日本出国~スペイン・バロセロナ~バレンシア~アルメリア~アルへシラス(スペイン出国)~タンジェ(モロッコ入国) 1,267km(2019/5/13~5/18)
ゴールデンウイーク直後の日本最後の週はカメルーンのビザ申請と4月上旬に横浜港からスペイン・バロセロナ港へ海上輸送したオートバイの到着・通関予定日等の確認であっという間に終え、いよいよ日本出国の日となった。
成田空港からモスクワ乗り換えのアエロフロート・ロシア航空機でバロセロナへと出国した。
国際便でアエロフロートに乗るのは初めてだった。サラリーマン時代にモスクワに駐在したこともあったが、国際便で使用するのは避けていた。万が一ハイジャックされた場合、ロシア政府はハイジャック犯の要求には応じなく、最悪の場合には自爆あるいはロシア空軍機に撃墜されるリスクが高いと考えたからだ。
アエロフロート機は航空運賃が安いことはもとより、バロセロナへの乗り継ぎ便が良いため、日本出国日の同日にバロセロナへ到着でき、時差ボケが少ないメリットがある。スカイスキャナー(格安航空券のインターネットサイト)で予約しても、アエロフロート社のネット予約でも運賃にあまり差はない。アエロフロート社のネット予約では多少の追加コストを支払えばキャンセルや日程の変更が可能だったので、アエロフロート社のサイトでネット予約を行った。バロセロナまでのエコノミークラスの片道運賃は約5.8万円。
ゴールデンウイークの2週間前ぐらい前からゴールデンウイーク中まで期間の運賃は35万円前後まで跳ね上がっていたので、出国タイミングを延期して航空運賃が安くなるまで待った甲斐があった。
バロセロナには日本出国と同じ5/13(月)の23:00に到着。翌日5/14(火)にはバロセロナ港でオートバイの輸入通関を行なってくれたMPG社(横浜港から輸送を担当してもらったスキャンウェル・ロジスティックス社のパートナー)の社員と一緒にバロセロナ港の保税倉庫でオートバイを受け取るだけになっていた。
ただし、輸送関係の費用を最小限にするため、バロセロナ港で受け取ったオートバイが入った木枠梱包を自分自身で解体する必要があった。その場で借りたバールを使って木枠を壊していくのだが、頑丈な梱包にてこずり木枠梱包を手作業で解体するのに1時間以上かかる。
(バロセロナ港の保税エリアで木枠梱包を解体)
解体終了後にオートバイでバロセロナ市内へ乗り出して、オートバイ用品を調達せねばならなかった。チェーンオイルとタイヤパンク修理時にタイヤに空気をいれる為の圧縮空気が入った携帯ボンベだ。圧縮空気のボンベはオートバイ用品店を約4軒回ってやっと発見した。米国ガーミン社製のカーナビ用の西アフリカの地図ソフト(マイクロSDカード)の調達も考えていたが、バロセロナにあるガーミンショップでは在庫は無いということで諦めた。
オートバイを受け取れば、バロセロナに留まる理由は無い。
宿泊はCasa de Barca 2泊85ユーロ(10,700円)
(バロセロナのカテドラル前のこの階段で15世紀コロンブスがイサベル女王へアメリカ大陸発見の報告をしたとされる)
2019/5/15(水)バロセロナ~バレンシア 380km
スペイン最南端の港町タリファ(Tarifa)からモロッコへフェリーで渡るため、バロセロナからタリファまで
最短距離となる地中海側沿岸を3泊しながら約1,300kmの距離を走る計画だ。
(地図上の赤の印の場所が宿泊地。 ただし、スペイン最南端付近の3つの赤印は宿泊地のタリファ、フェリー出航地のアルへシラス、モロッコ入国地のタンジェ・メッドの港をそれぞれ示す)
初日はバロセロナから地中海沿岸部にあるバレンシアだ。バレンシアはオレンジの産地、スペイン料理で親しまれているパエージャの本場だ。
カーナビ(ガーミンとスマホのMaps.Me)に従って進むも、カーナビは有料の高速道路(Autopista)しか示さない。 有料高速道路上にはガソリンスタンドやトイレがあるサービスエリアが無い。
休憩所のサインがある道路脇の駐車スペースとテーブルと椅子が備えつけられている屋外の敷地にはトイレがなかった。男女ともちょっと離れた深さ1mくらいの窪地まで足を運び野外で用を足している。
有料高速道路なのにトイレぐらいは備えてほしい。
スペインの道路網は有料の高速道路を通行しなくても、無料の自動車専用国道(Autovia)が整備されていること思い出して、バロセロナから約100km走行後、無料の自動車専用国道を走行することにした。 自動車専用道路(無料国道)沿いはガソリンスタンドが沿道沿いにあるので便利である。
バレンシアが近づくと田園風景もある。バレンシア付近はスペインの米作の産地としてもも有名だ。
宿泊はArbergue Juvenil CM Galileo Galilei 一泊33.35ユーロ(4,200円)
(道路沿いのオレンジ果樹園)
(バレンシア付近の田植えを終えたばかりの水田)
(バレンシア大学の学生寮の一部がユースホステルとなっている。ホテルより広い清潔な個室だった)
2019/5/16(木)バレンシア~アルメリア(Almeria) 452km
地中海道(Autovia de Mediterraneo)を更に南下するが、ルートの大部分は乾燥した内陸部を通過する。殺風景な灌木や禿山しかない地域である。
スペインの国土はアメリカの乾燥地帯であるアリゾナ州やメキシコの北部よく似ている。メキシコやアメリカ西部を発見して入植したスペイン人が故郷の風景や気候に似て気に入ったとか本で読んだことがあった。
バレンシアとアルメリアの途中にムルシアという農業が盛んな県を通過する。イメージ的には日本の長野県だろう。オリーブ、オレンジ、ブドウ等の果樹園が道路脇に広がる。 車の通行が少ない割には片側2車線の立派な無料の高速道路が走っている。経済性は無視したような道路だ。 EUからの補助で政治主導で作られた道路だろう。
(バレンシア~アルメリア 移動途中の無料の自動車道)
宿泊地のアルメリアはスペインでも忘れられているような存在感が少ない地中海に面した県庁所在地だ。首都のマドリッドから一番遠いこともそのようにさせているのだろう。
南米や中米を春から夏にかけてツーリングしていた時に町の公園でよく見かけた紫色の花が咲くジャカランダの木がアルメリアの公園にも植えられていた。アルメリアのような地中海側南部の都市は南国情緒を醸し出すヤシの木やソテツの木が街路樹として植えられているが、ジャカランダの木があるとは珍しい。
町で見つけたキムコ(台湾のスクーターメーカー)とホンダの看板を掲げるバイク店で初回のオイル交換をしてもらう。料金は工賃込みで35ユーロ(約4,400円)と日本より高い。
宿泊はTorreluz Senior Hotel 一泊47.6ユーロ(約6千円)
(紫色の花をつけたジャカランダの木が映えるアルメリアの中心街)
2019/5/17(金)アルメリア~タリファ 383km フェリーの問題発覚
モロッコのタンジェ(Tanger)へ渡るフェリーが出るタリファの町を目指してコスタ・デ・ソル(太陽海岸)沿いを西へ移動する。
最初のアルメリア~マラガの200km区間は地中海沿いの殺伐とした岩だらけの小山の中腹に作られた自動車専用道路を走る。海からの高さは50m~70mくらいのため、地中海から吹き寄せる強風でバイクがふらふらする。 地中海も強風のため白波がたっているのが良くわかる。
(地中海沿いをアルメリア~マラガへ続く道)
途中に休憩所らしきところも無いので一気に200kmの距離を走り、やっとマラガ近くのガソリンスタンド併設のカフェテリアで軽い昼食休憩を取る。オートバイを運転していると眠くなるので頻繁に休憩を取る必要があるが、道路脇の路側帯で休憩するしかない。
マラガの後にはトレモリーノス、マルベージャといった海岸沿いのリゾート地を通過するため道路が混雑する。
18世紀からイギリス領となっているジブラルタル半島を過ぎれば、タリファは目と鼻の先だ。
ここ辺りからはアフリカ大陸とヨーロッパを隔てている地中海が一番狭くなるジブラルタル海峡になる。ジブラルタル海峡を挟み対岸のモロッコの山が見える。ジブラルタル海峡は狭いところでは幅が10km程度しかないため、アフリカ大陸は目と鼻の先だ。
(タリファ手前の峠の展望台からジブラルタル海峡の対岸モロッコを見る)
バロセロナではオートバイの輸入手続きを代行手続きをしてくれた業者から当方がスペインから出国する際は一時輸入の許可の失効手続きを代行するので連絡してほしいと言われていた。
当方が直接手続きを行なうこともできるし、輸入代行をした業者が失効手続きを行うこともできると聞いた。
どのような手続きになるのだろうかと少し心配して、タリファのフェリー乗り場の国境警察事務所で当方の事情を説明したところ、タリファ港からでは一時輸入許可の失効手続きは出来ないので20km程離れたアルへシラス(Algeciras)のフェリー乗り場から出国せよと指示された。
嫌な予感がしたが的中した。 既にネット予約していた翌日のフェリーの乗船予約の変更を船会社(FRSフェリー社)の窓口で行い、翌日のアルへシラス港からの出国に備えた。
宿泊はHostal Tarifa 一泊50ユーロ(約6,300円)
(タリッファは小さな町だった)
2019/5/18(土)タリファ~アルへシラスからスペイン出国~ジブラルタル海峡~モロッコ入国~首都ラバト
322km
前日タリファ港での国境警察にアルへシラス港にて出国手続きを行ってほしいと言われたため
前日通過したアルへシラスまで引き返す。
(ジブラルタル海峡付近の地図。上部の陸側がスペイン。下側はモロッコ。フェリー船はアルへシラスから点線の航路図先にある
赤印のタンジェ・メッド=Tanger Medへと渡る)
アルへシラスの港はフェリーのみならず、貨物の輸出入等を行う埠頭も備える大型港だ。
アルへシラス港からはモロッコのタンジェ・メッドのみならずアフリカ大陸の飛び地にあるスペイン領のセウタへもフェリーが運航している。
フェリー乗り場はすぐにわかったが、フェリーへの乗船を待つ一般車両は10台にも満たない。
コンテナーや荷物を運ぶ大型トラックは一般車両とは別のヤードでフェリー船への乗船を行っていたが20台も無いだろう。 2千~3千トンクラスのフェリー船には少なすぎる車両だ。
フェリーの旅客数は数十名といったところで、超閑散な状態だった。今はラマダン(イスラム教徒の断食月)のため旅客数が少ないという。
(アルヘシラスのフェリー船乗り場。写真背後のFRS社のフェリーに乗船)
フェリー船にはカフェテリアもあるが、旅客の大部分は断食中のモロッコ人のためか開店休業中であった。フェリー船内でモロッコへの入国手続きを行なう。
モロッコのタンジェ・メッドへは90分の船旅である。ジブラルタル海峡の一番狭い場所は幅が10km程度と言うが、フェリーの航路は海峡を斜めに通過するため時間がかかるようだ。 海上の風は強く白波が立っている。
10km程度の海峡なら泳いで渡れるかなと思っていたが、波が高く、海流が速いため人力で海峡を渡り切れるものではない。 ジブラルタル海峡の海上からは高さ約400m強のイギリス領ジブラルタル半島の岩山がランドマーク的なシンボルとなって目立っている。 イギリスが地中海を抑える戦略的な場所として18世紀の条約で手に入れた唯一の海外領土を現代にいたっても手放さないのは頷ける。
この海峡は、19世紀初頭のナポレオン戦争時にイギリス軍とフランス軍・スペイン軍の共同艦隊が戦ったトラファルガー沖の海戦として歴史に名を残した場所でもある。
(フェリー船上から見たジブラルタル半島の岩山)
モロッコ側の入国は簡単だった。 国境には有料で国境通過の手続きを手助けしてくれる個人業者がいると聞いていたが、ここにはいなかった。旅客が少ないのでたまたまいなかったのかもしれない。
パスポートとオートバイの登録証書を係官に手渡し、荷物検査をしている間に係官が名刺大の一時輸入許可書と思われるカードを手渡してくれた。「重要な書類故無くさないように」とアドバイスを加えて。
パスポート審査と税関検査のゲートを通過すると銀行のATM等がある駐車場のような広い敷地があった。4~5名ぐらいのユニホーム姿の若者が止まれとの合図で呼び止める。聞くと携帯電話会社の販売員でモロッコの携帯SIMカードを販売しているという。 1ヶ月の有効期限にて20GBのデータ通信、14時間のモロッコ国内の無料通話、3時間の無料国際通話(欧州とアメリカ)付きで20ユーロ
(約2,500円)と言う。
(モロッコのタンジェ・メッドのフェリー船埠頭)
(タンジェ・メッドで入国通関終了後モロッコへ乗り出す)
半分ぐらいのサービスの通信・通話量だったら、買いたいと当方が申し出たが、20ユーロのパッケージしかないと言う。 勧誘を断ってバイクを発進しようとしたところ、10ユーロで半分のサービス容量のSIMカードがあるというのではないか。
この辺りはアラブ流の交渉だ。当方は会社員時代中近東のバーレンに約6年駐在したことがあった。
アラブ人は当方が相手の要求を断り商談は不成立と席を立ったときから、相手が真剣に商談に乗り出すのが普通だった。商店で買う時もそうだった。 当方が「商店主の言う値段が高いから、買わない」と言って商店の外に出ようとすると、商店主が「ちょっと待て、店内の奥でもう少し値段を話そう」と言ってくるのが常だった。
スペインとモロッコには2時間の時差がある。モロッコ時間がスペインより2時間遅れているのでモロッコ側へはスペイン時間14:00に到着したが、モロッコ時間では12:00正午だったのには助かった。
モロッコの側の入国地タンジェ・メッドから本日の目的地である首都のラバトまで280kmの距離がある。陽が高いうちに地理に不案内なラバトに到着したい。 タンジェ・メッドからラバト間は有料高速道路で結ばれている。 交通量が少ないので走り易い。また、道路の舗装状況も悪くない。
(タンジェ・メッドからさほど遠くない町の家並みはカラフルだった)
(首都ラバトへ向かう途中の高速道路)
ラバトへ至るまでの景色は想像以上に緑が多かった。高速道路沿いにはなだらかな牧草地、灌漑が行き届いた畑、 植林されたコルクの木や松の林、 野菜や果物のグリーンハウスが道路沿いに広く展開している。 スペインの乾燥した土地に比較すると豊かな国土ではないかと思う。
(モロッコ北西部は緑が多く、牧草地、畑が展開していた)
ただし、平均所得が欧州の約1/10(一人当たりの国民所得は3千ドル=33万円)程度を反映して、高速道路脇の農道では運搬手段としてロバや荷馬車を良く見かけた。
投宿はHotel Texuda 1泊 560ディラハム(約6,300円