ポルトアレグレ~リオ・グランジ~ウルグアイ入国~モンテビデオ(11/19~11/24) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

1/19(日)フロリアノポリス~リオ・グランジ・ド・スル州のポルト・アレグレ 443km

 

フロリアノポリスから大西洋に面した海岸沿いを南下してポルト・アレグレを目指した。フロリアノポリスで2泊を考えていたしかしながら、2泊すると雨天になる予想のため、一泊のみで雨天にならない間に次の宿泊地へ進むことにした。

 

出発時は曇天で肌寒い。今まで暑かったので急に季節が変わったような感じがする。ポルト・アレグレまでは西洋沿いの沿岸部を約400km強南下する一本道の高速道路を通る。海沿いの周囲の風景は日本の見慣れた風景にどことなく似ている。 平坦な土地ながら小高い山が迫ってきているので広い平野ではない。

水田地帯もあり、日本の風景と同じだ。

 

ブラジルは産油国ながらガソリン価格は安くない。レギュラーガソリンの価格が1リットル3.6~4.2レアル(約126円~147円)。深海油田のためコストがかかっているというが、石油会社の利益幅が多すぎるのではないかと感じる。ブラジルの購買力では1リットルが日本の300円~400円に相当する。

 

ポルト・アレグレに到着する頃は晴天となり、気温は30度と暑い。高速道路は片側4車線と広くなり立派だ。

サンパウロのような大都市でないため、迷わず予約していたホテルに到着する。しかし予約したホテルには予約サイト上ではあるはずの駐車場が実際には無い。300m~400mほど離れた民間駐車場に駐輪しろと言うのだ。

 

Booking.comの予約サイトの条件と異なるため、そのホテルの予約をキャンセルして駐車場がある他のホテルへ行くことにした。予約サイトと実際の条件が異なることはよくある。予約サイトでは受付は英語、スペイン語も可能となっているが、ほとんどの場合受付のスタッフはポルトガル語(現地語)しか話さない。自分にあった条件を選んでホテルを予約する場合には、条件違いは迷惑な話だ。

 

宿泊はHotel Express Savoy (一泊朝食付き128レアル=4,500円)

(フロリアノポリスからポルトアレグレ途中のラグナ。内海と外海が道路で区切られている)

 

(水田には翼を広げたら2mはあろうかと思う大きな鳥がいた)

(フロリアノポリスからポルトアングレ途中の道路脇で休憩)

 

11/20 (月)ポルト・アレグレに連泊して休憩

 

サンパウロから5日間連続して毎日移動していた。疲れもでてきたので、ポート・アレグレには休息を兼ねて2連泊することにした。

 

2連泊すると翌日のホテルの予約と朝の荷づくりをせずに済む。気分的にも余裕がでる。しかしながら、ブログおよびフェースブックの更新が滞っている。ブログとフェースブックの更新等溜まっていた作業を済ませたら午後の3時を回ってしまった。

 

ポルト・アレグレの旧市街を少しは見ておきたいと思い、散歩にでかけた。ホテルが旧市街に立地するので街中の散歩には便利である。

 

ポルトアレグレはブラジル南部大西洋沿岸部のリオグランジ・デ・スル州(Rio Grande de Sul)の州都で人口約130万人を抱える港町だ。旧市街の中心部は活気がある。

 

中心部の通りの歩道には勝手気ままに露店があり、道行く人々に声をかけ商品を売り込もうとしている。

布や段ボール箱の上に商品を並べただけのと露店売りが多い。目的無く歩いているいるような散歩中の人々も多い。通りには騒然としてた雰囲気が漂っている。

 

街の歩道のタイルはでこぼこで随分ほころびれている。ビルの壁も黒ずんで老朽化した感じがする。中近東の街によくある小さな商店が軒を並べて集まっているようなスーク(市場)もある。ブラジルなのにかつてのドバイやサウジアラビアのジェッダのように中近東の港町を思い出させるような雰囲気がある。

 

今までのブラジルの都市とは違う街だ。

(ポルトアレグレの目抜き通り)

(きれいではないが活気ある下町の商店街)

(2坪ほどの小さな時計屋が集まった商業ビル)

(食品市場内のマテ茶販売店)

 

(広場でボールを地面に落とさず500回以上蹴り続けていた。当方は500回で数えるのをやめた)

 

11/21 (火)ポルト・アレグレ~リオ・グランジ・ド・スル州リオ・グランジ 333km

 

ホテル出発時にホテルのスタッフからスペイン語で話しかけられた。アルフォンソ・スアレスと言うスペイン系ブラジル人だ。同氏はヤマハの大型オフロード車に乗るライダーだ。 話しているうちに出発時間が11:00近くになる。 出発して5メートルも走らないうちに台車を引く人が行く道に現れ、避けようとして立ちごけ。

荷物を載せたバイクは270~280kgの重量のため、少しでもバランスを崩すとバイクを腕力だけでは支えきれない。出発時間がさらに遅れてしまったが、この遅れが後で新たな出会いを生む。

 

出発時は気温が2526度と少し暑く感じる晴天であったが、20kmも走らないうちに曇天となり肌寒くなった。道路脇にバイクをとめ重ね着をしていると日本人の顔をしたライダーが止まるのではないか。

日系2世のブラジル人のN君だった。同君は住んでいるサンパウロからウルグアイの首都モンテビデオまでのツーリング中であり、当方と同じ方向に進んでいる。宿泊地はまだ決めていないという。

 

とりあえず2人揃ってバイクで走り出し、最後は300km先のリオグランジで同じ宿に宿泊した。

同君はフランス系の大手スポーツ店で購買マネージャーとして働いている。有給休暇を使ってのツーリング中だった。

 

ブラジルでは年間20日の有給休暇があり、土日も含めれば一カ月連続休暇の取得も可能だという。ヨーロッパ先進国と同じだ。分割での取得も可能だという。残業時間は金銭での支払いでなく、休暇が与えられる言う。

 

ポルト・アレグレからリオグランジまでの土地は平野だ。今まで見たブラジルの景色とは全く違う。地平線まで牧草地だったり、大規模な水田地帯があったりする。曇天のため欧州の景色を思い出させる土地だ。ウルグアイとの国境まで200kmの距離になると平坦な土地になるようだ。

 

宿泊先はHotel Vento Sul(一泊105レアル=約3,700円)

 

(日系2世のブラジル人ライダー)

(ポルトアレグレからリオ・グランジ途中の曇天の平野)

 

11/22 (水)リオ・グランジ(ブラジル)~ウルグアイ入国~カスティージョス(ウルグアイ)315km

 

朝からウルグアイのカスティージョス(Castillos)と言う田舎町の宿の予約をBooking.comで行うが、当初誤って他の場所の宿を予約してしまった。誤りに気が付いてすぐにキャンセルをするが、Booking.comからのメールはキャンセル料は宿泊代と同一料金をいただきますと機械的な返事だった。

 

ダメもとで予約先の宿にメールと電話で間違って行なった予約を直ぐにキャンセルしたので、キャンセル料は課さないように依頼した。宿は快く当方の予約キャンセルを承諾してくれた。その後、Booki.comもキャンセル無料を連絡して来てくれた。Booking.comは融通が効かないと思っていたが、個別の対応をしてくれるのには驚いた。

 

昨日から行動を共にしている日系ブラジル人ライダーと一緒にリオグランジの宿を出発して、ウルグアイを目指した。昨日同様に平原の中の直線道路をウルグアイとの国境に向かって進む。

(リオ・グランジからウルグアイとの国境へ向かう一本道)

 

このあたりは海が近いので気温が低い。晴天だが、日中でも18度と意外と低く、寒く感じる。

湿原が広がる。34年前にバイクツーリングで釧路湿原を見た時なんと広い湿原だと思ったが、釧路湿原とは比較にならないぐらい広い湿原だ。湿原にはカピバラ(巨大なねずみの姿の動物)やきつねに似た姿の動物も見えた。

(広大な湿原地帯)

(写真撮影に気が付いたのか動き出すカピバラ)

 

(湿原の野生動物)

 

ブラジルの出国手続きの事務所に気が付かず通り過ぎ、ウルグアイの入国ゲートまで来てしまう。そこからブラジル側に引き返してブラジルの出国手続きを行なう。ブラジルへ入国するときもそうだったが、出国するときの管理はもっとずさんだ。ブラジル出国手続きを済ませた後の中立地帯にブラジルの国境の町チュイ(Chui)がある。

 

この国境を通過する車の数は少ない、ウルグアイへの入国手続きも5分~10分程度で簡単に済む。

ここで、約1日行動を共にした日系ブラジル人ライダーと別れて、また単独のツーリングに戻る。ウルグアイ時間はブラジルるより1時間遅れとなる。1時間の得だ。ウルグアイに入ってからも平原の中の単調な直線道路が続く。本日は国境から100km離れた人口7千人程度のカスティージョス(Castillos)と言う町に宿泊する。

 

何もない町だが、銀行のATM機からはSMBC信託銀行(旧CITI BANK)の銀行カードでウルグアイペソの引き出しはもちろんのことだが、米ドルの引き出しまでできることには驚く。進んでいるというか米ドルが身近なのか。

 

宿泊はHostal La Vieja (宿泊料1,057ウルグアイペソ=4千円)

(ブラジルとウルグアイ国境の中立地帯。この先にウルグアイの入国管理事務所がある)

 

11/23 (木)カスティージョスからモンテビデオ(ウルグアイの首都)264km

 

出発前に宿の隣のFMラジオ局の人たちと会話しているうちに<日本からバイクライダーが来ていて珍しい>とのことでラジオ番組への出演インタビューを依頼される。急いでいるわけでないので当方は快諾する。3分程度と短いが本日と翌日FM放送で録音したインタビューを流すという。

 

インタビュー内容はどういうルートでツーリングしているか、厳しかった道路や状況はあったか、ウルグアイの印象はどうか等という質問に対して当方が答える。

(カステイージョスの宿の駐車場横にあった小さなFMラジオ局)

 

風が強い。この土地で季節の変わり目には風が吹くという。大雨の時と強風の時はバイクは危ないが、交通量が少ないのであえて出発する。

 

ウルグアイは南米のスイスと言われている。南米のスイスと言われる所以は、風景ではなくスイスのように社会保障や教育水準・システムが行き届いているからだ。しかしながら、山こそは無いが風景もスイスににている。牧草地に牛が放牧されている牧歌的な風景。ここの風景は短く刈り込まれた牧草地が地平線まで続く。牧草地と牧草地の間に林が点在して箱庭のようにも見える美しい風景だ。

 

モンテビデオが近づくと幹線道路は町中を通るようになる。ここでは新興国の風景だ。道路両側に大きな看板の商店が軒先を並べている。看板文字は美術的センスに欠け単に目立つだけで均整がとれていない物が多い。安物の商品を連想させるような感じだ。そのような町並みがモンテビデオ市内まで続く。

 

モンテビデオの街並みもブエノスアイレスのように真新しいビルは無い。長年使われて古くなった建物が目立つ。道路の車線や横断歩道の白線はすり減りほとんど見えないぐらいだ。このようは状況を見ると、経済が上手くいっていないと判断してしまう。

 

物価は安くない。スーパーで買い物をしたが、コカ・コーラ500mlのボトルでも40ペソ(約160円弱)と日本並の価格だ。ガソリンも1リットル45ペソ(約180円弱)と高い。国民一人当たりの所得(GDP((は1.5万米ドル(約165万円)と日本の半分ぐらいであるから、購買力でみたら物価は日本の2倍位の水準だ。

 

投宿はHotel Balfer (45米ドル)

(モンテビデオ中心街の7月18日大通り)

(モンテビデオの独立広場とサルボ宮殿)

 

(モンテビデオ市内。スーパーカブにそっくりのYUMBOというメーカーのバイク)

 

11/24(金)モンテビデオ2泊目 

 

2日前に見学の可否をメール問い合わせしたモンテビデオ証券取引所から返答が無いので、直接取引所を訪問してみた。インターネット上の会社問い合わせフォームに記入して問い合わせているのに何故回答してこないか判らない。

 

今までの経験では、理由は分からないが当方のメールが届いていないことが多かった。

 

モンテビデオ証券取引所は旧市街にあったが現在機能しておらず、立派な建物外観に似合わずほとんどスタッフがいなかった。証券取引所は使われていないので、見学はおろか問い合わせに対しても返答できないと言われ、取引所会員のブローカーに当たってほしいとのことだった。

 

証券取引所正面にあった取引所会員ブローカーを訪問してモンテビデオ証券取引所のことを聞いた。上場企業の数は少なく、株式の取引はほとんどないので地場企業の株式取引は行っていないというのだ。当方が<何をして食っているのか?>と尋ねると<アメリカ株の取次ぎを主に行っている>との返答だった。

 

投資関係の調査は諦めて旧市街を散策することにした。 ブラジルやアルゼンチンの旧市街は市内でも治安が最も悪く危ない場所であったが、モンテビデオはそうでもないらしい。旧市街に銀行や証券会社があったり、税務署等の政府機関もある。均整よく4~5階建ての高さの建物で統一されていて壁に落書きがあまり無い。

 

(モンテビデオ証券取引所)

 

(証券取引所が面する金融街)

(昔使われた捨て子を置く場所。箱の上には<両親に捨てられました>とスペイン語で書かれている)

(モンテビデオの街角にあったYAMAHAとSUZUKIを足したようなYASUKIと言うブランドのオートバイ)