第一ペテロの手紙5:8~10
8 身を慎み、目をさましていなさい。
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
☆見えない人生の敵(悪魔、サタン、悪霊)に打ち勝つことができる 信仰の7つの奥義☆
見えない人生の敵に打ち勝つために、私たちは何をしたら良いのでしょうか。
聖書のみことばに基づきながら、敵に打ち勝つための7つの奥義をご紹介します。
【一覧】
1 本気で目を醒まして戦う
2 主イエスのお名前に頼り、十字架にすがって祈る
3 断食の祈り(欲望や快楽を犠牲に捧げる祈り)
4 礼拝や祈祷会などを大切に守り、神の家族としっかり繋がり続ける
5 聖書のみことばを悟り、行なおうとする姿勢と生き様
6 悔い改め
7 すべてを主に期待して「喜び」、先取りの「感謝」を捧げる
【みことば&メッセージ】
1 本気で目を醒まして戦う
見えない敵との戦いとは、永遠に打ち勝つことができるか、あるいは永遠に滅ぼされるかのどちらかの戦いです。
人生を賭けで戦おうとする姿勢と信仰力がなければ、見えない敵には打ち勝つことができません。
ヨハネの黙示録3:15~17
(主は言われた。)
15 わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしは、むしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
→中途半端では駄目であり、本気で戦う必要があることを示しています。
使徒の働き13:8~12
8 魔術師エルマ(エルマという名を訳すと悪霊による魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。
9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
12 この出来事を見た総督は、主の教えと権威に驚嘆して信仰に入った。
→どのような権力者・権威者よりも、私たちの主の方が強く、本物であるということを示しています。
それゆえに、私たちクリスチャンは、恐れずに戦うことを選択することができるのです。
2 主イエスのお名前に頼り、十字架にすがって祈る
主イエスの御名を呼び続け、十字架を掲げる祈りによって戦う姿勢と信仰力が、必要不可欠です。
罪を犯していない人間は、誰一人といません。それゆえに、私たちには、主イエスの十字架が必要なのです。
主イエスの十字架がなければ、私たちはただの弱い罪人です。
しかし、私たちの罪の贖いとなって十字架の上で死なれ、三日目に復活されたキリスト・イエスの十字架による罪の赦しと、天においても地においても一切の権威が与えられている主イエス・キリストの御名によって、私たちは敵に立ち向かうことができる力を神様から与えられているのです。
この主イエスの十字架による救いと、主イエスの権威ある御名にすがって祈っていきましょう。
マタイの福音書4:10~11
10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」
11 すると悪魔は離れて行き、見よ、天の御使いたちが近づいて来て仕えた。
マルコの福音書 3章14~15節
14 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、
15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
マタイの福音書 10章8節
(主イエスは言われた。)病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
マルコの福音書16章17〜18節
17 (イエス・キリストを)信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。
3 断食の祈り(欲望や快楽を犠牲に捧げる祈り)
肉体の欲望と快楽を自制して、霊的に戦おうとする姿勢と信仰力。
食欲は、人が生きていくうえで必要な最も強い欲求のひとつです。
この欲を捧げ、問題を解決するための力を下さいと真剣に祈ることも、時には必要です。
マタイの福音書17:18~21
18 イエスがその子をお叱りになると、悪霊は彼から出て行きその子はその時から直った。
19 そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」
20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
21 ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。」
出エジプト記 12章42節
この夜、主は彼らを敵のエジプトから連れ出すために、寝ずの番をされた。この夜こそ、イスラエル人はすべて、代々にわたり、主のために寝ずの番をして祈るのである。
→時には、睡眠時間を主に捧げるくらいに、真剣に祈り求めることも大切です。
4 礼拝や祈祷会などを大切に守り、神の家族としっかり繋がり続ける
サタン(悪魔)と言えども、教会に与えられた神の権威には手を出すことができません。
見えない敵は何よりも、神の権威が任されている教会礼拝、祈祷会、神の家族愛を、嫌って恐れます。
マタイの福音書16:18~19
主イエスは言われた。
18 …わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデス(地獄)の門もそれには打ち勝てません。
19 わたしは、教会に天の御国のかぎを上げます。何でも地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
→教会には、地獄のモ門にすら打ち勝つ力が与えられています。
天の御国のかぎを解くその鍵から外れて倒れることのないように、教会とつながり、教会力を使って戦っていきましょう。
5 聖書のみことばを悟り、行なおうとする姿勢と生き様
見えない敵は、みことばで生活習慣を築こうとしている人には、手を出せなくなります。
なぜなら、あなたの神様は、みことばを悟り行う人を通して現れるお方だからです。
ヤコブの手紙2:19~23
19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
→「救い」に、行いは不要です。救いに必要なものは、イエス・キリストを信じること以外に何ひとつとしてないからです。
一方で、さらに祈りと願いを求めていくならば、信仰による行いも必要です。ただし、自分の力で頑張ろうとするのではなく、まずは神様に「聖霊様を私に送り、みことばを悟らせて下さい。みことばを行わせてください。」とお祈りをすることから始めましょう。
マタイの福音書13:19~23
19 御国のことばを聞いても悟ろうとしないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれた良いものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
21 しかし、自分のうちに信仰の根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、結局、実を結ばない人のことです。
23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟り行う人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
6 悔い改め
何よりも聖書のみことばで自分の罪悪・過ちを探して、十字架にすがって悔い改めることに努めましょう。
マタイの福音書3章7~8節
7 パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
→人間は、皆、一人の例外もなく罪人です。それにもかかわらず「自分は悪くない。」と主張するならば、「まむしのすえ」と呼ばれてしまいます。
仮に、自分の非が1対99であるとしても、1の非があるならば、まずは神様の御前で悔い改めることが必要です。
また、悔い改めも、自分の力だけで頑張ろうとするのではなく、神様にお祈りをして、神様に助けて頂くことが大切です。
神様に、
「悔い改めの心を下さい。」
「悔い改める力を下さい。」
「悔い改める方法と知恵を下さい。」
「自分で気がつくことのできていない非(罪)があるならば、どうぞ教えて下さい。」
とお祈りしましょう。
マタイの福音書16:22~25
22 ペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
7 すべてを主に期待して「喜び」、先取りの「感謝」を捧げる。
聖書の預言・約束だけを期待して喜び、何があっても感謝を捧げられる人に、サタンは取り憑くことはできなくなる。
状況、現象、ものごとによって、心を騒がせてはいけません。
人から言われたことによって、心を騒がせてはいけません。
神様にこう祈りましょう。
「神様、いま私は、試練・患難・迫害に遭っていますが、あなたに先取りの感謝を捧げます。神様、助けてくださりありがとうございます。あと何日でしょうか。それまで耐えられますように、あなたが私と共にいて、私を強め、守って下さい。」
このように、まだ結果が出ていない段階で、「必ずそうなりますから、ありがとうございます。」と、神様に先取りの感謝をし続けます。
辛くてどうしようも無い時に、「神様のみことばは、必ず成就する。これは約束である。」ということを、心に言い続けましょう。次第に、心に平安が戻ってきます。
テサロニケ人への手紙 第一5章16~20節
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
19 御霊を消してはなりません。
20 預言をないがしろにしてはいけません。
→いつも喜び、すべての事に感謝する=良い事にも、悪い事にも感謝する。これが神の御心です。
なぜ、悪い事にも感謝できるのでしょうか。
それは、神様が「すべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)ことを知っているからです。悪い事は、やがて感動的なプラス(益)となって返ってきます。それゆえに、良い事にも悪い事にも、すべての事に感謝し、喜ぶことができるのです。
「もしうまくいったら、ハレルヤ!」というように、条件をつけて感謝をしてはいけません(これでは、ご利益宗教です。)。
そうではなく、「うまくいかなくても、ハレルヤ!」と言えることが信仰です。その時はうまくいっていないように見えても、神様が、やがてすべてを働かせて益として下さることを信じるのです。
すべての問題は解決する。すべて益となる。そのことに、期待して、笑顔の喜びと感謝をもって一日を過ごし、終えます。
そうすれば、敵は、必ずあなたの人生から出ていきます。
そうして、祈り以上のものが得られる人生を生きることができるのです。
おわりに
もし、見えない敵の攻撃に苦しんでいるならば、神様があなたと共にいて下さり、守って下さることを、いま一度信じて下さい。
主は、あなたを決して見捨てず、あなたを守り、あなたのために戦って下さいます。
出エジプト記 23章20~22節 (主の御告げ)
20 見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。
21 あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。
22 しかし、もし御声に確かに聞き従い、わたしが告げることをことごとく行うなら、わたしはあなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となろう。
ヘブル人への手紙10:37~39
37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのみこころは彼を喜ばない。」
39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
以上。
おまけ
偉人の名言
「悪魔」について
シャルル・ボードレール(フランス 詩人、評論家 19世紀)
悪魔の最も見事な狡猾(こうかつ)さとは、人間に「悪魔はいない」と信じ込ませることだ。
ジョージ・エリオット(イギリス人 作家)
悪魔が私たちを誘惑するだけではない。私たちが悪魔を呼んで誘惑することもあるのだ。
エイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)
悪魔は招かれぬ所へは出向かぬ紳士でもある。
ジョルジュ・ベルナノス(フランス人 作家、思想家)
我々の心の中の悪魔には、「仕方がない」という名がついている。
ウィリアム・シェイクスピア(イングランド 劇作家、詩人)
悪魔でも聖書を読み聞かせることができる。しかし、悪魔は身勝手な目的のために聖書を用いる。
