続シアトル~クレセント・シティー~サン・フランシスコ (7/12~7/17)1,480km | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月オーストラリアツーリングのスタート。

7/12() シアトル滞在2日目 オートバイの部品交換

 

午前8時にオートバイをBMWディーラーへ持ち込んだ。通常は午前10時からの営業だが、特別な計らいで8時から部品交換の作業をしてくれるというのだ。アメリカで早朝残業をしてくれるとは驚きだった。

 

チェーン、前後のスプロケット、スプロケットブラケットと前輪タイヤの交換で費用は工賃込みで約770米ドル(約8.5万円)。チェーンは前回交換したメキシコ・シティーから2.2万kmの走行で交換。前輪タイヤはパナマで交換後、約2.7万km走行していた。

 

部品の交換作業を担当したエンジニアはメキシコ人だということが後で分かった。

作業前は「オートバイの洗車は出来ない」とエンジニアに断られたが、スペイン語で話しているうち親近感が湧いたのか最後は洗車までしてくれた。

 

携帯電話の不調を訴えにT-Mobileの店舗を訪れた。T-Mobileの店舗では「携帯電話はプリペイドSIMの残額が不足しているため通話不能になっている」と言われた。 携帯電話の契約時の店舗では「アメリカ、カナダ、メキシコは通話し放題だ」と説明を受けたが、プリペイドSIMはそうではないようだ。 カナダで通話した際にローミングチャージが発生したため残額不足になったという。 

 

宿を替えた。管理人不在の宿では何かあった場合、経営者と連絡が取り難いからだ。

また、本人に断りなく勝手にクレジットカードから宿泊料金を引き落とし、領収書も発行しないのも気に入らない。

 

投宿はRound up Motel (一泊86米ドル=約9,500円)

 

7/13()シアトル滞在3日目 ボーイングの組み立て工場の見学

 

ブログの更新が遅れていたため、 当方の安否を心配してメールくれた米国人がいた。 アラスカのアンカレッジからシアトルに到着するまで7日間は連日移動し、ブログを更新する時間が無かった。

 

アラスカのアンカレッジからシアトルまで約3,800km強の距離だった。連日移動するのは昨年11月にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから南米最南端のアルゼンチン領フエゴ島のウシュアイアへ走行した時以来であった。 比較的走り易かったため疲労はあまり感じていないが、ブログのもとになる日誌を書き終わると深夜の12時を過ぎていることが多いので、睡眠不足のためか昼間に睡魔が頻繁に襲ってくる。

 

シアトルに連泊したのはボーイングの組み立て工場見学のためだった。

シアトルおよびその周辺にはボーイングの組み立て工場が複数ある。シアトルの北約25kmに位置するエベレット(Everett)の町にある組み立て工場では、一般人の工場見学を受け付けている。 

 

ボーイングはシアトル最大の企業で3.5万人の従業員を抱える。 40ヘクタールの超巨大な格納庫のような工場で、複数の大型ジェット機が組み立てられている現場を専門案内から説明を受けながら見学する。工場見学の所要時間は約90分で参加料金は25米ドルだ。カメラや携帯電話の持ち込みが禁止されているので、飛行機の組み立て現場の写真をブログに載せられない。

(ディズニーランドの敷地より広い40ヘクタールのボーイング社の飛行機組み立て工場)

 

工場と言うより、建設現場のような感じである。 工場は3交替制で24時間稼働しているという。工場横には米軍から借用している専用の滑走路があり、注文主に引き渡す前にテスト飛行をする。ちょうど日本航空へ引き渡す前の飛行機が滑走路を移動しているのを目撃した。

 

主要部品は日本、イタリア等からもジャンボ機を改造した超大型の貨物専用機ドリームライナーを使い空輸している。複数の日本企業がボーイングの主翼部分と胴体の一部分の製造を担当している。

 

(世界最大の貨物飛行機。胴体が二つに割れ大きな荷物でも輸送できる)

 

(注文主の日本航空へ引渡し前のテスト飛行)

 

7/14() シアトル~オレゴン州・コッテージ・グローブ(Cottage Grove) 522km

 

シアトルから太平洋側の海岸を通る国道101号線を南下してサン・フランシスコを目指すつもりだった。この時期太平洋海岸線沿いの宿泊価格は高くなっている。 一泊100ドル以下では宿が無い。 太平洋海岸線を走行することは諦め内陸側のインターステート5号線の高速道路を南下することにした。

 

シアトルから3日かけてサンフランシスコを目指す。初日はコッテージ・グローブ(Cottage Grove)というオレゴン州のインターステート5号線沿いの町に宿泊予定だ。

(シアトル=地図左上~サンフランシスコ=地図左下までの地図。ピンク色の線が走行したルート)

 

インターステート5号線は渋滞している区間もあった。土曜日ということもあり家族連れで車で遠出をする人が多いからだろう。500kmの移動距離なのでコッテージ・グローブへは午後早めに到着すると考えていたが、長めの休憩をとったりしたため宿に到着したのは18:00だった。

 

シアトルがあるワシントン州やその南隣のオレゴン州は米国でも北部に位置するが、

アラスカから南下しているため、随分南へ来たような感じがする。

 

午後の気温は一気に30度台に突入。最高気温は34度あり、真夏日だ。 道路沿いの樹木には広葉樹も混じるようになる。 道路周辺の牧草地でも刈取を終え、天日干された牧草が乾燥した土色になっている。 夏や秋の収穫を迎えているような風景だ。

(シアトル~コッテージ・グローブへ向かう途中のインターステート5号線)

 

(干した牧草を細かく裁断している)

 

当方のオートバイのパニアケース(サイドケース)の後ろ側に張り付けてあるJマークが目出つ。 立ち止まってJマークを眺める人は少なくない。 ナンバープレートがローマ字で記載されているので、JマークはJapanだということを理解するひとは意外と少ない。 

 

オートバイのJマークを見て「どこから来たか?」と本日は2回聞かれた。「日本から世界一周中だ」と返事をすると2回とも当方に握手を求めて、当方とオートバイの写真を撮ってもいいかと聞いてくる。 ハーレーダビットソンのライダーは多いが、世界一周中のライダーは少ないのだろう。

 

投宿はRelax Inn(素泊まり72米ドル=約8千円)

(コーテッジ・グローブで投宿したモーテルではハーレーのオートバイをピックアップトラックに載せ

、気が向いたところでオートバイに乗りツーリング楽しむ中高年の夫婦に出会った。わざわざ大型オートバイを

ピックアップトラックで運ばなくてもいいのにと思ったが)

 

7/15() コッテージ・グローブ~カリフォルニア州・クレセント・シティー (Crescent City)377km

 

コッテージ・グローブから十数キロ南下したあたりから脇道の38号線へ入り太平洋の海岸沿いを南下する101号線を目指した。インターステートの高速道路ではツーリングの面白味が無いからだ。

 

期待した様に38号線および海岸線を南下する101号はツーリングルートとして面白い。 対面通行の日本の山間部の道路の様に狭いが、交通量が少なく景色が良い。大きな家屋と英語文字の標識等が無ければ日本の景色と見違えるほどだ。

(バス型大型キャンピングカーでジープをけん引しながらアラスカまで旅行したというカリフォルニアからの一家)

(大型キャンピングカーの内部は広くて快適だ)

 

太平洋岸に出ると寒流の影響で寒い。晴天でも気温は14度ぐらいとカナダ北部並みだ。 寒流の影響で海上には濃霧が発生し海岸線まで達している。 夏用のライディングズボンをはいていたが、寒いので途中のガソリンスタンドでタイツを着用した。

 

夏場なので、太平洋岸は海水浴客の車で渋滞しているのではと懸念したが、交通量は少なかった。こんなに寒くては海水浴には向かない。事実海岸にはほとんど人の姿が無い。 

(オレゴン州Bandonの海岸)

オレゴン州から南下してカリフォルニア州の境で検問所があった。オートバイは検問所を素通り出来るが、車は停止せねばならない。 2ヶ月前にアリゾナ州のフラッグスタッフの町で知り合った米国人の若手ライダーの話を思い出した。その若者はカリフォルニア州政府で農産物の検査官をしていたという。他州からカリフォルニア州へのくだもの等の生鮮食料品の持ち込みは禁止されていると聞いたが、その検問所らしい。

 

クレスセント・シティーで大型の食料品スーパーのセーフウェイ(Safeway)で食料品を買った。野菜類がアラスカ並に他の州より35割高い。 ガソリン代も他州より2割程度高い。うれしくないカリフォルニアの物価プレミアムだ。

 

投宿はAmericas Best Valune Inn(朝食付き約89米ドル=9,800円)

 

(オレゴン州Battle Rock付近の海岸。海には霧が雲の様に出ている)

 

(寒くて海水浴をする人はいない。Battle Rock付近の海岸)

 

7/16() クレスセント・シティー~サン・フランシスコ 577km

 

クレスセント・シティーは濃霧に囲まれていた。まるで雲の中にいるようで霧の中にいると水滴がオートバイや雨具に付く。気温は13度と肌寒い。

(海岸沿いは霧が出ていた)

 

海岸通りを南下するが、濃霧のため100mほどしか視界が効かず、周りがどうなっているか判らない。 サン・フランシスコへ向かう101号線(US-101)は海岸線を離れて内陸部へと続く。 内陸部に入ると午後には気温が35度まで上昇して暑い。

 

クレスセントシティーから約150km南下したScotiaという町の郊外にAvenue of the Giants(巨木の通り)と言う森の中を通る道路がある。この森には高さ50mから70mぐらいあるセコイヤの巨木が生い茂っている。 大きなものが好きなアメリカらしい巨木の森だ。

(Humbolts Redwoods National Park内のAvenue of  The Giants=巨木の通り)

 

(倒木の根元)

 

車が木の幹の中を通過できる巨木があるので立ち寄った。車が幹の中を通れる巨木(現地ではドライブ・スルーと呼んでいた)は樹齢3千年の老木でほとんど枯れかかっていた。 倒れないように巨木の幹回りにワイヤーを回して他の巨木につないで支えていた。 

(樹齢3千年のセコイヤの幹の中がドライブスルーになっている)

 

サン・フランシスコが近づくと、また肌寒くなる。サンフランシスコの街半分に雲のように濃い霧がかかっている。濃霧は強い風に吹かれて雲の様に動いている。 ゴールデン・ゲート・ブリッジを通過してサン・フランシスコの市内入った。ゴールデンブリッジゲートの橋脚の上部は霧がかかり見えない。 「霧のサンフランシスコ」とはよく言ったものだ。


 

走行ルート101号線(US101)の半分の区間は対面通行であり制限速度が50マイル(時速89km)に規制されていたため、走行距離の割には時間がかかった。宿に到着したのは20時少し前と通常の投宿地到着より2時間~3時間程度遅れた。

 

投宿はHI San Francisco City Center Hostel(ドミトリータイプ一泊57米ドル=6,300円、オートバイは付近の公共駐車場に駐輪=14ドル/日)

(ゴールデン・ゲート・ブリッジ。車線幅が狭くて走行しづらかった)

 

7/17(火) サン・フランシスコ2泊目 ゴールデン・ゲート・ブリッジ見物

 

この先のルートを変更してヨセミテ国立公園に寄ってロス・アンジェルスへ行くことにした。当初はシアトルからずっと太平洋沿いの海岸部をロス・アンジェルスまで南下しようと計画していた。

 

ルートを変更すると移動距離を調べたり、手頃な価格の宿があるかどうか調べながら宿泊地を決めたりするので検討に時間がかかる。あっという間に午前中が過ぎてしまった。

 

サン・フランシスコでは前日オートバイで通過したゴールデン・ゲート・ブリッジをゆっくり見物したいと思っていた。 市営バスを2回乗り継いでゴールデン・ゲート・ブリッジまで行った。 橋を背景に写真を撮る外国人観光客が多いが、日本人観光客は見かけない。 圧倒的に中国人観光客が多い。 今日も橋脚の上部(海面からの高さは200m強)は霧のため見えない。 真夏だというのに気温も10度台と日本の3月並に肌寒い。

(ゴールデン・ゲートブリッジ。海面から橋脚上部まで高さが200m以上ある)

 

投宿した宿はダウンタウンの古い中心部にあった。この地区にはホームレスが多い。昼食時に歩道に並ぶ30名位の人達がいた。身なりがみすぼらしく見えた。 列の一番前で札を配っている人が、ここで食事の無料配給を行なっていると教えてくれた。 「列に並べばただで食事がもらえるぞ」と言われたが、当方は断った。

 

アメリカの都市とは思えないほど、サン・フランシスコにはホームレスの数が多い。

一説によるとアメリカ大陸の西側は東側より温暖のためホームレスは冬でも凍えない西側を目指すという。そのためかサンフランシスコにはホームレスの数が多いらしい。

 

サンフランシスコの街にはピンク色等の原色を使ったカラフルの壁の建物が多い。南国のような異国情緒がある町だ。特にチリ太平洋側の港町バルパライッソに似ていると思った。太平洋側とあって中国系や韓国系等のアジア人が多い。

(サン・フランシスコ名物のケーブルカー。坂は写真で見るより勾配が急だ。)

 

(高層ビルが樹立する金融街のカリフォルニア通り)

 

サンフランシスコ周辺地域はシリコンバレーを形成して、全米でも人口が増えている地域だ。スタンフォード大学、UCLAバークレー校等の大学と産業界が研究開発で連携し合い新しいビジネスが多く生まれている。 翌日この地帯をオートバイで通過したが、日本の首都圏を通過するように高速道路は渋滞、市街地は途切れることなく数十キロにわたり続いていた。

 

人口が増加中のため、土地の値上がりや賃料の上昇率も大きいと言う。

サン・フランシスコのワンルームマンションの賃料は3.3千ドル(約35万円)とニューヨーク・マンハッタンより高くなり、全米で一番高いと言う。住みにくくなっているが、それでも人々を引き付けている。