Vietnam前半編 ハノイ(Hanoi)~北部ハザン・ループ(Ha Giang Loop)~ラオ・カイ(Lao Cai) 約800km(2022/12/29~2023/1/3)
自分のオートバイをバンコクからインドのムンバイへ海上輸送している期間を利用して年末から約2週間の予定でハノイを中心としたベトナム北部地域へ行くことにした。
ベトナムには当方が高校生頃に終わったベトナム戦争や社会主義国家でも市場経済と外国資本を招きいれた開放経済を取り入れたベトナムの経済発展に興味があった。しかしながら、日本等の外国籍のオートバイで走行するには地元のガイドと特別な許可が必要であり、ハードルが高い。
そのような理由で、ベトナムは当方のツーリング計画には無かったが、現地でレンタルバイクを利用したツーリングなら可能だ。 ただし、ベトナムは国際運転免許証についてジュネーブ条約締結国でないため、日本の国外運転免許証(International Driving Permit)は有効でない。 しかしながら、ハノイで外国人が主に利用するレンタルバイクの店フラミンゴ・トラベル(Flamingo Travel)では運転免許証の提示を求められなかった。
ハノイから中国と国境を接するハザン県(Ha Giang)にある約300kmの山岳部の周回ルート(Loop)上では石灰岩の浸食が作り出したカルスト地形の絶景が観られる。その絶景はユネスコの世界遺産にも登録されている。
25年以上ベトナム北部の山村に住む日本人O氏にツーリング場所を相談した。 一にも二にも前述のハザン・ループ(Ha Ginag Loop)だった。 ハノイからは約300km強の道のりだったが、行く価値は十分あった。
(ハザン=Ha Giangの山々)
ハノイ(Hanoi)~ハザン(Ha Giang) 約300km
ハノイでYAMAHA製の135ccのスクーターを一日10米ドルで借りた。ハノイ市内のみのレンタルバイクの利用ならもっと安いのだが、遠距離での走行はプレミアム料金がかかる。 当初はレンタルバイク料金は一日15米ドルと言われた。 しかしながら、その店のオーナーを知る人の紹介で来たと従業員へ伝えると、何故か10米ドルになった。
ハノイからハザンまで約300kmの道のりがある。高速道路がないので全て一般道での移動だ。最もベトナムでは高速道路およびバイパス道路はオートバイの通行が禁止されているので、仮に高速道路があっても、一般道での走行になる。
ハノイでのオートバイの運転マナーは当方がツーリングした東南アジア6か国で一番悪かった。
信号無視、逆走は当たり前ながら、当方が直進する所に前方から来るオートバイが当方の前を横切り左折する。非常に危ない運転マナーである。また、対面通行の道路を車もオートバイも逆走していたため一方通行の道路と勘違いした。インドネシアのスラバヤでも、オートバイの運転マナーはこれほど酷くなかった。
ハノイから100km位遠ざかると道路の交通量が減り、やっと地方道を走行している感じになる。正月直前の道路に国旗の横断幕を付けた飾り付けが通過する町々であった程度の記憶しか残らなかった。
ハザンの町が100km程度に迫ると周囲の景色が変わってきた。平地から突然そびえ立つ小山が多くなった。石灰岩の地層が長い年月の風雨で浸食されたためだろう。 300kmの道のりながらハノイから8時間近くかかってハザンの町に到着した。
(ハノイ空港の出入国管理は比較的厳格だった。入国審査に1時間ほど時間がかかった。写真は空港ビル入国審査前の列)
(ハノイ中心部の下町。ベトナムの町では電柱が無いので景観がすっきりしている)
(ハノイからハザンへ向かう途中の町にはベトナム国旗の横断幕)
(ハノイからハザン=Ha Giangに向けてレンタルバイクで走り出す。ハザン手前100kmぐらいから写真のような山々が見え始める)
(ハザン県への入口門)
ハザン・ループ(Ha Giang Loop)一泊二日の走破(約300km)
新年はハザンの町で向かえた。元旦でも平日のように商店が営業している。西暦の正月元旦は現地の人々には平日と変わらない。旧暦の正月(1月20日頃)が現地の人達には新年を祝う大事な行事である。
ハザンのホテルで少し腹立たしいことがあった。家族経営のホテルだった。当方が、家族の一人である中年女性にバイクを何処に駐輪してよいかグーグル翻訳で尋ねたが、ほとんど無視される。そのホテルの横も同じ家族が経営する食料品店だった。
同店舗で食料品を買った際に、ハノイで買った冬用の手袋を置き忘れたと思い、店番をしていた同じ女性に<当方の手袋が店のどこかに置き忘れていたら、取り置きしておいてほしい>とグーグル翻訳でまた依頼した。 これも無視された。
店の他の客とは長話しているのに、何故この女性は当方の話に耳を傾けないのだろうと当方は怒った口調で再度その女性に日本語で問いただしたら、やっと聞く耳をもった。
全長約300kmのハザン・ループ(周回道路)は狭い山岳道路である。深い山の中には山腹を段々畑にして農業で生計を建てている人が多いのだろう。山里の集落の民家はどれも小さい。
伊豆半島の山岳地帯にあるような狭い道だ。、小型のマイクロバスや土砂を運ぶ大型ドラックも通行するが、ほとんどは地元の人が小型オートバイで通るか、観光客がレンタルした小型バイク位しか通行しない。連続した登り坂のカーブを突き進むと視界が広がり、雲がかかった山々の姿が見える。深さ数百メートルの断崖を眺めると足がすくむようなところもある。
このルートを2泊~3泊かけてツーリングする人もいるが、当方は周回ルート(ループ)の中間地点であるドン・バン(Dong Van)の町で一泊したのみだった。
ドン・バン(Dong Van)の町では宿探しに苦労した。いつものように事前の宿の予約なしだった。簡単に宿は見つけられるだろうと思ったが、正月休みの観光客で多くの宿は満室状況だった。 5~6軒のゲストハウスを訪れたが、満室かハザンの2倍ぐらいの料金を提示してきた。
やっと見つけたゲストハウスは古く、暖房設備も無い所だった。その割には割高な価格を提示してきた。 当方はオーナーの女性に<この宿の古さと設備では部屋料金が高すぎる。値引きするなら宿泊しても良い>と申し出たら、女性オーナーは価格を大幅に割り引いで応じた。
周回道路のツーリング2日目になると風光明媚な絶景にも目が慣れて、多少の事では驚かなくなるが、ハノイから一般道路を丸一日かけて、訪れる価値が十分あった。
(ハザンの町中を流れる川。温泉町の雰囲気があった)
(ハザン・ループ=Ha Giang Loopの道。社会主義国家らしさがあるスローガン看板。)
(山の中腹の段々畑)
(深い谷間と見晴らし台の建物。谷間の川には小型の観光船)
(道路脇から眼下の谷間をこわごわと見下ろす人達)
(道路の横は崖となっている。崖から落ちるのが怖いためセンターライン寄りの道路真ん中を走ってしまう)
(寒かったドン・バン=Dong・Vanの町)
(ハザン・ループの景色の一つ)
(ハザン・ループ内の棚田を建設機械で作る)
ハザン(Ha Giang)~ベト・クアン(Viet Quang)~ラオ・カイ(Lao Cai)180km
ハザン・ループの後は、ラオス国境に近い北部山岳地帯のサパ(Sapa)を目指すことにした。
サパには複数の山岳民族が集まる市場が(Market)がたつと言う。 しかし考えが甘かった。
サパはハザンより標高が高く、冬場に雪が降る山もあると言う。
サパの手前のまだ標高が高くない平地のラオ・カイ辺りで、持っていた服を全部着込んでも夕方のオートバイ走行は寒い。
前述のベトナム在住歴25年のO氏の言葉を借りれば、<サパはハザンより寒いところなので、行く前に(気温等を)調べた方が良い>と忠告を受けていたが、その通りであった。
結局サパへ行くことをサパ手前40km~50kmで断念。より暖かい南東方向(ハノイ方向)へと進路を変更した。
ベトナム北部の一般道は交通量が少なく、レンタルバイクでのツーリングは快適であった。大きな町以外には信号機が無いため、走行中にオートバイを止める必要はない。
この区間では珍しく小雨が降った。もっとも未明から午前中にかけての小雨だったので、この時はホテルで雨があがるまで待った。雑貨屋で日本の100円ショップで販売しているようなビニール製の薄いレインコートを買い、雨上がりの道路を走行し始めた。
このルートで通過した集落や町の民家は立派だった。3階建ての家もある。茅葺屋根の新築民家でも大きい。日本の県道クラスの地方道はしっかり舗装がされ、一般道から奥に進む農道のような道路でもコンクリート舗装がほどしっかりと施されていた。この豊かさはどこからくるのだろうと思った。
ラオ・カイ(Lao Cai)の町は県庁所在地だけあって、町の規模が大きく、東南アジアの国とは思えないほど立派なビルや商店が建ち並んでいた。
(雨上がりは路肩の赤土で道路が赤く染まる)
(ラオ・カイ=Lao Caiへ向かう途中の立派な民家)
(屋根は茅葺だが、新築らしい田舎の大きな高床式民家)
(正面のみ三角形の屋根に見せる民家)
(ラオ・カイ=Lao Caiの中心部広場。ロシア・地方都市の広場の造りに似ている。広場の周りには立派な建物が多い)
次回はベトナム後半編(ラオ・カイ~ホア・ビン~ニン・ビン~ハロン湾~ハノイ 約800km)
以上