ダカール(セネガル)~マリ入国~首都バマコ(2019/6/3~6/7)1,400km | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

2019/6/3()ダカール~タンバコンダ(Tambacounda) 497km

 

(赤色のマークは左からダカール~タンバクンダ~国境のキディラ(セネガル側)とディボリ(マリ側)~カイエス(Kayes)~バフォウラベ~キタ~首都バマコの順)

 

 

セネガルからマリへ向かって東方向へと進む。

月曜日の通勤ラッシュ中のダカール市内を抜けるのに時間がかかった。 GPSで示す道路が閉鎖されていたりしてダカールから最初の100kmを走行するのに3時間もかかってしまった。ダカールの首都圏を形成する町を通過する道路は日本の一般道並みの混み具合だ。ただし信号機は無い。

 

本日の走行距離は500km弱だというのに、果たして日没までに投宿地のタンバクンダまで到着できるか心配したが、ダカールから約100km過ぎると町や集落もまばらでスピード上げて走行できる。

 

やはり内陸部へ入ると乾燥して暑い。日陰の気温でも40℃だから炎天下ではそれ以上だ。

集落の家が茅葺(かやぶき)になってきた。車が通行する幹線道路に並行して馬車や徒歩で通行する土の生活道がある。集落に住む人々が荷物を積んだ馬車やロバで行きかう。

(生活道路をロバが引く馬車で移動する)

(藁ぶきの民家。家の周囲には垣根がある)

 

小学校高学年ほどになれば立派に馬車を乗りこなす。モノクロ写真で明治初期の日本の風景をみているようだ。エアコン等の冷房機器は普及していないのだろう。電気が通じていない家が多いのだろうか。人々は道路沿いの木陰の手製のベンチ等で寝っ転がったり、話に講じている。

 

宿の予約をしていなかったが、地図アプリのMaps.meOverlander(車やバイクで陸路で旅行する人のための専用アプリ)に載っていた宿に、目を付けていた宿に投宿。

 

投宿はAuberge Sadio(一泊朝食付き13,000CFA=2,600円) WiFi, 扇風機、ガレージ付き)

(投宿したAuberge  Sadio)

 

2019/6/4(火)タンバクンダ~マリ入国~カイエス(Kayes) 300km

 

タンバクンダを出発して5km進むと最初の25kmのダート区間だった。既存の道路の舗装張替え工事中のため、ダートの迂回路が作られていたからだ。

 

その後も、セネガル出国の国境があるキディラ(Kidira)までの200kmは舗装面が剥がれ、でこぼこの道とダート道と交互した悪路だった。バイクと全身は赤土の埃まみれだ。

(舗装張替え工事中の道路横に作られて迂回路)

 

(道路状態が悪いためトレーラーがひっくり返る)

 

セネガル(Kidira)国境での出国手続きは分かり難かった。 

最初に出国ゲート横にある警察の建物へ行ったが、パスポートへの出国印はそこでは無く、Kidira市内にある別の警察(Police)で受けなければならなとの事だった。

(セネガル出国ゲート付近)

 

(パスポートにセネガル出国印を押してもらうKidira市内の警察署)

 

そのため、当方は国境のゲートから地元の人にオートバイで別の警察へ先導してもらった。

 

 

パスポートへの出国スタンプが済むと、国境があるゲートに1kmほど引き返して、国境ゲート横の税関(Douanes)の係官へ声をかけた。 カルネで入国したわけでもないので、税関では何もやることは無いだろうと判っていたが、後でケチが付くのは避けたかった。 

 

セネガル入国時に5日間の通行許可しかもらっていなかった。 本日は入国後6日目故、通行許可証が失効している。当方からは書類を提示せず、単に「セネガルを出国するが、税関で何かやらねばならないか?」と尋ねた。 税関係官の答えは予想した通り「やることは何もない」だった。

 

枯れ川にかかる橋を渡ればマリ共和国だ。

(セネガルからマリへ通じる国境の橋)

 

 

マリ共和国の入国手続きは以下の通り。

 

国境ゲートをくぐり最初の建物で東京のマリ大使館で取得済みビザを見せ、指紋と顔写真を取られてパスポートに入国印をもらう。 日本政府からの経済援助で入国手続き用機器が寄付されたと建物に表示してあり、係官は友好的だ。500ccの袋入りの冷水(ミネラルウオーター)を係官にもらう。

(マリのDiboli入国管理事務所。係官の上部壁には日本からの援助の掲示板が掛かっていた)

 

入国ゲートから1km程度進むと右手にマリの国旗を掲揚した政府機関らしい建物が税関だ。

ここでオートバイの登録証とパスポートを提示して通行許可書を作成してもらう。カルネは不要。

通行許可書の作成代金は5,000 CFA(約千円)で、領収書が発行される。

 

最後に税関の先200m程度進んだ、道路左側の警察にて税関で作成してもらった通行許可書に押印してもらい手続きが完了。 この警察では悪徳警察官が対応した。「スタンプ押印は2CFA=400円)で、 領収書を発行しない」と言う。

(マリ入国後のDiboli税関建物=Douanes)

 

領収書が発行されない請求はインチキだと思い、「押印が有償かどうか行政官庁に確認する」と当方がスマホをいじりだし、何かを調べているしぐさをしていると、 警察官は何も言わずに通行許可書に押印した。 

 

このような悪徳警察官は国賊だ。国のイメージを台無しにして、有形無形でマリに損害や偏見を与える原因を作っているからだ。

 

マリ入国後の道路はセネガルより立派だった。 またバオバブの木が沿道に多い。 国境から約90km先にあるカイエス(Kayes)の町のHotel Bouna(2つ星)に宿泊。 

 

このホテルもOverlanderのアプリに掲載されていたので予約なしで投宿した。一泊20,000CFA(4千円)WiFi,エアコン及び簡単な朝食付き。敷地内にてオートバイ駐車可能だった。

(KayesのHotel Bouna敷地内)

 

2019/6/5(水)カイエス~バフォーラベ(Bafoulabe) 156km 最悪の道路と熱中症

 

カイエスから首都のバマコへ行きたいのだが、主要道路はマリ北部を通過する。マリ北部はテロ発生の危険性が高く、避難勧告が出ている危険地帯だ。 日本外務省ではマリ全体を渡航禁止に指定しているが、マリを通過しないと先に進めない。 北部を避けセネガル川に沿った地方道を東へ進むことにした。

 

前泊したホテルのスタッフもマリの北部を通過する幹線道路はテロの攻撃があり危険だが、セネガル川沿いの地方道は安全だと公言していた。

 

ホテルから最初の70kmはアメリカ・アリゾナ州のモニュメントバレーのような奇岩が続く風景で見とれていた。 GPSMaps.Meが示すダート道に入る。最初はフラットダートで走り易い。 中国の企業の「一帯一路」の看板があるので、バイクを止めて写真を撮ろうとした。 その時、兵士が写真は撮るな、こっちへ来いという仕草をする。

 

(アメリカ・アリゾナ州のモニュメントバレーのようなテーブルマウンテン)

 

兵士では無く、兵士のような武装警察官だった。 当方が写真をとっているのでスパイの疑いありとパスポート、写真を没収しようとする。 保存されていた写真画像の中にマリ国境の写真もあるので、

「いよいよ怪しい」と警察官が言い出す。

 

20分~30分やり取りしても進展が無い。当方が「日本政府との外交問題になるぞ」と言うと警察官は友好的に解決したいと言い出した。当方は「お金で解決かな?」と思ったが、そのようではない 。理由は分からないが無罪放免となり、この先は進まない方が良い(たぶん悪路のため)と忠告までしてくれる。

 

この先の道路事情を知っていたら、引き返してきた方が良かったのだが。 既にここへ到達するまでにダート道を約20km走行していたので、引き返すのはもったいないと考えた。

 

中国企業がセネガル川に水力発電用のダムを造っている現場へたどり着き、その先には道路が無い。

ダム現場で働く地元民へこの先に進みたいがと道を尋ねたら、「道は険しいけどある」と言うので地元民が示す道へ進む。 獣道のようになっているので当方は道だと気が付かなかった場所だ。

 

地元民が考える道と言うのは車で通行する道路ではないようだ。田舎の集落に住む人々はそもそもその車が無い。徒歩かロバで移動する。要は人やロバが通行できれば道と言うことになる。

(バオバブの木がある生活道路)

(深い砂を避けようとして傾斜がある部分で後輪が滑り最初の転倒)

 

先に進むとまた道が無くなり、どこを通れば分からなくなる。牛の糞が多い場所を見つけて先へ進むと段差がある砂地で後輪が滑り転倒。

 

反対側から中国製のスーパーカブもどきのバイクに乗ってきた若者に助けてもらいバイクを起すとともに、道案内を頼む。暑いのでその若者にミネラルウオーターを分け謝意を伝えた。本来ならば貴重な水はむやみに他人へあげてはならなかった。

 

更に厳しい道になる。もはや道ではない。 段差が激しい獣道、 鉄道の線路わきの人が一人通れる土手道。この土手道は10mの高さにあったので、タイヤが軌道から外れて谷へ転落しないように足を地面ついて歩きながら進むのが精一杯だった。 鉄道用鉄橋の軌道内も何とか通り抜ける。

(幅30cm程度の徒歩かロバ専用の土手の生活道。右側は崖になっている)

 

一番の問題は熱中症だろう。水も無くなり、砂の深さが20cm位になると思うようにバイクで進めない。後輪がスタックしてしまう。水も無いので暑さで気が遠くなり、集中力が失せると砂地で転倒する。

 

3回目の転倒の際には荷物を降ろして、バイクを持ち上げる気力さえ無い。 途中の町バフォウラベ(Bafoulabe)まであと数キロが体力的にも一番きつい深い砂地の悪路となった。

 

バフォウラベの町に到着した時はとにかく水を飲みたいだけだった。本来はバフォウラベからセネガル川を船で対岸へ渡り、200km先のキタ(Kita)が本日の目的地であったが、気力、体力とも無くなり、先へ進むことを断念した。 休憩した雑貨店で当地の宿を紹介してもらった。

 

宿に到着すると安心したためか太ももが痙攣しはじめて、しばらく痛みに耐えベットに横たわり、暑さと熱中症には十分注意せねばと反省する。

 

投宿はHotel Loisir (一泊10,000CFA=2千円)エアコン付きだがWiFi無し。

(投宿のHotel Loisirとオーナー長男のムスタファ)

 

2019/6/6(木)バフォウラベ~キタ(Kita) 250km 暑さで熱中症か

 

前泊の宿のスタッフに本日の目的地のキタまでの道を確認した。全て舗装道路だと言う。

安心して前夜は9:30頃から当日朝8:00まで熟睡したが、体力は回復していないようだ。

 

朝食付きだと宿のオーナー(おやじ)に前日確認していた。朝食をお願いするとなかなか出てこない。町までオーナーの長男がパンを買いに行ったらしい。宿泊客がほとんど居ないので、朝食の材料も置いていないようだ。たぶん本来は素泊まりがスタンダードだろう。

 

30分以上待ってオムレツとパン、そして粉ミルクとインスタントコーヒーで作ったカフェ・オレの食事が内庭のテーブルで準備出来た。食事を終えると宿の長男が、当方に「食事代は払わないのか?」と言う。当方は「おやじは朝食付きだと言ったぞ」と言い返すと、長男はおやじのところへ確認しに行く。親父は頷くだけだったが、どうやら親父が特別に朝食付きしてくれたらしい。 

 

前日夕方この長男は当方がマンゴーが食べたいと言うと町までバイクで出かけてマンゴーを買ってきてくれた親切な男だった。

 

100km走らないうちに体がだるくなってきた。また、眠い。 沿道沿いの雑貨屋で袋入りの冷水とオレンジの味がする氷アイスを求めた。暑い国では氷アイスが旨い。冷水のビニール袋はライダーズジャケットの内ポケットにちょうど収まるサイズだった。しばらくは体を冷やすことができるが、やはり1時間と冷たさが持続しない。

(Mahinaの町のセネガル川を渡る鉄道線路の鉄橋は徒歩やオートバイでも通行可能。車両は不可)

 

(二人乗りバイクで頭に荷物を載せて運ぶ人達)

 

(小学校の前でバイクを停車したら、子供たちが集まって来た)

 

(藁ぶきの集落。マリの自然環境では一番合理的な建築材料と方法だろう)

 

Manantaly村を過ぎたあたりの山中からダート道になった。前泊の宿でずっと舗装道路と聞いていたが、そうでは無いらしい。 100kmの赤土のダート道だ。 氷アイスの水が悪かったのか、ダート道の振動も加わりお腹が下ってきた。気分も悪い。 休憩を入れながらなんとかキタ(Kita)の町へ到着。 

(フラットダートで走行困難は無かったが、バイクと全身が赤土の埃まみれとなる。)

 

(オートバイのエアクリーナーに事前に被せたティッシュペーパーにはべっとりと土埃がついていた)

 

ホテルの予約は無く、2軒目のホテルで投宿。

Hotel Le Relais Touristique(一泊15,000CFA=約3千円) WiFi繋がらず。エアコン、敷地内駐車場有。 

 

2019/6/7(金)キタ~首都バマコ(Bamako) 200km

 

熱中症のため前夜は食欲も無く何も食していなかった。朝食付きというので期待してホテルの食堂に行くと誰もいない。 中学を出たばかり位の若いボーイが朝食を盆にのせて運んできたが、小さいフランスパン風のパンとマヨネーズおよび粉ミルクとネスカフェのカフェオ・レだった。

 

ジャムやバターは無し。 酸っぱい匂いがするマヨネーズをパンに付ける気がしなかった。パンのみ口にしたが味が無いので、半分しか食べなかった。しかし、残したパンはこの先何が起こるかも知れないと思い、持っていくことにした。

 

バマコまでの200km区間は幹線道路で全てアスファルト舗装の道路だった。お腹がすいた。ツーリング中は時間の節約と食後の睡魔が怖いので昼食抜きにしているが、昨夜からほとんど食していないので昼食休憩を取ることにした。

 

幹線道路沿いの小さな町で6~7名の男達が軒先でテーブルを囲み麻雀のようなゲームに興じている。そこに立ち寄り、食べ物があるかどうか聞いた。

(ゲームに興じる男達)

 

そこの主人と思われる男が「食事は有る」と言い、炊いた米をもってきた。 この炎天下では炊いたコメが悪くなっている可能性がある。

 

知らない食べ物でお腹をこわすのは嫌だ。その場で卵焼きを作ってもらい塩分補給を兼ねて塩を多め卵焼きにふりかけて、朝食で余ったパンと共に昼食を取る。炊いて何時間も経過した米よりお腹が下るリスクが少ないだろう。

 

キタからバマコまでの区間は既に雨期に入っているようだ。周囲の景色が今までの乾燥した枯れ木のサバンナから緑の木々が多い景色になっている。高さ10m以上のマンゴーの木もある。マンゴーの木は多くの実を枝にぶら下げている。 甘みを増すための実の間引きをしないのだろう。そのため、完熟マンゴーの実でもとろけるような甘さはない。 酸味がある。

(首都バマコへ通じる道路脇は緑の木が多かった)

 

(マンゴーの木には鈴なりの実がついていた)

 

幹線道路沿いに大きなセメントプラントが2カ所あった。それぞれに立ち寄り取材可能かどうか尋ねた。 うち一つは外出しようとするマネージャーと立ち話することが出来た。 アフリカセメントというモロッコ資本の会社だった。年間50万トンのセメントを生産しているという。 アフリカの発展途上国ではインフラ整備のためのセメント需要は多いのだろう。

(モロッコ資本のアフリカセメントの工場)

 

バマコの物価はセネガルのダカールより高い。330ml缶入りファンタやコーラが400CFA(80円)でスーパーで販売されている。 ダカールでは250300CFAだった。日本の感覚ではコーラ一缶400円だろう。 マリは内陸国故、輸送費がかさむから高いと言う。 コートジボアールの首都アビジャンやセネガル経由輸入品を運び込まなければならない。

 

宿泊は陸路の旅人が多いというSleeping Camelに予約なしでチェックイン。

ただし陸路の旅行者は当方ぐらいしかいなかった。エアコン付き個室共同シャワー、トイレで一泊15,000CFA(3千円)。 中庭にバー兼レストランがあり、バマコに住む欧米人も食事に来るようだ。 WiFiと敷地内駐車場有り。

 

一泊5,000CFA(1,500円)ドミトリー式の部屋もあるが、エアコンが無いため、この暑い時期ではとても宿泊できるものではない。

(バマコ市内のSleeping Camelの建物)