当方の世界一周ツーリング(ユーラシア大陸横断と南北アメリカ縦断)のお話会(報告会)を下記の通り行います。
予約不要でどなたでも入場可能。
日時 : 2018年9月30日(日曜日) 14:00~16:30 (途中休憩有り)
開場 : 13:30
会場 : 東京都大田区立 池上会館 中研究室 (収容人員65名程度)
会場住所 : 東京都大田区池上 1-32-8
入場料 : 500円
主催 : ワールド・ツーリング・ネットワーク・ジャパン(略称ワッツー)
交通 : 東急池上線 池上駅下車 徒歩7分
終了後、会場近場の居酒屋で懇親会予定(懇親会参加希望者の参加費は現地にて別途徴収)
(赤線は世界一周ツーリングの走行ルート。
走行ルート: 鳥取県境港からフェリーでロシア極東のウラジオストックへで渡航。ウラジオストックからポルトガルのロカ岬までのユーラシア大陸横断。スペイン・マドリッドからアルゼンチンのブエノスアイレスへ空路で移動後、南米最南端のウシュアイアを目指す。その後、南米をチリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビアと北上して、中米・メキシコを経て米国へ入る。米国からカナダを経てアラスカまで行く。アラスカから南下して米国西海岸のロサンゼルスから帰国)
海外ツーリングの動機と実行に至る過程
1970年代初めの中学生の時に「20歳になったら世界一周のオートバイツーリングを実行するんだ」と夢見ていたが、20歳の時はスペイン語学習やスペイン留学のため、オートバイツーリングの夢は果たせず。
サラリーマン時代の40歳半ばにして、アメリカ人の著名投資家ジム・ロジャーズ氏の「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行」の本に出会い、半ば忘れかけていた世界一周ツーリングの夢が呼び起こされる。
(ジム・ロジャーズ著作の本。 オートバイでの世界一周ツーリング(1990年)とその後のベンツでの世界一周ツーリング)
(ジム・ロジャーズ氏のオートバイでの世界一周走行ルート 1990年~1991年)
(ジムロジャーズ氏のベンツで世界一周の走行ルート 1998年~2001年)
それからカワサキのW650を購入して日本を走り始め、サラリーマン時代の海外赴任先(スペイン)でもトライアンフのボンネビルを購入してスペインを走る。 会社を退職したら絶対世界一周のバイクツーリングをすると心に誓う一方、休暇利用してロシアのバイカル湖周辺やウズベキスタンの下見も行った。
(スペインではトライアンフ・ボンネビルを購入 2006年)
(ウズベキスタンのサマルカンドの通り 2010年2月)
(ロシア・シベリアのバイカル湖 2010年6月)
定年退職(60歳)5年前にワールド・ツーリングネットワーク・ジャパン(ワッツー)を知り、ワッツーでの海外ツーリング経験者のお話会(報告会)等を通して海外ツーリングの情報集めを始め、定年退職5ヶ月後の2017年5月下旬に満を持して世界一周ツーリングに出発。
海外ツーリングの目的
バイクツーリングを通して通過各国の国や人々を知ることはもちろんながら、サラリーマン時代の同業の先駆者であるジム・ロジャーズ氏を見習い、証券投資の機会を探るため訪問国では証券取引所に訪問したり、調査機関から経済動向の情報収集を行うことも兼ねることとした。
お話会(報告会)で話すこと
思い出に残ったルートと国やハプニングについて写真スライドを利用しながら話す。
具体的には、ユーラシア大陸横断では、ロシアの極東シベリアで初めての転倒を経験した石だらけの厳しい道路と寒さ、心暖かいロシアの地方の人達、オートバイを盗まれたイタリア・ナポリ、あまり注目されていない旧ユーゴスラビアの国々(セルビア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツエゴビナ)
南米ツーリングでは、聞いていたより厳しいアルゼンチン経済、風が強かったパタゴニアの道、運送トラックのストによる道路封鎖で走行ルート確保に苦労したボリビア、運転マナーが劣悪なペルー、想像していたより豊かなコロンビア。
中米では思っていたよりスムーズだった国境越えと馬車が中心的な移動手段のキューバ。
北米では思ったより小さく映ったアメリカと北米で一番面白いツーリングルートはアラスカハイウェイ等。