天国へ届け 「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」他 野球漫画の神様 水島新司先生死去① | 20世紀漫画少年記

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 野球漫画「ドカベン」「野球狂の詩」「あぶさん」などで人気を集めた漫画家の水島新司先生が10日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなられました。享年 82歳。

 

 水島新司先生は1939年新潟県生まれ。1958年に大阪の貸本漫画出版社「日の丸文庫」の漫画短編誌「影」の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿する。1969年に「少年キング」にて本格野球漫画「エースの条件」を連載。以降、野球を題材にした漫画を多数発表。「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「野球狂の詩」「あぶさん」「一球さん」「球道くん」等々、多くのヒット作を生み出していった。1972年から「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で連載していた『ドカベン』は第2部である「大甲子園」、『プロ野球編』『スーパースターズ編』『ドリームトーナメント編』を経て2018年6月に全シリーズが終了。46年の歴史に幕を閉じた。

 

 また、1973年から41年「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で連載していた『あぶさん』は2014年に最終回を迎えた。2005年には紫綬褒章、2014年には旭日小綬章を受章。国民的に知られる漫画家の一人だった。野球関係者にもファンが多く、プロから子どもたちまで幅広い世代に愛された。

 

 引退の際には拙ブログ「『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』他 さようなら世界一の野球漫画家 水島新司さん引退」でも記事にいたしました。

 

 球界内外問わず、プロ選手から子どもたちまで幅広い世代にファンが多かった。野球に興味は無いが「ドカベン」は読んでいたという人も多い。かく言う私(ブログ主)も野球にはあまり興味はないが水島新司先生の漫画は好きだった。

 

 水島先生の漫画家人生、それは野球への愛を描き続けた人生だった。

 

 冒頭で書いたように漫画家としてデビューしたのは1958年。本格的に野球漫画を描いたのは1969年に「少年キング」で原作付きながら『エースの条件』(原作・花登筐)からであり、デビューしてから11年たってからだった。それまでは日の丸文庫で主にコメディ漫画を執筆していた(短編集『オッス!』シリーズ 『水島新司爆笑シリーズ』 『番頭はんと丁稚どん』『てなもんや三度笠』の漫画版)。独立後、上京してからも野球漫画を描かなかった理由は、ボールやスパイクやグローブといった野球道具やバッティングフォーム・ピッチングフォームなど、野球の試合の描写をしっかりと描ける自信が付くまで10年かかったためであるという。

 

 それもこれも全ては愛する野球の為だった。

 

 また水島先生が漫画界に残した功績は野球漫画だけではなかった。漫画の神様・手塚治虫先生が後進の漫画家たちに多大な影響を与えたように水島新司先生は後進の野球漫画のみならず『キャプテン翼』(高橋陽一)『スラムダンク』(井上雅彦)といった他のスポーツ漫画にも多大な影響を与えた。

 

 続く