18」へ、「(だい)(ほう)(もん)(げき)(れい)運動」「折伏・弘教」に(いさ)んで(ちょう)(せん)する男子部の友。ここでは、創立の(たましい)である「一人立つ精神」を確認する。

御文

 (しゅ)()(せん)(はじ)めを(たず)ぬれば(いち)(じん)なり。(たい)(かい)(はじ)めは(いち)()なり。(いち)(かさ)ぬれば()となり、()(かさ)ぬれば(さん)(ない)()(じゅう)(ひゃく)(せん)(まん)(おく)()(そう)()(はは)は、ただ(いち)なるべし。(新1706・全1237)

通解

 (しゅ)()(せん)の始めを(たず)ねれば一粒の(ちり)である。(たい)(かい)の始めは(いっ)(てき)(つゆ)である。一を(かさ)ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、()(そう)()となっても、その生みの母はただ一なのである。

背景

 (ほん)(しょう)(けん)()2年(1276年)(うるう)3月、日蓮大聖人が55歳の時に()(のぶ)(あらわ)され、(みょう)(みつ)(しょう)(にん)に送られたお手紙である。妙密上人について、(くわ)しいことは明らかでないが、「上人」と()ばれていることから、信心(ごう)(じょう)な門下であったと考えられる。また、夫妻で折あるごとに()()(よう)(とど)けていたことがうかがえる。
 (ぼう)(とう)、大聖人が御供養に対する(おん)(れい)を記され、生命は最高の(ざい)(ほう)であり、仏教ではその生命を(いつく)しむために食物を(ほどこ)()(どく)は大きいことをつづられる。
 次に仏教史を(がい)(かつ)され、末法には(じょう)(ぎょう)()(さつ)が出現して妙法蓮華経の()()(いち)(えん)()(だい)(ひろ)めることを明かされる。そして大聖人が、上行菩薩に先立ち、南無妙法蓮華経と唱えていることを記され、やがては万人が唱える広宣流布の時が(とう)(らい)することを示されている。

解説

 (しゅ)()(せん)のような大山や、(おお)(うな)(ばら)も、「(いち)(じん)」「(いち)()」から成り立っている。「()(そう)()の母は、ただ一なるべし」とある通り、どれほど広大なものでも元をたどれば全ては「一」から始まる。同じように末法広宣流布の大聖業は、(みん)(しゅう)(きゅう)(さい)(せい)(がん)に立たれた日蓮大聖人お一人から始まった。
 (はい)(どく)御文の後、大聖人は仏教史を()(かえ)られ、いかにして()()(しん)が一人立ち上がって、法華経の題目を(ひろ)められたのかについて明らかにされていく。
 日本に仏教が(わた)って700年余りの間、()()()(にょ)(らい)(だい)(にち)如来の(みょう)(ごう)は広まっても、法華経の題目である南無妙法蓮華経を(すす)める人は現れなかった。
 このことを(かく)(にん)された上で、(ほん)(しょう)では、法華経の題目が()(つう)されなかった理由として、法華経の題目を唱える以外に成仏できない末法という「時が来ていなかったこと」、そして「弘めるための()(ぞく)を受けた人がいなかったこと」を挙げられている。
 「付嘱」とは、仏が教えを弘めるように(たく)すことである。法華経で(しゃく)(そん)は、(めつ)()の広宣流布を(じょう)(ぎょう)菩薩をはじめとする()()()(さつ)(たく)された。大聖人は、末法においてその上行菩薩が出現し、法華経本門の(かん)(じん)である南無妙法蓮華経が弘まることを示し、大聖人がその(さき)()けとして唱えていると(おお)せである。
 大聖人は、当時の()(そん)の宗教(けん)()()らず、(けん)(りょく)(うし)(だて)もなく、末法に生きる一人の(ぼん)()として、上行菩薩の御自覚で妙法弘通の戦いを起こされた。
 では、大聖人はいかにして時と法を知り、“最初の一人”となりえたのか。その(かぎ)として、「経のままに」題目を唱え、人にも弘通する(じっ)(せん)の大切さを教えられている。
 実践を(つらぬ)けば、「()()(おん)(しつ)(きょう)(めつ)()()」(法師品)、「三類の強敵」((かん)()(ほん))と経文に説かれた通りの(だい)(なん)が起こることも、御自身の受けた大難を通して証明されたのだ。
 大聖人直結の創価学会もまた、経文通りの大難を勝ち越えながら広宣流布を進めてきた。
 牧口先生は折伏精神を貫き、軍国主義の(おう)(ぼう)(くっ)せず、(そう)(りつ)記念日と同じ11月18日に(じゅん)(きょう)なされた。2年間の(せい)(さん)(ろう)(ごく)生活の末に(しゅつ)(ごく)した戸田先生は、戦火による焼け野原に一人立ち、地涌の菩薩の自覚のままに民衆救済の(とう)(そう)を貫いた。そして、その()()()いだ池田先生の()(しゃく)(しん)(みょう)の大闘争によって、妙法は世界192カ国・地域に弘まった。御書を身読し、証明してきたのが創価学会であり、その後継の使命を担うのが、われわれ男子部である。
 広宣流布は、「二人・三人・十人」(新1711・全1241)とあるように、一人から一人へと伝わってこそ実現する。どこまでも大切なのは、一対一の真心の(はげ)ましと信心の(しょく)(はつ)である。
 池田先生はつづっている。「たとえ、『一塵』『一露』のような小さな(そん)(ざい)であっても、決然と一人立ち、輝きを放てば、それは、ただ(うず)もれたままの一塵、はかなきままの一露ではありません」「一塵、一露が、須弥山、大海を(そう)(ごん)するのです。これが『一念三千』の原理です。仏法が示す(へん)(かく)のダイナミズムなのです」
 いよいよ、広宣流布(だい)(せい)(どう)完成10周年の「11・18」を迎える。今こそ、“一人立つ”創立の精神を()()ぎ、一対一の触発の対話で、広布の(すそ)()を大きく広げゆこう!

 

 

 

 

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