サン・フランシスコ~ロサンゼルス(最終地点)7/18~7/23 1,110km | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

7/18() サン・フランシスコ~サン・ラファエル~マセード (Merced) 310km

(地図左上がサンフランシスコ、地図の左下がロサンゼルス。ピンク色が走行ルート)

 

日本へオートバイを輸送する日本の専門業者と連絡を取り合っているが、当方が知りたいアメリカでの通関等の手続きについてなかなか連絡が来ない。

 

日本の専門業者が提携しているアメリカ側の通関業者がサン・フランシスコの北約30kmに位置するサン・ラファエルの町に所在することが判かったので、その通関業者を訪ねた。

 

やはり直接通関業者に会って話しをすると疑問に思っていたことや懸念していたことが解決した。 書類でのオートバイの船積み手続きはアメリカの通関業者が代行するが、輸出申請は当方が税関へ赴き、税関窓口で船積書類に輸出認可印を押印してもらうという。 

 

7/23にロング・ビーチ(ロサンゼルス)の税関に赴き通関手続きを行ない、同日オートバイを港の船積みブースへ持ち込むスケジュールを組む。

 

投宿予定のマセード(Merced)へ行く途中のシリコンバレーにフリーモント(Fremont)

という町がある。電気自動車で最大手のテスラ自動車のバッテリー工場があると日系のベンチャーキャピタリストから聞いた。

 

アポイントなしでテスラ自動車を訪ねた。やはりアポイント無しでは面談が出来なかった。工場でありながら、自由な雰囲気がある大学の施設のような工場だった。

 

昼食の時間帯であったので、自由な服装の従業員が建物の外テラスで食事中だった。革製のライダーパンツとライダージャケット姿の当方でもその場では違和感がないほど皆自由な服装だった。当方の姿でも従業員と間違えられるほどだった。

(テスラ・モーターズの工場)

 

(テスラ・モーターズ工場の昼食テラス)

 

サンフランシスコは寒かったが、サンフランシスコから少し離れた内陸部は暑かった。気温は40度を超えている。道路周囲は木々が無い丘や小高い山になっている。 道路周辺の草は枯れている乾燥地帯だった。

 

投宿はSlumber Motel (素泊まり61ドル=約6,700円)

 

7/19(木) マセード~ヨセミテ国立公園~フレスノ(Fresno) 433km

 

マセードから140号線をヨセミテ国立公園へと東に向かう。周囲の野原は降雨がないため枯れ果てている。日本の花曇りのように空気がくすんで視界が悪い。後で視界が悪い理由が判った。山道を登りヨセミテ国立公園の手前の山間部は山火事のけむりで白くなっている。 警察のパトロールカーが道路を封鎖している。これより先の道路は山火事のため通行止めだという。

(マセードからヨセミテイ国立公園へ向かう140号線)

 

(山火事のため道路は閉鎖されていた。前方は白い煙に覆われていた。)

 

迂回路を80km程走りヨセミテ国立公園の入口へたどり着いた。入場料はオートバイの場合35ドル。入場ゲートからヨセミテ村まで約45kmある。ヨセミテ国立公園は千メートル近い垂直な崖や巨大な一枚岩のドーム型の山等が見応えがあると案内所で聞いた。 

 

山火事の煙があたり一帯をもやのようにつつみ500m~1km先の景色はぼんやりとしか見えない。本来なら素晴らしい眺めが、煙で台無しになっている。山火事は落雷等の自然現象でも起こるという。山火事で焼けた木々が道路沿いにあった。

(ヨセミテ国立公園に通じる道路の一部沿いは山火事で木々が焦げていた)

 

ヨセミテ国立公園の絶景ポイントを回った。駈足で見物したが物足りない。ここはトレール(山道)を歩きながら、自然の偉大さを感じてゆっくりと時間を過ごすところだろう。

(ヨセミテ国立公園内の道路。煙のため空気がくすんでいる)

 

(高さ数百メートルのベールの滝。滝の水が崖の途中で水滴になる)

 

(高さ1000mはある半円形のハーフ・ドームと呼ばれる岩山)

 

(巨木のセコイヤの森では人間はミニチュアのようだ)

 

午後7:30過ぎにヨセミテを離れ宿泊地のフレスノまでの約140kmの道のりを進んだ。 フレスノの宿には暗くなった午後の9時に到着。陽が落ちて周囲が暗闇につつまれると周囲の様子が全く分からない。やはり真っ暗にならない前に投宿宿に到着すべきだったと反省。

 

投宿はAnbassador Inn Motor (一泊56ドル=6,200円)

 

7/20(金) フレスノ~ロサンゼルス 365km(最後のルート)

 

3日後の月曜日にはロサンゼルスでオートバイを税関に運び、輸出認可後に船積をする埠頭へオートバイを持ち込む予定だ。電話にてその打ち合わせを行ったため、宿の出発は1030分と遅くなった。

 

フレスノからロサンゼルスまでは約350kmの道のりだ。ロサンゼルスへ通じる99号線(US-99)は東のシエラ・ネバダ山脈と西のシエラ・マドレ山地の間のサン・ホアキン渓谷を通る。渓谷と言っても幅数十キロの乾燥した広い平野だ。

 

乾燥した平野に灌漑用の水路を引き全米でも屈指の広さのブドウ園、柑橘系の果樹園等が広がる。開拓農民の過去2世紀に渡る努力の賜物だという。

(フレスノ~ロサンゼルスへ向かうUS-99号線沿いの果樹園)

 

(フレスノかロサンゼルスへ向かう途中の道路脇の木陰で休憩)

 

この地帯は乾燥していて暑い。気温は40度に達し、直ぐに喉が渇くため、道路脇にオートバイをを止めて頻繁に水分補給を取る。

 

サンフランシスコから南のカルフォルニア州は北メキシコの風景と似て灌木だけの丘と冬の様に枯れ果てベージュ色した草原や土だけの砂漠が広がる。 カリフォルニアにはメキシコ系の人達が多い。ガソリンスタンドの売店で働く人たちやガソリンスタンへ来店する客もスペイン語を話す人たちが多い。

 

シエラ・マドレ山地の千メートル級の峠を越すとロサンゼルスまであと少しの距離だ。 ロサンゼルスに入ると複雑に入り組んだ高速道路網が待ち受ける。

カーナビだけが頼りだが、投宿予定の日本人宿まで道順を間違えてしまう。

(フレスノからロサンゼルスへ向かうインターステート5号線のなだらかな登り坂の峠道)

 

(ロサンゼルススの高層ビル群が見えた)

 

ロサンゼルスのリトル東京近くの宿に16:30に到着。14ヶ月強のツーリングの最終地点だ。

 

投宿は「はまだ宿」(ドミトリータイプ一泊25ドル=2,800円)

 

 

(ロサンゼルスの日本料理「お富さん」の前)

 

(ピンク色の線が全米走行ルート)

 

7/21(土)~ 7/22(日)ロサンゼルスで帰国に向け荷物の整理

 

ロサンゼルスから日本へはオートバイを自動車運搬の専用船で送る手続き中だ。 自動車運搬船にはツーリングに使った荷物をオートバイと一緒に積めない。

 

荷物は約40kgあるが、ヘルメット、ライディングジャケット、修理工具等のオートバイ用品や冬物衣料は日通のシーパック(船便による国際引っ越し便)で日本へ送ることにした。 

 

送料は段ボール(50cm50cm50cmサイズで重量30kgまで送付可能)一箱当たり100米ドル(約1.1万円)とリーズナブルだ。 

 

週末はライディング・ジャケット等の洗濯やオートバイの洗車に始まり、荷物の整理とシーパックでの送付用書類の作成等でほどんど外出もせずあっという間に過ぎてしまった。

 

リトル東京に近い日本人宿の周辺は平屋建ての商店や民家が多いロサンゼルスの下町の中にあった。 メキシコ人を中心とした中南米系の住人が多いようだ。 商店や通りではスペイン語が飛び交う。 気候や町の様子はメキシコと変わららず、メキシコに来ているようだ。

(日本人宿の「はまだ宿」は日本料理「お富さん」の裏にあった)

 

7/23(月)ロサンゼルス滞在3日目 オートバイの輸出手続き及び荷物の発送

 

忙しい日だった。

 

ロサンゼルスの港はロングビーチにある。ロサンゼルス中心部から約30km南のロングビーチにある税関へ輸出申告(輸出許可)のため訪れた。

 

事前にアメリカの通関業者に作成したもらった書類で簡単に輸出許可が下りると思ったが、簡単ではなかった。

 

税関係官は当方のオートバイがアメリカへ輸入された記録が無いので、すんなりと輸出できないというのだ。

 

メキシコからアメリカへ入国した際にアメリカ側の入国管理事務所と米国ノガーレスにある陸運局(AMVD=Arizona Motor Vehicle Division)にて「一時輸入の許可証は不要であり、そのような書類は作成しない」と説明を受けたが、どうやら違うらしい。

 

アメリカにオートバイ等の車両を伴って入国後、アメリカから陸路で出国する場合は証明書類は不要だが、船便や航空便でアメリカから第三国へ輸出する場合には証明書類が必要と税関係官に言われた。

 

当方の選択肢は2つあると税関係官から言われた。

 

ひとつはオートバイでアメリカからメキシコかカナダへ出国して、アメリカへ再入国時にオートバイをアメリカから輸出する旨を説明して輸入書類を作成してもらう。この場合カルネを使えば、オートバイに関税はかからないし、アメリカからの輸出が簡単だという。もうひとつは輸入関税を支払い、オートバイの登録手続きを行なうとのことだった。

 

船積み受付最終日は本日だ。本日中に税関手続きを済ませ、オートバイを船積みする埠頭まで持ち込まなければならない。当方の滞在期限が迫っている中でいずれの選択肢も当日中にはできそうもないと焦った。

 

後者を選択して、関税を支払い登録手続きをすることにした。

 

輸入関税率は車両価格の2.5%だ。支払い金額を抑えるため、輸出書類に5千米ドルと自己申告したオートバイの価格を第三者機関(Kelly Blue Book)の査定価格データを使って申告価格を低くした。 

 

税関職員に査定価格を調べてもらった。 申告価格より高い査定価格だったらやぶへびになっていたが、査定価格は3千米ドルになった。関税を割引すると言って2.4%の率にしてくれた。

 

手続き費用を含めた関税80米ドル強を現金で支払後、関税職員に言われるまま登録の手続き用だと思われる書類に署名して本来は入国時に済ませなければいけなかった手続が簡単に終了した。 ほっとした。

 

その次は税関から約8km離れた場所にある船積み埠頭までオートバイを走らせた。

午前中にオートバイを搬入すれば、エスコート料(搬入場所が広いため、受付から指定した駐車区画へと先導してくれるサービス)は無料だが、午後は50米ドルかかると船会社が言う。 午前中の受付時間ぎりぎりに間に合って、オートバイを船積み埠頭へ持ち込む。 

(オートバイを日本への船積みするため搬入した指定埠頭の区画。横浜の自宅を出発後、走行距離は76,600kmに達していた)

 

(ロングビーチの港)

 

通関サービス,書類作成費用やオートバイの運賃を含めた米国側での費用は約1,400米ドル。アメリカでの費用は帰国後、日本の輸送業者へ日本円で支払うことにしている。 日本での輸入通関等の諸費用は判らない。これから交渉だ。

 

港の埠頭辺りには、公共交通機関が無い。タクシーも通らない。前日日本人宿の長期滞在者の手をかりてウーバー(タクシー代わりの交通手段)のアプリをスマホにインストールしてもらっていた。 

 

ウーバーを初めて利用した。当方のプリペイド式のシムカードを使った携帯ではインターネット接続のデータ回線速度が遅く、ウーバーにつながったり、回線が切れたりしてウーバーとの連絡が取りづらい。これでは、ウーバーは使いものにならない。

 

それでも、依頼したようにウーバーの車が迎えにきてくれた。

 

日通ロサンゼルス支店に再度出向き、バッグに入れた状態の荷物を段ボール箱へと詰め作業を行なった。ヘルメットやタンクバック等かさばる荷物があったため段ボール箱を2箱使用。送料は段ボール代を含め208米ドル。

 

日通ロサンゼルス支店はロサンゼルス中心部から約20km南のトーランス(Torrance)にある。日通からバスを2回乗り継ぎロサンゼルスへ戻ったが、ロサンゼルスほどの大都会でも公共交通機関は頼りにならない。 


 

バス停の場所が分かりずらい。時刻表が無い。バス料金を現金で支払う場合にはお釣りがでないので、ちょうどの金額の小銭が必要だ。公共交通機関を利用するのは低所得層の人たちや一部の旅行者に限られているようだ。 

(バス停の標識は目に入りにくい高さ2.5m~3mのところにあり、気が付きにくい)

 

(高架の高速通り沿いの民家とロス・アンジェルス高層ビル街。 東京の中央線沿いから見た新宿の高層ビル街の景色に似ている)

 

宿に戻りインターネットで今週末の帰国便を予約して、後は帰国日を待つのみとなった。

ロス・アンジェルスから成田までのエコノミークラスの日本航空の片道料金は最安値で約6万円。それにオプションでキャンセル保険(いかなる理由で航空券の予約をキャンセルしても航空券価格の85%が支払われる保険)約8千円強を付けて、約6.8万円となる。