コンゴ共和国入国~アンゴラ飛び地入国~コンゴ民主共和国入国 (7/29~8/2) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

 

 

7/29(月)ガボン首都リブレヴィール~ミューラ(Mouila) 454km

 

(地図左側上部(大西洋側)がガボンの首都リブレヴィール。Mouila~Ndende

~コンゴ共和国入国~Nyanga~Kibangou~Dolisie~Pointe Noire~アンゴラ飛び地~Cabinda~

コンゴ民主共和国入国~Bomaへと続く地図。 通過したルートはピンク色で示している)

 

 

コンゴ共和国(首都Brazzaville)へ向かうため3連泊したリブレヴィールを後にした。 

 

リブレヴィールでは連日在留邦人の人達と夕食を囲んだパーティーを楽しんだが、一人旅に慣れているため、連日のパーティーでは疲れを感じるようになっていた。 

 

 

ガボンではリブレヴィールとビフォン(Bifoun)の間約170kmを往復した。この辺りを赤道が通過している。 赤道記念碑があると聞いていたが、復路でも気が付かずに赤道を通過してしまった。

(赤道直下付近の川)

 

久しぶりの長距離移動となり、途中で数回眠くなったが、ノーベル平和賞を受賞したことがあったドイツ人シュバイツアー博士が医療活動したランバーネ(Lambarene)を経てコンゴ共和国との国境手前約130kmのミューラ(Mouila)の町まで日没前に到着。

(野焼き)

(ランバーネの川岸)

 

投宿はi Overlanderに掲載のMukab Residence Hoteliere(宿泊代12,500CFA=2,500円)

広い敷地内にあるゆったりとしたコッテージ風のホテル。 温水、敷地内駐車場、 Wifiはレセプションエリアのみ)

(Mouilaの宿)

 

7/30(火)ミューラ~コンゴ共和国入国~キンバングー(Kibangou) 285km

 

ガボン側の国境の町ンデンデ(Ndende)からコンゴ共和国のDolisieの約280kmのダート道区間がアフリカツーリングの最難所区間になる。 

 

雨季の泥と沼の道路状態を避けるため、この区間が乾季(6月~8月)になるタイミングを狙って通過する計画でアフリカツーリングの日程を立てた。

 

ミューラのホテルを午前8時に出発。 約85km先の国境の町ンデンデ(Ndende)までの道路はガボンで一番舗装状態が良かった。 先進国でもこれほど良い路面の道路はあまりない。

 

ンデンデの町中にあるイミグレーションオフィースでパスポートに出国印を押してもらう出国手続きを済ませ、 コンゴ共和国との国境方面へ向かった。 ウデンデの町をでると直ぐに国境方面へ向かう道路はダート道になった。 フラットダートの道路なのでストレスなしで走行可能だ。

 

(雨期には泥沼化するダート道)

(ダート道を歩いていた兄弟)

(国境付近のガボンの村の村長=右は派手なシャツを着てベレー帽をかぶっていた)

 

ダート道を約35km進むと税関事務所があり、ここでカルネに出国印を押印してもらう。ここから更に10km先が国境となる。ガボン側国境にはゲートがあるが、ここでは手続きは無い。

 

コンゴ共和国のゲートをくぐると複数の小屋のような小さい建物がある。 最初にゲート真横の左側の掘っ立て小屋のような建物で最初の係官がパスポート内容を記帳。 10m先の道路右側の小さな建物で2番目の係官がパスポート内容を記載。 さらに道路を隔てて反対側にイミグレーションオフィースの小さな建物と税関の建物がある。

 

イミグレーションオフィースでは他のアフリカ系の旅人が2名いた。若い女性と年配の男だった。パスポートは持参せず、何かの書類のようなものを提示してそれぞれ10,000CFA強のお金を係官へ手渡している。 たぶん通過の便宜を図ってもらっているのだろう。

 

イミグレーションオフィースではパスポートに、税関ではカルネにそれぞれ入国印を押してもらい入国手続きを終了。 全ての手続きに70分程度かかった。

 

入国後複数のダート道沿いの集落を通過する。 ウデンデにはガソリンスタンドがあったが、ガソリン切れで給油できず。

 

ミューラの町を出発して最初にガソリンが手に入るのはミューラから160km先のニャンガ(Nyannga)の町だった。 ただし、ニャンガでは約1リットル容量の瓶にガソリンを入れて民家の軒先で通常より3割程度高い価格(1リットル当たり800CFA=約160円)で販売している程度で、ガソリンスタンドは無い。 

 

ニャンガでの給油を逃すと、ここから100km程度先にあるキバングー(Kibangou)の町までガソリンの販売は無い。 当方は予備のポリ缶2個にガソリンを8リットル持ち運んでいるので、瓶入りガソリンは不純物の混入を危惧して購入しなかった。

 

ニャンガの町のロータリーで行く方向を間違えた。 カーナビのMaps.Meが狂っていたのだ。

5km6km程度進むと車がやっと一台通過できる程度の狭くて雨季には通行困難な凸凹の坂道になってきた。

(ニャンガの村のロータリーで道を間違えた)

 

 道を間違えたような予感がしたので、反対方面から来た2人乗りのバイクに道先を尋ねるとやはり間違っていたことが判明した。 ここまで来るまでに歩行中の年配の人2名にこの道が正しいと聞いたが、完全に間違っていた。

 

やはり車かオートバイを利用する人に道を尋ねないといけないと思った。 ニャンガまで道路を引き返して先へ進む。 日没までにニャンガから約100km先のキバングーへ到着しないと宿が無い。

 

先を急いだ。 雨季にはかなりの凹凸があった道路も乾季には路面を平坦に直しているので、ストレスなくダート道を通過するが、 キバングーの手前30kmあたりから道路の土が削れて砂になっている区間が増えてきた。 

 

キバングーに到着したのは日没後であたりは真っ暗だった。 目星をつけている宿はあるが、果たして見つかるかどうかか判らない。複数の人に宿を聞いたが、電灯がともっていない真っ暗の中で目的の宿を一人で見つける自信はない。 幸い最後に聞いた飲食店の若者が約500m先まで駈足で、目星をつけていた宿まで先導してくれた。

 

周囲には民家が無い広い場所に宿はあったが、電灯が灯していないので人が住んでいる宿だとは気が付かない。宿には電気が無いのだ。 屋根があるところに泊まれるだけ幸せと思い投宿したが、この宿はネズミが天井裏を夜中走っていた。

 

管理人の老人が電灯代わりに石油ランプとトイレとシャワー用に使う水を大型ポリタンクに用意してくれた。 当方が「夕食を食べたいが何かあるか」と管理人へ尋ねると管理人が案内してくれると言う。

 

懐中電灯を手に真っ暗闇の中を進む。宿に来る途中に最後に道を尋ねた飲食店まで案内された。管理人は飲食店で当方の懐を当てにしてビールを飲むつもりだったらしい。

 

管理人は既に手にビール瓶を持ち、「宿にはビールが無いので、この店で飲んで行け」としきりに当方へビールを勧めるのではないか。 当方は一人旅の間はアルコール飲料を取らないので、食料を買うと「宿に帰る」と伝えると、その老人はがっかりしたように当方の後に付いて宿に戻ってきた。

 

投宿はi Overlanderのアプリ表示のAuberge Le Memling 一泊5,000CFA(約千円)。 電気、水道、Wifi無し。 

(Auberge Le Memling)

(Auberge Le Memlingの管理人は外で自分の朝食を準備していた)


 

 

本日の道順を出発地点のミューラ(Mouila)を起点とすると以下のようになる。

 

ミューラ(Mouila)       0km     8:00AM

 

ンデンデ(Ndende)     85km    10:00AM

(イミグレーションオフィース)

 

税関(カルネ)        120km    11:30AM

 

コンゴ国境NGONGO 130km    12:15PM

コンゴ入国手続き終了           13:30

 

ニャンガ(Nyanga)    160km     15:00

 

キバングー(Kigangou) 260km    18:45

 

 

7/31(水) キバングー~Dolisie~ポイントノール(Pointe Noire) 265km

 

前夜宿泊したキバングーの道路は埃の砂地だった。前日キバングーに到着したのは日没後だったので、暗くて周囲や道路の状況が判らなかったが、朝になってダート道の埃砂の深さを改めて認識した。

 

今日もキバングーからドルシー(Dolisie)までの100km区間はダート道が続く。 この100km区間のうちの初めの80km区間は前日より深い砂埃のダート道だった。 

 

乾季入りして既に2ヶ月経過する。その間原木を運ぶ大型トレーラーがこのダート道を行き来するため、道路の土が削り取られて砂埃となって道路を覆いつくしている。 冬のパウダースノー(新雪)のように細かい粒子の埃砂だ。

(キバングー~ドルシー間の赤褐色の土)

(車が通過すると猛烈な土埃が舞う)

(キバングー~ドルシー間で休憩した村)

(乾季と言えども川の水量は豊富だった)

 

砂埃が周囲の木や集落の家を赤褐色に染めている。 トラックが砂埃をたてて道路を往来すると濃い霧がかかったように周りが見えなくなってしまう。砂煙をたてて向かってくるトラックの姿が現れるとぞっとする。 嵐が過ぎ去るのを待つように、当方は道路脇にバイクを止めて、トラックが過ぎ去り砂埃が収まるのを待つのみだった。

 

そんなダート区間が終わりDolisieの町まで到着するとホッとする。 ここから目的地のポイント・ノール(Pointe Noire)までの約160km区間は舗装道路だ。

(Dolisie~Pointe Noire間は立派な舗装道路)

 

ガソリンを給油出来たのはポイント・ノール市内に入ってからだった。 

 

ガボンのミューラ(Mouila)からポイント・ノール(Pointe Noire)までの約550km区間にはガソリンスタンドがあっても販売するガソリンが無く、 途中のニャンガとキバングーの村ぐらいでしか瓶いりのガソリンが手に入らない。 燃料タンク容量が小さい小型バイクには予備燃料を持参する等の準備が必要だ。

 

当方はキバングーで投宿した際、 バイクに後輪側面に装備した予備のポリタンクのガソリン約8リットルを今回のツーリングで初めて使用した。

 

投宿はi Overlanderで見つけたHotel La Constance 10,000CFA(2千円)。 エアコン付き、冷水シャワー、Wifi無し。 敷地内に施錠が可能な駐車場は無いが、道路から奥まった物置スペースにバイクを駐輪させてもらった。

(Pointe Noireの町)

 

8/1(木) ポイント・ノール~アンゴラ(飛び地)入国~カビンダ(Cabinda) 146km

 

前日夜にホテルの洗濯機を借りて洗った埃まみれのツーリングパンツやジャケットが朝には乾いていたので連泊せずにアンゴラ(飛び地)へ入国することにした。

 

出発前に高圧洗浄機がある洗車場でオートバイの土埃を落とした。洗車場の従業員はこれほど砂ぼこりで汚れたバイクを見たことが無い様子で、 当方に「どこでこんなにバイクを汚したのか」と聞いて不思議がった。  

(高圧洗浄機でバイクを洗浄する)

 

アンゴラ(飛び地)との国境はポイントノールの市内から38kmの距離にあった。

 

出国手続きは以下の通り。

 

  1. 国境(Tchiamba-Nzassiと言う名の国境)ゲート手前の警察(Policia)の建物でパスポートを提示。係の警察官がパスポートのデータを記帳

2.警察建物横のイミグレーションオフィースでパスポートに出国印を押してもらう

 

  1. イミグレーションオフィースと道路を挟んで反対側の税関(Douanes)にてカルネ上に出国印を押してもらう。

 

出国手続きは30分程度でスムーズだった。 国境付近で当方へ出国手続きヘルパーが近づき警察建物やイミグレーションオフィースの場所を教えてくれたが、当方が『お金を払わないよ」と言うと、とっと去っていった。 ヘルパーの手を借りなくても簡単な出国手続きだった。 国境では両替業者が多い。

 

アンゴラ(飛び地)側の国境はMassabaと言う。

 

入国の際は入国係官がマンツーマンで関係窓口に案内してくれ20分程度でパスポートに入国スタンプを押してくれた。 パスポートとアンゴラビザのコピーが必要だと事前に知っていたので、係官へコピーを手渡したが、本来はそれぞれ3枚づつ必要だったらしい。

 

税関手続きが少し複雑だった。 まず出国ゲート付近のゲート詰め所のような小さなポストでオートバイの一時輸入の書類をもらい(係官が手書き記入するが)、 その書類を税関建物で税関職員に渡す。

 

税関職員がパソコンで一時輸入許可証(税金支払い書)を作成する。

 

そのパソコンで作成した書類を税関横の銀行へ持参して、税金6,366クアンザ(約2千円弱)支払い、領収書を税関職員へ提示する。

 

税関職員が一時輸入許可証に押印をすると最後に税関建物の20m先の警察建物で一時輸入許可書に押印してもらう。 

 

一時輸入許可証は90日間有効で、アンゴラ本国へ再輸入する際は手数料(税金)の支払いは不要とのことだった。ただし、再入国時も税関での手続きは必要とのことだった。

 

一時輸入許可証を作成してもらうのに約4050分程度の時間がかかった。

 

国境から投宿地のカビンダ(Cabinada)まで約100km弱の距離があったが、道路は数百メートルの工事区間を除けば全て舗装道路だった。 ポイント・ノールを午後12:30に出発し、国境の入出国手続きで約1.5時間時間を要したが、18:00過ぎの日没前に投宿地のカビンダに到着した。

(アンゴラ飛び地入国後の沿道の民家)

 

(カビンダに向かう途中の町には高層ビルもあった)

 

カビンダは欧州の都市のように整然としていた。車は交通規則を守って走行している。 歩行者も信号無視をしない等今までの西アフリカの国々とは事情が違う。 一人当たりの国民所得が約4千米ドル(約60万円)と隣国コンゴ共和国の10倍以上ある経済格差が人々の行動や町の様子からも伺えた。

 

物とサービスが揃っている国へ来た実感がした。

 

投宿はFaliciano R. do Costa 9,900クアンザ(約3千円) エアコン付き、温水シャワー、敷地内駐車場、 ただしWiFiは無し。

 

アンゴラの通貨クアンザ(Kuwanzas)の公式交換レートはマーケットの実勢を反映していない。

 

詳しく調べていないが、為替管理を行っているのだろう。 ブラックマーケットの実勢交換レートではアンゴラ通貨の価値は公式レートより3割~4割安い。外人旅行者にとってはブラックマーケットで米ドルやユーロ等の外貨からクワンザに交換した方が、より多くのクワンザを手に入れることが出来る。

 

当方は投宿宿の近くのHotel Mayobeに出入りする闇両替業者に両替を依頼した。

 

アンゴラが他のアフリカ諸国より経済的に発展している事実を町で知り合ったアンゴラ人はこう説明してくれた。 

 

「アンゴラ人は国にとどまり、国を豊かにする為に働くが、他の西アフリカ諸国では簡単に自国を捨て、経済条件の良い他国へ移住してしまう。 アンゴラ人は将来を豊かにするため物を作るが、他国のアフリカ人は消費するだけだ」と。

(カビンダの宿)

 

8/2(金) カビンダ~コンゴ民主共和国入国後 深い砂地で身動き取れず途中の村に宿泊 43km

 

カビンダでは2連泊するつもりで朝方までのんびり過ごしていたが、ナイジェリアの首都アブージャで取得したコンゴ(DRC)のビザで入国できるか一抹の不安があった。

 

入国審査でもめた場合には翌日の土曜日では関係官庁や大使館と連絡が取れないと考え、急遽カビンダを出発して、コンゴ(DRC)への入国を試みることにした。

 

コンゴ(DRC)入国後の宿泊地やアンゴラ本国(再入国後)のルート等をチェック後、カビンダを出発出来たのは午前11時過ぎだった。

(アンゴラ飛び地は野焼きの煙のためか霞んでいた)

 

アンゴラ飛び地とコンゴ(DRC)の国境はカビンダから約30km離れていた。 アンゴラの出国手続きは

事務作業に1時間程度かかった。 イミグレーションにてパスポートに出国印を押印してもらい、その足で税関にて入国時に作成した一時輸入許可証を提出して、アンゴラ飛び地での失効手続きをおこなった。 ただし、アンゴラ本国へ入国の際、一時輸入許可証の手数料(税金)の支払いは不要とのことであった。

 

コンゴ入国審査に時間がかかった。 入国管理事務所で誰と話をすれば良いか分りずらい。 

 

入国ゲートで制服姿の係官が当方のパスポートを持って入国管理事務所まで案内してくれたのは良いが、その制服姿の係官は当方のパスポートを持ってうろうろしているだけで何もしていない。

 

当方はその係官からパスポートを取り戻すと、今度は違う人が、入国管理事務所の管理職と思われる人の部屋に案内してくれ、やっと手続きが始まった。

 

その後一時間待っても進展が無い。英語を話すパトリックと言う名の係官が、居住本国以外の外国で取得したビザについてはキンシャサ(首都)の本部の入国許可を得なければならず、その返事待ちだと説明してくれた。

 

当方が「ナイジェリアのコンゴ大使館では本部の許可を得て、ビザを発給しているはずなのに、何故再度本部に許可を求めなければならないのか」と手続きを早くするように依頼した。

 

パトリックは当方がアンゴラ本国へ向かうためコンゴ(DRC)を通過せねばならないことを理解すると、「コンゴからの出国手続きをとるマタディ(Matadi)の町の出入国管理事務所の許可を得た上で、入国許可を出す」とこの先の手続きを説明してくれた。 半信半疑で待つこと30分、入国印が押されたパスポートを返却された。

 

その後、健康検査(ヘルスチェック)の建物でイエローカード(黄熱病予防接種の証明書)の提示を求められ、最後に出入国管理事務所の横の税関でカルネに入国の押印をしてもらい全ての手続きが終了。 全ての手続きに約2時間かかった。

 

この入国管理事務所の横に銀行(Raw Bank)があり、備え付けのATMにて米ドルが引き出せる。

アンゴラ入国時にアンゴラの銀行員から聞いた通りだった。 そこでクレジットカードを使って800米ドル(約9万円)のキャッシング(借り入れ)を行い、アンゴラでの両替に備えた。

 

 アンゴラでは現地通貨クアンザと外貨のブラックマーケットの交換レートは公式レートより良いからだ。 フェースブック等の情報ではブラックマーケットの交換レートは公式レートより23倍良いとも聞く。

 

14:30に国境での審査を終了後、いよいよコンゴ国内を走り出した。 走り出しから道路は砂地だった。 23日前に通過したコンゴ共和国(首都Brazzaville)の難所よりも深い砂の道が100km以上続くと聞いた。この砂地を100km以上進むのかと思うとコンゴ民主共和国(DRC)入りしたのを後悔したほどだった。

(コンゴ民主共和国=DRC入りすると砂の道路が始まった)

 

車の通行はほとんどないので、マイペースで慎重にゆっくりと進めばよいのだが、深い砂地で

バイクがふらつき、いつ転倒しても不思議ではない不安定な走行を余儀なくされる。

 

入国後1km進むと道路税(Road Tax)支払いの検問所がある。 ここの検問所を避ける迂回路があるのは知っていたが、迂回路はさらなる悪路ではと警戒してメインルートを進む。

 

駈足程度のスピードなので、ちっとも前に進まない。本日中に100km先のBomaの町にたどりつけるか疑わしい中、行けるところまで行こうと前へ進む。

 

Maps.Meのカーナビの案内がまた人が通らないような砂丘のように深くて狭い砂地道路へと導く。 マリでの悪路の経験から、2km程度進んだところで引き返すことにした。

 

しかし、道路幅が3m程度と狭く、かつ砂の轍でオートバイの向きが変えられない。 荒地の約500600m離れた他の場所にトラックが進んでいる姿を見つけた。 緊急時用として首からぶら下げている笛を吹き、ジャケットを振りながら助けを求めるが、トラックはそのまま先に進み姿を消していった。

(Maps.Me=スマホのカーナビは更に深い砂道へと誘導する)

 

(狭い砂道で進む方向を変えるのも一苦労だった。荷物を全て降ろして、車重を軽くしたが、タイヤが空回りして更に深みにはまる)

 

30分ぐらい悪戦苦闘後、オートバイの向きを変えて、来た道を引き返した。 一番近い村でテント泊させてもらうつもりで、 遠方を見回すと、集落が見えた。 

 

宿泊したのはリャウェンダ(Liawenda)と言う名の140名程度の村だった。持参していたツエルト(ビバーク用の超携帯テント)を使って一夜を過ごすつもりだったが、 村長宅で宿泊させてもらえることになった。 小さな家であったが、当方のために村長夫妻が使用する寝室を提供してもらった。ただし、食事やシャワーは無い。

 

当方はフランス語は分からない。写真や地図を見せながら一通りの旅の話をするが、フランス語が出来ない為、話が続かない。 あたりが暗くなった7時過ぎには寝室へ案内されたので、早めに寝ることにした。

(リャウェインダ村の村長宅の寝室)


次回に続く