4/13(金)コルドバ~メキシコ・シティー(首都)290km
前夜雷雨があったためか朝の気温は23度と低い。コルドバからは一気に千メートル以上登り高原に出る。気温は16度まで下がる。南米チリ、ボリビアやペルー等のアンデス山脈の高地走行以来の約20km~30kmの上り坂だ。
(コルドバ~メキシコシティー間の高原の高速道路)
首都のメキシコ・シティーまで道はずっと高原続きとなる。高原で涼しい気候を利用したキャベツ畑が収穫を迎えていた。メキシコは中南米諸国の中では高所得故、農作業は機械化されていると思ったが、ここでも馬を使って畑を耕したりしていた。
(キャベツの収穫風景)
メキシコ・シティーから100km手前から空が薄く曇り視界が良くない。たぶん空気が排気ガス等で汚染され続けたせいだろう。 メキシコ・シティーの市内に入ると交通渋滞がひどくなる。市内を15km程度進むのに1時間くらいかかった。
(メキシコシティー市内の交通渋滞)
オートバイのエンジンの調子がまた悪くなった。メキシコ・シティーの渋滞道路を徐行運転で走っている時にエンストをした。オートバイのギアを一速から二速に上げる際に2回エンジンが停止してしまった。やはり何かがおかしい。メキシコ・シティーにはBMWの代理店が数軒あるのでオートバイの駆動チェーンの交換等に代理店を訪れようと思っていた矢先だった。
投宿は3軒目の日本人宿サン・フェルナンド館(個室・トイレシャワーは共同使用で一泊340ペソ=約2千円)
(メキシコ・シティー中心部の日本人宿サン・フェルナンド館)
4/14(土)メキシコ・シティー2泊目
国際運転免許証の更新手続きのためメキシコ・シティーには10日~2週間程度滞在予定だ。しばらくのんびりできそうだ。
現行の国際運転免許証をDHL(国際宅急便業者)にて日本の留守宅へ送付。5営業日には日本の留守宅へ配達される予定だ。
メキシコ・シティーの朝夕は肌寒い。北回帰線より南だというのに標高2,250mの高地に位置しているため、やっと春になったようだ。公園や並木道のジャカランダの木にやっと紫色の花が咲きだした。南米ではジャカランダの木を多く見たが、メキシコでも多い。日本では宮崎県に多いようだ。
(市内中心部のアラメダ公園のジャカランダの木と高層ビルのラテンアメリカ・タワー)
当方が常時宿泊するホテルやホスタルには観光用のシティーマップは置いていない。街歩きには地図とコンパスが必需品だ。時間があれば市内のツーリストインフォメーションまで出向き地図を入手する。今日も宿から徒歩範囲のアラメダ公園の一角にあるツーリスト・インフォメーション・オフィースまで散歩を兼ねて出かけた。
公園には縁日の様に露店が立ち並ぶ。タコス等の食べ物を出す露店や雑貨の露店等よりどりみどりだ。ツーリスト・インフォメーションで日曜日は美術館と博物館の入場料が無料になると聞いた。美術館へ行くつもりであったが、明日に延期する。
10日以上の滞在となるので、自炊するサラダ用の野菜や果物を買い出しする。メキシコもアメリカナイズされウォールマートのような大型ショッピングセンターがある。大型スーパーでも野菜や果物は量り売りなのでトマト1個やキュウリ一本でも買える。今夜は宿で野菜サラダをたくさん作るつもりだ。
4/15(日)メキシコ・シティー3泊目 美術館・博物館巡り
メキシコ・シティーは美術館や博物館が10館以上有する芸術都市だ。 日曜日は美術館や博物館が無料で開放されると聞いたので午前中から美術館へ向かった。終日で3つの美術館とメキシコ・シティーの観光の目玉のひとつである国立人類学博物館を訪れた。
2つの美術館は宿から徒歩圏内にあった。こんな時は市内中心部の宿は便利だ。
・ベージャス・アルテ宮(Palacio de Bellas Artes)
スペイン語では美術の館であるが、実際は劇場として使用されている。ただし高さ30m位の吹き抜けの回廊の壁はメキシコを代表するディエゴ・リベラ等の壁絵画家より数メートル四方の巨大な絵が複数描かれている。また、規模は大きくないが展示室内にも数十点の絵画も展示されていた。
壁絵も印象的だったが、ドーム屋根がある大理石の巨大な建物には圧倒される。
(ベージャス・アルテス宮)
(アステカ人の足を焼く拷問にかけるスペイン侵略者の壁画)
・国立美術館(Museo Nacional de Arte)
スペイン植民地時代の宗教画から20世紀前半までのメキシコの絵画が数多く展示されている。絵画の質も建物自体も歴史を感じさせる立派な建物だった。
18~19世紀のメキシコの風景画は見ていて楽しい。また、アステカの人たちをテーマにした絵画はメキシコならではの作品だろう。
(国立美術館)
(エルナン・コルテスのモクテスマ2世=アステカ帝国の皇帝への謁見 1845年Juan Ortega作)
・近代美術館(Museo de Artes Modernos)
展示絵画の数は多くないが、近代メキシコ美術の大家であるヘラルド・ムリージョやフリーダ・カーロ等の作品が展示されている。 閉館の30~40分前に入館したので足早に見るだけだった。
(二人のフリアーダ 1934年=Friada Kahlo作)
・国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropologia)
アステカ、マヤ、トルテカ、オルメガ文明等メキシコの有史以前から各地で勃興した文明と発掘した像や石碑を展示している。メキシコ・シティーの観光の目玉のひとつである。
日曜日はメキシコ人のみ入場料が無料だった。外国人は通常通り70ペソ(約420円)の入場料を払う。
建物も大きく2時間見ても全部見切れず途中は省いてしまった。後でガイドブックを見たら、見学順序を反対に回っていたので、肝心な展示を見逃していた。
(オルメガ文明の巨大石像 重量20トンある)
(アステカでは頭の先端を平らにする習慣があった)
4/16(月)メキシコ・シティー4泊目 BMWディーラーにて検査と部品交換
朝8:30にはBMWのサービス工場へオートバイを持ち込み、弛みきった駆動チェーン、後輪タイヤ、後輪のブレーキパッド等の交換と走行中にエンジンが停止した原因の究明と対策を依頼した。部品交換と検査に終日かかる。
(BMWディーラーで検査・部品交換)
前回駆動チェーンをスペインのレリダで交換した後、オートバイは約3万km走行していた。3万km走行するとチェーンが不均一に伸びてしまい調整ができなくなる。3万kmの走行で交換が必要とはちょっと短い気がする。
後輪タイヤは前回ブラジルのサンパウロで交換後、約2.5万km走行した。交換が必要なリミットまで磨り減るまでにはまだ2千km~3千km走行可能だったが、アメリカで交換するよりメキシコの方が工賃が安いと考えた。前回ブラジルで交換したタイヤと同一のオンロードとオフロード兼用のメッツラーのタイヤだ。
タイヤ交換費用は工賃込みで約2.3万円とブラジルとほぼ同じ金額だった。
走行中のエンジンが突然停止した事態については原因が判らないままだ。ディーラーでは燃料タンク内に不純物が混じっていたり、燃料フィルターが汚れていたりするとエンストの原因になると考え、燃料噴射装置につながるフィルターを掃除したりした。エンストの原因が判明しないだけに、今後に不安を残す。
ディーラーではメキシコからアメリカへの国境越えについてアドバイスをもらった。当方が考えいたシウダ・ソアレス(Ciudad Juarez)からアメリカのエル・パソ(El Paso)へ抜けるルートは治安が悪いので、それより東部(メキシコ湾に近い)のヌエボ・ラレーソ(Nuevo Laredo)から米国ののラレード(Laredo)へ行くルートとの方がましだと言う。
メキシコ人に治安が悪いと言われれば、しょうがない。アドバイスに従い計画を変更してメキシコ・シティー~ケレタロ(Queretaro)~グアナファト(Guanajuato)~グアダラハラ(Guadalajara)~サカテカス(Zacatecas)~サルティージョ(Saltillo)~ヌエボ・ラレード(Nuevo Laredo)~国境~米国のラレード(Laredo)のルートで米国へ抜けるルートに変更する。
(メキシコの地図 ピンク色の線は走行済みのユカタン半島からメキシコシティーまでのルート約2千km)
このルートはメキシコ・シティーから米国国境まで約1,600kmの距離がある。カンクンからメキシコシティーまでの距離とほぼ同じで長距離では無い。このルートを通過すると米国入りの日程が考えていた日程より2週間~3週間早まる。5月10日前後には米国入りとなる。
今後の日程が決まると1年前にコンタクトを取った米国の保険代理店(Motorcycle Express)へ米国とカナダのオートバイ保険を申し込む。オートバイの点検修理をBMWのディーラーで待っている間に保険の申込み書類を作成して、ディーラーの秘書に申込み書類を電子メールで送付するために電子ファイル化してもらう。
秘書は笑顔で対応してくれたので有難かった。