2019/5/26(日)ダフラ2泊目 ブログの更新とモーリタニア入国まで道順確認
過去一週間ほぼ連日移動している。 一週間分の日誌の整理とブログ更新のためダフラでは2連泊する。
(ダフラのImperial Playa Hotelの部屋からの海岸通りの眺め)
オートバイを道路に面したホテル脇の歩道に駐車しているため、盗難やいたずらの心配がある。
オートバイにバイクカバーをかぶせておくと、犬がカバーに放尿する。また、猫がカバーと座席シートの間が絶好の隠れ家となってシートの上で休んでいることが多い。シートの上には猫の臭い足跡や毛がくっ付いている。
前回のツーリング中にイタリア・ナポリでバイク盗難に遭って以来オートバイの保管場所には気を使っている。プライベートの駐車場があるとホテル予約サイトで表示しているが、実際は無かったり、路上駐車と区別がつかないところもある。
鍵がかかる敷地内の駐車場等、盗難リスクが少ない駐車場では日々使わない荷物が入ったサイドバッグとトップケースはオートバイに取付たままの状態にしておくが、敷地内と言っても誰でも出入りできる駐車場や路上駐車場の場合はサイドバッグ等も全てオートバイから取り外すようにしている。
そしてオートバイは前後のタイヤのブレーキディスクにディスクロックを取付た上、直径が5mmのワイヤーをタイヤと門柱のような固定物とつなぐようにしている。
夜の10時以降に晩御飯を求めてホテルの外へ出た。イスラム教徒はラマダン中は昼夜が逆転した生活になる。朝食(日没後の初めての食事)が午後の7:30となっている。商店や飲食店は夜の8:30以降から深夜まで営業する。人々は、それに合わせて家族連れで外出したり、友人たちと喫茶店等で歓談する。 昼間はゴーストタウン化している町は夜になると活気ずく。
(ダフラ夜11時ごろの風景。昼間より人通りが多い)
このホテルのオーナーは首都ラバト出身だが、商売チャンスが多いダフラで観光客相手の旅行会社やグループツアーの会社も経営している。近辺の浜辺は空港が造れそうな大きくて長いビーチが展開している。 欧米人向けのカイトサーフィンの施設も整っている。また、砂漠ツアーの拠点としても使われているようだ。
水産加工も盛んだと言う。この付近の沖合は良い漁場になっており、日本も含む韓国、ロシア等外国の漁船もダフラ港へ寄港すると言う。獲った魚類をダブラで冷凍後輸出しているという。日本のスーパーでもモーリタニア沖でとれたタコが販売されているのを見たことがあった。
(欧米人が多く集まるカイトサーフインの巨大な浜辺)
2019/5/27(月)ダフラ~バルバス(Barbas) 312km
ダフラからモーリタニアとの国境約90km手前のバルバス(Barbas)を目指す。 国境に近いバルバスをモーリタニア入国への出発地とするためだ。
(ダフラからバルバスへ向かう途中の砂漠道)
ダフラの南側に走っている北回帰線を通過する。道路脇に北回帰線(Tropic Cancer)の標識が建っている。標識の上には旅行者の数多くのステッカーが貼られている。北回帰線はアジアでは台湾の台中市あたりを通っている。 北米ではメキシコの中部を通っている。 ここの北回帰線上は緯度の割には大西洋からの冷たい風のためか涼しい。
(ダフラ~バルバス途中の北回帰線標識)
当方とは逆のモロッコ方面を目指してホンダの古いバイクTranslapが道路脇に止めてある。ヘルメットが道路上に置いてある。しかし、ライダーの姿が無い。 ライダーはどうしたのだろうかと思って300m先へ進むと欧米人一人歩いている。 ライダーだと思い、当方はバイクを止めて「問題あるか?」と聞くと、その欧米人は「ガス欠で困っている」という。 素人ライダーだろう。
この区間をツーリングするライダーは200km以上の区間で給油できないことは承知の上で対策を練って走るが、このライダーはそうではない。
話を聞くとパリ在住のフランス人で、セネガルのダカールで中古のホンダTranslapを2千ユーロ(約26万円)で購入してスペインの手前のモロッコまでバイクツーリング中だという。中古で燃費が10km/リッター程度と非常に悪く、燃料タンクを満タンにしても200kmぐらいしか走行できないと言う。 この区間は200km以上ガソリンスタンドがなかったり、あっても販売するガソリンの在庫切れだ。
当方はこんなことを考慮してバイクの後輪横に1ガロン(3.8L)容量の予備のポリタンク(米国ロトパックス社製)を2個取り付けてある。 フランス人に一ガロンを譲り、この先モロッコ方面32km地点にガソリンを販売しているガソリンスタンドがあることを教えてあげた。
砂漠の中、と言っても道路沿いの小さな集落だが、バルバスの村があった。数か月前に同地を通過した知人のライダーがバルバスのホテルに泊まったとブログに書いてあったため、同じホテルで宿泊することにした。
ホテルの庭はオアシスをイメージしたように木々が生い茂り、3階建ての高さには鳥よけか暑さしのぎのネットで中庭が覆われている。オアシスの雰囲気が倍増されていた。
こんな乾燥地帯でもホテルの部屋には蚊がいる。 日本から持参したDeet30の虫よけスプレーを部屋に撒くと後で10匹程度の床に落ちた蚊が見つかった。夜は携帯ベープ蚊取りマットの電池を入れマラリア蚊の対策をしっかり行う。
宿泊Hotel Barbas 共同バス・トイレ使用にて一泊100MAD(約1200円)
(オアシスのようなHotel Barbas)
2019/5/28(火)バルバス~西サハラ(モロッコ)出国~モーリタニア入国~首都ヌアクショット(Nouakchott) 582km
バルバスの宿を午前8時に出発して約80km先のモーリタニアとの国境を目指す。国境直前(モロッコ領)までガソリンスタンドが無いので、前日の最後の給油から240kmの無給油区間だ。
モロッコ側の出入国管理事務所に通じる道路にはモーリタニアへ向かう大型トレーラーが40~50台列を作って出国手続きの順番を待っている。オートバイの機動性を生かして道路脇を進みトラックの列の前に出る。 自家用車やオートバイの出国手続きはトラックとは別のレーンがあった。ただし当方の前で出国手続きを行なっている自家用車は2~3台しかいない。
イミグレーションの窓口でパスポートに出国印を押してもらい、その後モロッコ入国した際に発給を受けた名刺サイズのオートバイの通行許可証に税関でサインをしてもらう。その後、警察に同通行許可証にチェック済みのスタンプを押してもらい出国手続きを終了。手続きには30分程度で簡単であった。
モロッコ出国からモーリタニア入国までの間に砂地と石の荒地が広がっている中立地帯がある。この荒地には道路が無く、車が通行したタイヤ跡を見つけながらモーリタニア入国ゲートまで約1kmの距離を進む。 通行した車のタイヤ跡をはずれると地雷埋設地帯となっているようだ。 モロッコ軍が過去に西サハラ独立勢力を抑えるため地雷を施設したようだ。
(西サハラ=モロッコ実効支配中とモーリタニアとの中立地帯は道路なき荒地)
モーリタニアの入国手続きも簡単だった。 自称入国管理事務所のアシスタント名乗る男が英語で入国手続きを説明しようとする。たぶん有料の入国お助け業者だろうと思い、サービスを断る。自分自身で入国等の手続きは可能だ。
入国後の最初の建物(平屋で2部屋しかない小さい建物)でビザを発行してもらう。手の指紋をとり顔写真も撮影する生体認証のビザだ。ビザ代は55ユーロで領収書を発行する。 次にビザを取得した建物の次の建物(平屋で小さい)でモーリタニアの入国印をパスポートに押印してもらう。
その後、30~50m先にある税関(Duanes)へ行き、オートバイの登録証書を見せて、モーリタニアの通行許可書を作成してもらう。通行許可書の作成料金は10ユーロ。領収書が発行される。
最後に警察(Police)の建物でビザの上に押印を受けて終了。40分程度の手続きだった。
税関のゲートを出たモーリタニア領内に保険(Assuance)の看板文字の店があった。また、ソシエテ・ジェネラル銀行の支店もあり銀行ATMでカードキャッシングができる。
248ウギアで(約750円)3日間有効のオートバイ保険に加入。1週間の有効期限は10ユーロ(1300円弱)。 その後モーリタニアを走り抜けるまでに十カ所以上の検問所で通行許可書(検問を行う警察官からフィッシュと呼ばれていた)とパスポートの提示要求を受けるが、保険に加入しているかどうかのチェックは一切なかった。
モーリタニア入国後は国境から40km入ったヌアディブ(Nouadhibou)にて宿泊することを当初考えていたが国境通過したのがまだ13:00と早かったため、国境から約480km南下したモーリタニア首都のヌアクショット(Nouakchott)までその日のうちに走り切ることを決める。
入国後200km進んだところに町があった。道路沿いには食料、衣料品、日用雑貨等の商店が立ち並び、休憩する人や買い物客で賑わっていた。その町には入国後初めてガソリンスタンドが3軒あった。3軒目のガソリンスタンドでガソリン(フランス語でEssence)をやっと給油できた。
(モーリタニア入国後の幹線道路沿いの民家は小さな質素ものだった)
(3軒目のガソリンスタンドで給油出来た)
何もない荒涼とした荒地と砂漠の道を急ぐが、250ccクラスのオートバイでは快適な巡行速度は時速80km~90km程度なので、ノアクショット市内に入ったのはすっかり暗くなった午後8:30頃であった。 道路を走行している車がボロボロで前照灯や方向指示器がない。町も暗い。通りのロータリーでは後ろから来た車に危うくぶつけられそうになる。
この日も宿の予約は無かった。目を付けていた35~40ユーロ台(4千円~5千円)ホテル数軒へ行ったが、シャワーのお湯が出ない、トイレの水が流れない、掃除されていない、WiFiが故障中等期待外れで、走行中に目に入った4軒目にチェックインしたのは午後の11時となっていた。
宿泊はEmira Hotel 一泊素泊まり 2万ウギア(約6千円強)
2019/5/29(水)ヌアクショット 2日目 宿を替わり、たまっていたツーリング記録を付ける
前日夜にヌアクショット入りしたので町の様子が暗くて良くわからなかった。
低層の建物が多い平らな都市だ。道路の幅が広く、また道路の横にも幅30mくらいの未舗装の空き地が路側帯の様に道路と並行してあるので余裕がある感じだ。会社人時代に飛び回っていた中近東のサウジアラビアの高層ビルがあまり無い時代の首都リヤドやクウェートのような雰囲気だ。
(道路脇に空き地が多い余裕ある市街地)
黒人が多い。黒人とアラブ系のムーア人の混血が人口の4割、黒人が3割、そしてムーア人(アラブ系)が3割となっているので、国民の7割が黒人の血を引くことになっている。
ブラックアフリカの入口だ。
砂塵が多いので男はミイラのように顔全体を布で覆っているのもモーリタニアの民族衣装の特徴だろう。
(ヌアクショットの街中で顔を覆う男達)
昼間見ても多くの車がほんとうにぼろい。スクラップ以下だろう。前照灯や方向指示器は無い車が多い。また窓のガラスも無い車も見かける。経済にお金が回っていないのだろう。
(ヌアクショットの街中。前照灯やウインカーが無い車が多い)
経済統計では一人当たりの国民所得は千米ドル強(約11~12万円)になっている。月給にしたら1万円だ。中世の時代にはサハラ砂漠越えの商隊の中継都市として栄えた町が内陸部にあったというが、今の重要産業は内陸の石炭とタコやイカ類の水産業だという。 前日石炭を運ぶ約150両編成の鉄道を道中で見た。 日本での輸入タコの3割がモーリタニア産だという。 この国にはまだ株式市場がない。
(石炭列車。貨車は150両超あった)
前日の宿から車やバイクで旅行する外人が集まるとい宿(Auberge Menata)へ移ったが、ラマダン中なのか宿泊客はほとんどいない。 通常千ウギア(約3千円強)の個室を5百ウギア(約1,500円)に値切って宿泊する。ただしラマダン中は町中のWiFi使用者が多くて、宿のWiFiは使用できなかった。
休憩と今までの走行記録、支出等をまとめる事務作業にちょうど良い日だった。
宿泊はAuberge Menata 一泊素泊まり5百ウギア(約1,500円)
2019/5/30(木)ヌアクショット~セネガル入国~サン・ルイ(St. Louise) 300km
モーリタニアからセネガルへと国境越えの時間を考慮して午前8:00に宿を出発。
ヌアクショットの市街地は広いので、中心部から約20km先まで進まないと郊外にならない。
ヌアクショットから南へ80km先までの道路は真新しかった。しかしその先は工事中のため、砂の迂回路を通る。ところどころが10cm~20cmの深さの砂になっている。ツーリングに使用するバイクをセロー250にして良かったと思う。この軽量バイクでも砂の深いところでは前輪を砂に取られて転倒してしまった。
ヌアクショットから170km進んだ地点で行き先が2つに分かれる分岐点となる。真っすぐ行けば主要国境のRossoだが、ここは出国時に悪徳警察官等にお金を理不尽に要求されると悪名高い。
右の方へ進めばマイナーなDiama (Barrage de Diama)国境だ。
多くのライダーはモーリタニアからの出国とセネガル入国が容易なDiama国境を選ぶ。当方もDiama方面へと向かった。
国境手前から約50kmほどが20~30cm幅でスレート上に波打った堅い土のダート道となる。小さく波打った路面が走りずらい。 オートバイ後部のトップケースにいれているパソコンが揺れで壊れるのではと心配したほどだ。砂の道では無いので転倒のリスクは少ないが、路面の細かな凹凸には閉口する。
(モーリタニアからセネガル国境へ通じるダート道で出会ったオーストラリア人。 アフリカ一周に挑戦中)
このダート区間はセネガル川沿岸沿いにある葦の湿地帯で国立公園にもなっている。このあたりではもはやラクダは見かけない。水牛が道路沿いの湿地帯で水を飲んだりしている。また真っ黒な色のイノシシも多い。 オートバイの音に驚いてかオートバイの直前を猛スピードで道路を横切る猪が多い。この湿地帯で20頭ぐらいの猪を見た。
(左側がセネガル川の湿地帯)
ダート道の終盤部分で公園通行料として200ウギア(約600円)徴収される。領収書がでるので
インチキでは無いだろうが、通行する車両は稀だ。
モーリタニアの出国手続きは思ったよりスムーズだった。出国手続きは以下の通り。
まずゲート付近の外で出国税50ウギア(約150円)を払う。印刷した領収書が発行されるのでインチキな請求では無いようだ。
最初の建物でオートバイの通行許可書上に係官の署名をしてもらう。
次の建物でパスポートに出国印を押印してもらう。この係官が請求書のような小さな紙が貼ってあるノートを見せながらお金を払えと言う。机の上には他の出国者がお金を払ったかのようにわざと紙幣が置かれている。
当方は「お金は払わない」と言うと相手はあっさり要求を引っ込める。
最後の建物(Policeと表示されている建物)でオートバイの日本の登録証書とモーリタニアの通行許可書を提示すると、係官がデータをパソコンに打ち込む。そこでもお金を要求されたが、当方がきっぱりと断ると、係官からそれ以上のお金の要求は無く手続きが終了。
(モーリタニア川のBarrage de Diama国境)
モーリタニア出国後は幅80mくらいのセネガル川の橋を渡りセネガル領に入るが、橋を渡ったところで通行料4,000CFA(約800円)を請求される。 「地元の人たちは通行料を払っていない」と当方が主張するも通じない。しばらくその場で待ったが、 お金を払わない限り通行させないと言う。当方の後ろで列ができてしまったので、渋々通行料を支払い入国ゲートへと進む(領収書はでるが、地元民が通行料無しで往復するのは納得できないと感じる。)
(この橋を渡るとセネガル領となる)
セネガル入国手続きも簡単だった。
まず、入国管理の小さな建物でパスポートに入国印を押してもらう(日本国籍はビザ不要)。
次に税関でオートバイの通行許可書を作成してもらう。国際運転免許所、日本のオートバイ登録証書とパスポートの提示を要求される。5日間有効の通行許可証の代金5,000CFA(約千円)を現地通貨で支払う。(領収書も発行)。
国境には銀行は無いが、両替人(闇)が大勢いるので現地通貨の調達は簡単だ。
ここではブランカードなる西アフリカ諸国共通のオートバイ保険に加入せず、国境から約40km先のセネガル第二の都市サン・ルイ(Saint Louise)で行うことにした。 事前にブログ情報で国境で販売されているブラウンカードは偽物が多いと聞いていたからだ。
サン・ルイは町の中心部の景観が世界遺産に登録されているというが、漁港地区の水際は多くのごみが捨てられている。あまりにも汚い。 人が多い。はだしの子供達が多い。 モーリタニアより道路状況や車が良いので、経済水準が高いのかと思っていたが、人々の生活は厳しいようだ。子供たちは物乞いに寄って来る。大人もしかりだ。
(世界遺産のサン・ルイの島)
(サン・ルイの漁港)
ホテルも数軒まわったが、値段の割には質が伴っていない。 バイクではたどり着けないような深い砂地の中にあるホテル等。最終的にはあるホテルで案内された市内中心部の安宿に決めた。狭い間口からオートバイを建物内へ入れ、建物内に駐輪させてもらう。
宿泊はAuberge La Vallee 素泊まり15,000CFA(3千円)
2019/5/31(金)サン・ルイ~セネガル首都ダカール(Dakar) 270km
午前中に携帯通信会社のOrengeでSIMカードを購入。宿の主がOrengeの代理店までわざわざ連れて行ってくれた。最初は手数料でもあとで吹っ掛けられるのではと宿の主を警戒したが、そうではなかった。 SIM代金は5,000ウギア(約千円)で、データ通信1GBと1,000ウギア分の通話が可能。
(サン・ルイの中心部)
町の中心にあるAXA(フランスのアクサ)の看板を掲げる保険代理店で西アフリカ諸国共通のオートバイ保険に加入。料金は2ヶ月で17,350CFA(約3,500円)。因みに3ヶ月では23,350CFA(約4,700円)。保険有効国はセネガル、マリ、コートジボアール、ガーナ、ブルキナファソ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア、ガンビア、ギニア、ギニア・ビサウ、シエラ・レオーネ、ニジェール。
銀行にも行ってATMでキャッシングをする。 BICISと言うフランスのPariba銀行系列でVISAカードでキャッシングが出来た。近くのWestern Union Bankでは日本のVISAもMasterカードでもキャッシング出来なかった。
宿を出発する直前にアフリカをバックパックで一人旅をする近藤さんと名乗る日本人女性が同じ宿にいたことを知る。同女史はダカールからバスで陸路北上してきて、2日後には陸路でモーリタニアへ向かうということだった。アフリカ諸国を女一人旅とは心が強い女性だと思った。
サン・ルイからダカールまでの幹線道路はよく整備された対面通行の道路だった。 人口が多いためか、幹線道路沿いには町や集落が多い。町に入るとハンプス(Humps)という道路面を凸面にした
強制的にスピードを下げさせる突起が多い。 そのため、ルート区間が日本の東京~名古屋程度の距離でも時間がかかる。 また、道路沿いに樹木が多く遠くまで見渡せないため、スピードが出せない道路でもある。
(サン・ルイからダカールへの道は木々のため前方の視界が悪い)
(道端で休憩中子供たちが寄ってきた)
サン・ルイからダカール方面へ100kmくらい進んだ道路上で警察官が車を止めている。警察官のとまれと言う合図で当方も止まった。 警察官は「運転免許証」を見せろと言う。日本の運転免許証を当方の手からもぎ取るように奪うと、ブレーキランプが作動するか等車両の整備状況を確認しようとする。最後には当方が路上に緊急駐車する際使用する三角の反射板を保持していないので2,000CFA(約400円)払えと言う。
この警察官は通行する車を止めて、言いがかりをつけているようだ。セネガルで悪徳警察官は考えていなかったので、当初この警察官の意図が判らなかった。
15分ぐらい押し問答したがラチがあかない。当方はしびれをきらせ「日本大使館へ電話するぞ、名前はなんだ」等怒って言い始めると、警察官の態度が急に軟化して運転免許証を返却してくれる。
道路沿いはやはり乾燥した土地だ。かろうじて乾燥に強い低木が育つ程度で耕作は出来ない。
牛とヤギが多くなる。これだけ人が多くてどのような手段で生活を得ているだろうか?
ダカールが近づくと日本の首都圏のような立体の高速道路がある。高速道路周辺には建設中のビルの姿を見かける。これからビル等の建物が建つだろうと思える広い区画も目に付く。 新興の経済地区として発展していくのだろう。
(ダカール市内に入る有料高速道路。周辺は新興のオフィースが建設中だった)
ダカール市内の交通渋滞は酷い。南米のボリビアの首都ラパスやペルーの首都リマの交通渋滞がひどいと思ったが、ダカールはそれ以上に酷い。オートバイの機動性を活かして、すり抜け等で進むが、ロータリー(ランドアバウト)では全く進まない。他のバイクは反対車線の横を走ったり、歩道も走ったりするので、当方もそれを真似して、なんとか宿まで辿り着く。
宿泊は日本人ライダーと会えることを期待して日本人宿のシェ山田とする。個室一泊素泊まり15,000CFA(約3千円)
2019/6/1(土)ダカールでオートバイのエンジンオイルの交換(ダカール2泊目)
ダカールではオートバイのメインテナンスするため連泊するつもりだった。
また、セネガルから先の情報も得たかった。特に建物等の爆破テロが多発するマリを通行するかそれともギニアを通行するかの岐路がセネガルだ。
インターネットでオートバイ販売店を調べてバイクショップ3軒を回った。1軒目はシャッターが下りていた。しかし若者が当方を引き留めてオイル交換できるのでしばらく待ってくれと言う。エンジニアが30分くらいで来ると言うがあてにならないので、他のショップへ向かう。
2軒目のショップはスクーターの完成車のみを販売する2坪程度の店だった。整備は行っていないのが一目瞭然なので、次のDakar Motoなる店を目指した。
露店が多い一角にオートバイの部品屋のようなカウンターがある店を発見。整備をするようなガレージは無い。路上にバイクが10台程度止めて有り、全て路上で簡単作業を行っている。
エンジンオイルの販売と作業は別々だ。作業をする人と工賃の交渉をする必要があった。チェーン洗浄剤が無いので水での簡単なチェーン洗浄も依頼。
(エンジンオイル交換を行ったダカール・モト)
10Wー40仕様の聞いたことが無いスペインブランド(Olipes)のエンジンオイルが3,000CFA(1L)=約600円、オイル交換とチェーンの水洗いで3,000CFA(約600円)。チェーン洗浄をするなら洗浄剤を持ち込む必要があるとのことだった。 宿に戻ってからバロセロナで購入したMotulのチェーン用スプレー缶でチェーンに注油する。
ダカールには屋台や露天商が多い。道路上ので物売りも多い。セネガル人の商人魂はなかなかだ。
マンゴーを露天商で買い求めた。 交渉しても値段を下げない。熟れた20センチ大の大きなマンゴーひとつとまだ熟れていない小さいマンゴー2つの3個セットの言い値が1,000CFA(約200円)。
販売しているおばさん風は値引きをしない。交渉の末、熟れていなかったマンゴー2つを熟れたものに交換して交渉が成立。
(人と露店が多いダカール市内)