(ガボンのMouila~Ndende~コンゴ共和国入国~Nyanga~Kibangou~Dolisie~Pointe Noire~アンゴラ飛び地~
コンゴ民主共和国(DRC)入国~Muanda~Boma~Matadi~Songololo~アンゴラ再入国~M'banza Congo~
N'zeto~首都Luandaの道順を示す) 仏ミッシェラン製アフリカ南部地図の抜粋
2019/8/3(土)コンゴ民主共和国(DRC)リャウェインダ村~ムアンダ(Muanda)~ボマ(Boma) 120km
翌朝7時前に10名ほどの村人に見送られて出発。
前夜村人たちからリャウェインダ村~ボマへの110kmのダート道は前日に迷い込んで引き返した深い砂道よりは良いダート道だと聞いていたので安心していた。
(見送りに集まってくれたリャウェインダ村の人々)
しかしながら、実際走行してみると深い砂地が続いた。 村を出て2kmも走らない内にバイクの前輪が深い砂場に入り込みバイクと一緒にひっくり返る派手な転倒をした。 砂が深いとは気が付かず少しスピードを出していた分転倒の衝撃が大きく、バイクの両バックミラーが破損の上、前輪ブレーキレバーも曲がってしまった。
その時は気が付かなかったが、右胸と右の太ももを強打していた。 転倒時には少し痛いぐらいしか感じなかったが、時間の経過とともに痛みを感じるようになった。
初回の転倒から2kmも走らない内に再度転倒してしまった。2回身体の同じ場所を打撲したためか、右胸と太ももに痛みを感じだした。
(砂地の初回の転倒)
不整地走行でバイクがふらつくときに、転倒しないようバイクをしっかり抑える力が痛みで出てこない。
偶然通りかかった空のタクシーに荷物を運んでもらい、当方は荷物なしの手ぶらの状態でバイクを運転することにした。
(途中で荷物だけ偶然通りがかったタクシーで10km先のムアンダ=Muandaの町まで運んでもらった。)
ゆっくりとした速度で10km先のモアンダ(Muanda)と言う町までどうにか到着したが、この先ボマ(Boma)の町までの100km区間も 砂の道路が続くと聞きバイクでの自走を諦めた。
壊れたバックミラーを中国製のバックミラーと交換して、トヨタ・ランドクルーザーでバイクを運んでもらうことにした。
ランドクルーザーの運転手はハイヤー代として85米ドル要求した。根拠は通常は14人の旅客を運ぶが、その14人分の乗車賃が85米ドルと言う。 常時満席になるわけでないので、当方は交渉して60米ドルで手を打った。
その後、ランドクルーザーの運転手はちゃっかり旅客を2名載せた。
100kmの砂の道を約2時間半かけてボマ(Boma)の町まで到着した時は、打撲した胸と太ももの痛みを強く感じていた。
(ムアンダの町でチャーターしたトヨタ・ランドクルザー。写真では分からないが、実際はかなりのポンコツ車だった)
(ムアンダからボマ間も深い砂の道が続いた。)
(ムアンダ~ボマ途中の村)
ボマから先は舗装道路になると聞いていたので、当初は同日中にボマから100km先のアンゴラ国境近くの町マタディ(Matadi)までオートバイで進むことを考えていた。しかし、その考えは諦めた。
打撲で体が痛くて、オートバイに乗車するどころではない。 ボマの町で打撲の様子を見ることにした。
リャウエンダ村近くからモアンダまで荷物をパンクした車で運んでくれ、その後もオートバイのバックミラーを買うためバイク部品屋探しやバイクを運ぶランドクルーザーの手配までしてくれたタクシー運転手は親切な若者だった。 別れ際に心づけを手渡したが、自らはお金の要求をして来なかった態度には感心した。
コンゴ民主共和国に関するインターネット等での事前情報では、お金を無心してくる人や警察官が多いので注意するようにとのアドバイスが目について警戒してきた。 しかしながら、入国の際もその後の検問でも警察官の対応は紳士的で一切金銭の要求は受けなかった。
また、当方が接した限りでは一般市民も同情的で親切なふるまいをしていた。
投宿はHotel Excelsior 一泊13米ドル(トイレの水流れず、バケツに冷水をためシャワー代わり、Wifi無しの古いホテルだったが、従業員は親切だった)
8/4(日)ボマ(Boma)~マタディ(Matadi)~ソンゴロロ(Songololo)経由アンゴラ本国入国~ンバンサ・コンゴ(M'banza Congo) 295km
朝方までは打撲の痛みで弱気になっており、ボマで連泊して休養するつもりでいた。 しかしながら、投宿ホテルが古くて居心地が良くない。部屋に蚊も多く、トイレの水が流れないのも気になった。
オートバイに乗ってアンゴラとの国境近くのマタディ(Matadi)の町かその先のソンゴロロ(Songololo)まで進むことに急遽計画を変更した。(既に3日連続その日の計画を当日朝に変更していたが)
痛み止めの薬を飲み、午前9:30にボマを出発。 ボマから先は舗装道路とは聞いていたが、すこし疑いつつ警戒していた。 日本の国道1号線に該当する首都キンシャサまで通じる道路は片側一車線の対面通行の舗装道路だった。
(ボマ~マタディ間の山間部)
日曜日のため、通過する集落では晴れ着姿で道路脇を徒歩で教会へ向かう人々の姿が目に付いた。
多くの住民の集落間の移動手段は徒歩だ。自転車走行が可能な状態の道路が少ないためか、自転車に乗る人はほとんど見かけない。
マタディの町はコンゴ川沿いの小高い丘陵地にあった。 町の反対側の高台から眺めたマタディの町はスペインの中世の風貌を残すトレドを思い出させるような造りだった。
(水量が豊富なコンゴ川の向こうがマタディの町だ)
マタディに通じるコンゴ川には日本の経済援助で建設された長さ400m程度の大きなつり橋がかかる。欄干には日本とコンゴ両国の国旗が掲揚されていた。この橋は有料道路(通行料1,650フラン=約110円)だった。 橋の上には車道でカメラを片手に記念撮影する歩行者もいた。 この橋は観光名所にもなっている。
(日本の経済援助で建設されたコンゴ川にかかるつり橋。橋の向こう側がマタディの町)
マタディからアンゴラ領へ入ることも可能だが、アンゴラ領内の道路状態が良くないと聞いていた。 道路状態が悪い道は万が一の転倒を警戒して通りたくない。
そのため、マタディから更に約100km先のソンゴロロ(Songololo)からアンゴラ本国入りすることを考えていた。 マタディを正午ぐらいに通過したので、本日中にアンゴラ入国が可能と考え先を急いだ。
このあたりは今までの深い森林とは異なり、樹木が無い荒地の山や草原が多い。
しかも草原は乾季には灰を肥料にするためか焼かれている。 雨が少ない地域だろう。 耕作地があまりないような場所で人々はどのように生計をたてているのだろうかと思う。 自然条件が良くないと豊かな生活は難しいのだろうと。
(マタディからソンゴロロへとアンゴラとの国境方面へ向かう)
ソンゴロロから国境へ向かう道はMaps.Meには表示が無かった。
表示があるのは幅3m程度の農道のような狭いダート道で、国境に通じるルートとは思えなかった。
国境へ向かう道路は幅15m~20mのフラットダートの道だった。国道1号線から外れて15km程続く。
国境付近は荷物を積む三輪車やトラック、手押し車で混雑していた。 手押し車同士が衝突して罵声を浴びせ合っている喧騒地帯だった。
(アンゴラとの国境へ向かう赤土の広いダート道)
(アンゴラとの国境付近の町=コンゴ民主共和国領内)
イミグレーションオフィースと税関は国境の直前にあった。 愛想がよいイミグレーションオフィースの所長がすぐにパスポートに出国印を押印してくれた上、部下に当方を税関まで案内することまで手配してくれた。
税関長は快くカルネに出国印を押印して、出国手続きはスムーズだった。
車がやっと一台が通行できるくらいの狭い橋を渡るとアンゴラ領となる。
アンゴラ入国後、イミグレーションオフィサーは公用語のポルトガル語でなければ分からないと冷たく対応したが、短時間で当方のパスポートに入国印を押してくれた。この際にアンゴラ飛び地で必要だったパスポートとビザのコピーは要求出なかった。
イミグレーションオフィース隣の税関(Posto de Aduaneiro)では、アンゴラ飛び地に入国した際に作成した一時輸入許可証を提示して、同許可証にサインと押印をしてもらう。
90日間有効だと説明を受けた。この国境は8時から17時までしか開いていない。 アンゴラ領に16:20頃入り17時過ぎにすべての手続きを終了。
ここから一番近い町はンバンザ・コンゴ(M’banza Congo)という国境から65km離れた場所にある。
国境から続く道路はほぼ舗装道路であったので、一時間強で投宿するンバンザ・コンゴの町へ到着。
I Overlanderのアプリに掲載されていたHotel Congoを探す。 Hotel Congoの正式名はHotel Estrela do Kongoであったが、 部屋代は当方が思っていたより高かった。そのホテルで他のホテルを教えてもらった。
投宿はHotel Mirage 一泊12,000クアンザ(約3,400円) 朝食付き、温水シャワー、エアコン、敷地内駐車場あり、WiFi無し
(Hotel Mirage)
8/5(月)ンバンザ・コンゴ2泊目 病院で打撲の診察を受ける。
2日目前にバイクで転倒した際に打撲した右胸が痛む。 骨折はしていないが、骨にひびが入っているかどうか気になったので、投宿宿の近くの市立病院へ言った。ホテルの従業員が病院まで同行してくれ受付まで辿り着けた。
ポルトガル語とスペイン語は似ている。特にポルトガル語を話す人はスペイン語をよく理解できる。
当方はスペイン語で胸の打撲した経緯と胸のX線写真を撮影して肋骨にひびが無いかどうか診断してくれるように依頼した。
待合室には20名弱の人がいた。当方が唯一の外国人というこで、皆が注目している。当方はスペイン語でオートバイで旅行中である旨を伝えると、数名の人が話に加わりいろいろ当方へ質問してくる。
当方の話に皆興味深々だ。オートバイでのアフリカ大陸ツーリングは初めて聞く冒険に聞こえたのだろう。
待つこと1時間。外国人旅行者とのことで受診の順番を優先してくれた。胸と足のX線撮影を済ませた。 検査技師がX線映像のネガを出すと思っていたら、パソコンの画像をスマホで写真撮影して、医師に見せて判断してもらえと言う。 その指示に従い、スマホに取った胸部のX線画像を韓国人らしき医師へ見せた。 骨に異常は無いようだ。
病院の受診代は1,000クアンザ(約3百円)だった。
(胸部のX線検査をしてもらった市立病院)
(ンバンザ・コンゴの官庁街)
(ンバンザ・コンゴの周囲はこんな盆地になっていた。野焼きの煙が立っている)
ンバンザ・コンゴの町は山間部の高台に平地にゆったりと構えていた。町は整然として道路でも掃除が行き届いており、他の西アフリカ諸国とは一線を画していた。
すべてが先進国のようにきっちりしている。ガソリンスタンドでも給油代金支払い時、小銭のおつりをくれるのには驚いた。 他の西アフリカ諸国では「釣銭は無い」と言ってお釣りを出さないのが普通だった。
(産油国だが、ガソリンスタンドの数が少ないため、給油を待つ車両の列ができる)
8/6(火)ンバンザ・コンゴ(M'banza・Congo)~ンゼト(N'zeto) 265km
アンゴラではオートバイの保険加入は義務化されているが、カメルーンで加入したカルタ・ロゼ(中央アフリカ諸国共通の車両保険)ではアンゴラはカバーされていない。
アンゴラの一時輸入許可証が保険にもなっていると外国ライダーのブログ記事で読んだことがあったが、信じ難かった。 アンゴラは南北に長い国で通過するのに10日位はかかるだろうと思い、ンバンザ・コンゴで投宿したホテルの近くの保険会社(Ensa Insurance)にてオートバイの保険に加入した。
保険料は14日間で3,781クワンザ(約1,200円)。 保険会社の場所はi O verlanderのアプリに表示されているが、州庁舎(Gobierno de Zaire)の別館のような建物の一室にあり、判り難い。
アンゴラの首都ルアンダ(Luanda)方面へと向かうがLuandaまでは500km強の距離がある。 ンバンザ・コンゴとルアンダの中間点にあるンゼット(N'zeto)の町まで進むことにした。
高原の舗装道路を大西洋方面に向けて走り出す。
前日深夜若者グループの声で目を覚まして睡眠が浅かった。 また、暑く無く、寒くもない快適な気候が眠気を誘う。 数回小休止をしたが、それでも眠くなる一方だったので、普段は取らない昼食を兼ねた長い休憩を沿道の食堂で取る。
(昼食を賄う食堂の女店主)
ンゼットの町までの約200km区間はほぼ平坦な荒地の高原だった。 乾季なので雨の心配は無いが、空が曇っている。また、野焼きのため空がかすんでいる。
(ンバンザ・コンゴから大西洋岸のンゼトを目指す道路。空気が野焼きの煙で霞んでいる)
ンゼットは小さな町では、宿でベトナム人経営のオートバイ修理店を紹介してもらい、そこでエンジンオイルの交換をした。 前回カメルーンでエンジンオイルの交換後、2週間で3,000km走行していた。
エンジンオイル交換費用は工賃込みで3,000クワンザ(約1,000円)
投宿はi Overlanderアプリ表示のResidential Perola do N'zeto 9,900クワンザ(約3千円)
温水シャワー、エアコン付き、敷地内に駐車場あり。小ぎれいなリゾート雰囲気の小さなホテル。WiFi無し)
(ンゼットの宿)
8/7(水)ンゼット(N'zeto)~首都ルアンダ(Luanda)262km
アンゴラに入り道路は立派なことに感心したが、沿道の集落の民家はコンゴとそれほど変わらない窓にガラスも無い小さな家だ。 一人当たりの年間GDP(所得)が4千米ドル以上(50万円)あるとは思えない。
人口2千万人以上を擁するアンゴラは南アフリカ、ナイジェリア、エジプトに次ぐアフリカ第4位の経済大国だが、この国の所得(GDP)は原油生産と石油関連産業で85%以上産出されていいることを知った。都市と農村では生活水準が大きく違う。富の偏在が大きい。
85%の就労者は農業関連に従事しているというから、農村生活者には原油で潤う経済の恩恵にはあずかっていない。安価なガソリン価格(1リットル160クワンザ=約50円)の恩恵は受けているが。
(沿道ではバオバブに似た木の実=ムクアを袋に入れて沿道で販売している。大袋ひとつ4,000クワンザ=1,200円程度だが、農家の現金収入となっているようだ。 この実を砕いて飲料にする)
(バオバブに似た木の実をつけるムクラ=MUKUAと呼ばれていた)
通過した沿道周辺には広大な荒地が広がっているが、何故農地化しないのだろうと不思議に思った。2002年まで続いた内戦中の地雷の撤去が進んでいないことも、農地の拡大を阻害していると聞く。荒地には地雷が埋設されている可能性があるのではないだろうか。
(荒地の中の道路を通り首都ルアンダへ向かう)
ルワンダに到着する40km手前の大西洋側の道路の舗装面が急に悪くなった。 大西洋が見えてくるとなぜかウキウキするが、その反面この地域は道路と言い、周辺の集落と言い経済発展に取り残されているような気がした。
(首都ルアンダの30km手前に壁と屋根がトタンで無造作につくられた質素の住居群。水道も電気も無い)
投宿ははOasis Guesthouse。 i Overlanderのアプリに表示された都心の清潔なプチホテル(Maps. Meでは旧名のRouxinol Hotelで表示) 朝食付き12,000クアンザ(約3,800円) 温水シャワー、エアコン、WiFiあり。 オートバイは門内の敷地に駐車可能。
(ルアンダの宿は居心地が良かった。 経営者夫妻は気さくで親切だった。 経営者夫妻はスペイン語が判ったので当方は助かった)
8/8(木)ルアンダ2泊目 アンゴラ証券取引所訪問
アンゴラが他の西アフリカ諸国とは異なっていたので、証券取引所を是非訪問して投資環境を聞きたいと思っていた。アポイント無しでの訪問でも、流暢な英語を話すジョアン氏が対応してくれた。
(アンゴラ証券取引所)
アンゴラ証券取引所は2014年に設立されたばかりの新しい証券取引所だ。 上場株式は無く年限が91日以上の短期国債から7年債のみの債券のみの取引市場との説明してくれた。
インフレ率が20%前後と高いため、2年国債の利回りは年率24%とかなり高くなっている。 銀行の預金利率が14%程度(インフレで目減りする)故、個人にとっても国債は魅力的な利殖手段になっているようだ。
銀行、年金等の機関投資家から現金が潤沢な建設会社等の事業法人、最近では個人も国債の投資家となっているが、 外人投資家は少ないとのことだった。 外人投資家の取引は外人投資家間で行うことになっており、外人マーケットの流動性が少ないことと、投資資金の国外への持ち出し手続きが複雑なことが要因のようだ。
株式市場誕生は今後1年~2年待つ必要があるようだ。 国営企業を民営化する一環として株式市場が利用される見込みだと言うが、確定したスケジュールがあるわけではない。
中央銀行が外貨準備高を管理する一環で現地通貨クワンザを高めに誘導していたが、公式為替レートも徐々にマーケットの実勢に近づい来ている。ただし、現在の為替レート (米ドル=350クワンザ)
は依然実力より高いと市場関係者も感じている。
当方はアンゴラが好きになったが、証券市場が未成熟で、外国為替市場も自由化されていない状況では外国人投資家にはハードルが高いようだ。 外人投資家は投資資金を自由に海外へ持ち出せることと、為替レートが安定していることが大事である。
首都ルアンダはコートジボアールの首都アビジャンよりも西洋化された都市だった。ただ、原油価格の低迷を受けて、景気は停滞している様子が見て取れた。 高層ビル数棟が建設途中で中断しているのだ。
(大西洋に面するルワンダの海岸通り)
(建設がストップした高層ビル=ルワンダ市内)
次回に続く