天国へ届け・補足  追悼・2020年に亡くなられた漫画家の皆様へ  | 20世紀漫画少年記

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 昨年、2020年は明けても暮れてもコロナの話題一色でしたが、一方でジョージ秋山さん、矢口高雄さんなど私たちを楽しさと感動を伝えてくれた多くの漫画家が亡くなられました。当ブログでも追悼の記事を多く書きましたが、それでも私自身が私生活でコロナの影響で多忙を極め、年内に追悼の記事を書くことができなかったことが多々ありました。ここにあらためて追悼するとともに大変遅れてしまったことを深くお詫びいたします。

 

 小林ゆきさん 

 

 

  1978年2月23日生まれ 享年42歳 代表作「あっけら貫刃帖」「フール◇フール」「絶対博士コーリッシュ」

  2000年 「皿荒し」で第59回手塚賞佳作受賞 、2001年「赤マルジャンプ 2001 SPRING」(集英社)にて「北が丘少年魂」でプロデビュー。2002年 漫画家 河下水樹氏のアシスタントを経て「週刊少年ジャンプ」2002年11号より「あっけら貫刃帖」を連載開始。。デビューから1年未満で初連載であったが、同年22・23合併号にて連載終了となる。2006年「月刊少年ファング」(リイド社)にて「フール◇フール」を連載。しかし掲載誌の休刊により完結しないまま打ち切り終了。2008年「月刊少年ライバル」(講談社)にて絶対博士コーリッシュ」を連載開始。2011年まで連載した。2012年、同誌において「江戸天魔録 春と神」を連載開始。2014年、「月刊少年ライバル」が7月号にて休刊。「江戸天魔録 春と神」は講談社の新雑誌WEB「講談社新雑誌研究所」に移籍となった。同年10月に更新終了。最終話(12話)は単行本書き下ろしとなった。2020年4月に友人の漫画家 瀬上あきらさんのツイートにより1月に亡くなられたことが明らかになった。

 

 

中城健(けんたろう)さん  他PN 中城健太郎 中城けん 中城建雄 中城たてお 1938年4月12日生まれ 高知県高知市出身 代表作「キックの鬼」「四角いジャングル」「ボディガード牙」「新カラテ地獄変」他

 

1956年に中城たてお名義で『ロボット狂時代』(「冒険王」)で漫画家デビュー。タツノコプロ創成期には作画家として参加した事もある。1960年代は「ウルトラセブン」「ミラーマン」等、テレビ特撮番組のコミック版を多く手がけ、1970年代は梶原一騎原作作品を多く手がけた。梶原一騎作品に関しては少年誌作品から週刊誌・青年誌作品のいわゆる「ダーク梶原作品」まで手がけた数少ない漫画家でもあり、出版業界で強面で恐れられていた梶原一騎とも対等に話ができた数少ない漫画家と言われている。1980年代中頃からは漫画家としては第一線を退き、天理教教団関係の出版物で各機関誌への漫画の連載をする事が多くなった。1987年には天理教森高分教会長に就任している。

2020年1月19日死去、享年82歳だった。

 

 

 やながわ理央(本名・朝稲俊次)さん 生年月日未公表につき享年不明。 成年誌で主にオネショタ物を手がけていた。母性的な女性を描くのが得意で人妻物も得意だった。2020年3月23日、やながわさんのお姉さんがご本人のツイッターのアカウントで前日の3月22日に やながわさんが心筋梗塞で亡くなられたことを報告した。

 

 

 

 数多くの成年誌でご活躍されていたので多くの漫画家がお悔やみの言葉を述べた。

 

祐天寺三郎さん 本名、鈴木大典 1929年1月16日生まれ。東京都品川区出身。

 

旧早稲田工芸美術研究所卒後、油絵を目指していたが、1960年から新聞や週刊誌を主要舞台に漫画、イラストを発表する。
1980年より2002年まで22年にわたり読売新聞紙上で政治漫画を手がけ風刺をきかせた作風で人気を集めた。近年は江戸浮世絵を借り、現代風俗を表現する江戸シリーズに取り組む。代表作に「よろい軍団」がある1980年、読売国際漫画大賞展・近藤日出造賞(第1回)を「火をくんなまし」で受賞。2020年4月22日死去。享年91歳。

 

 

上条毬男さん 1964年生まれ 代表作 「タンゴ TANGO」 学生時代より同人誌に作品を発表し、1995年、ゲイ雑誌「BADI」「G-men」の創刊期に商業デビュー。以降、同2誌の他、老舗ゲイ雑誌「さぶ」においてやゲイ漫画やイラストを掲載。BADI2号~1995年9月号に連載された代表作「Tango」は、大幅書き直し後、他の短編等とあわせて単行本化も行われた。2020年5月、4月23日に亡くなられていたことがゲイ漫画の巨匠・田亀源五郎氏のツイッターおよびイラストレーター・おおたうにさんのインスタグラムによって明らかになった。25年連れ添った上条さんのパートナーの方のblogによると、上条さんは腎不全と糖尿病の持病があり、通院しながら病とたたかっていたのですが、コロナ禍の影響で通院を数ヶ月控えており、気づかないうちに持病が体を弱らせてしまい、脳内出血を起こし亡くなったとのこと。『G-men』で小説を書いていらした作家の城平海氏が「雑誌『ジーメン』初期、まだ書き始めだった私の拙い作品を挿絵で盛り上げて下さった絵師様。『都市生活者の夜』という連載コミックが好きでした。ご冥福をお祈りします」と追悼コメントを寄せているのをはじめ、TwitterなどのSNSには、「とてもショック」「Tangoは名作でした」「心に残る作品をたくさんくださった」といったコメントが寄せられていた。

 

 

 

矢野功さん 本名 矢野功二郎. 1940年7月27日生まれ  高知県高知市出身 代表作 伝記「宮澤賢治」「棟方志功」「淡谷のり子」他

 高知商業高校二部卒 太平洋美術学校デッサン教室受講 上京後、プロに入る。小島功に師事. 主に伝記漫画や学習漫画を執筆。

1977年、ユネスコ国際漫画フェスティバル優秀賞受賞。社団法人日本漫画家協会の理事を長く務めていた。

2020年急性心臓死のため千葉県鎌ケ谷市の自宅で死去、享年79歳。

 

 

いーむす・アキさん  本名、生年月日未公表につき享年不明 

 2020年7月26日付けのワニマガジンウェブサイト、および7月29日発売の『COMIC快楽天』2020年9月号、8月17日発売の『COMIC失楽天』2020年10月号、またFAKKUにおいて訃報が掲載され、前月の6月7日に死去したことが公表された。死因については明らかにされていない。

主にワニマガジン社『COMIC失楽天』等で執筆しており、その作品数、また美術的技量の観点からも成年漫画家としてエース級の人物であり、国際的にも高く評価されていた。生前に11本の単行本を遺している。

 

 

 明智抄(あけち しょう)さん 1960年2月8日生まれ。東広島市出身。 2020年8月4日死去、享年60歳。東広島市出身。

  1980年「花とゆめ」(白泉社)に掲載の「あざやか緑の物語」で漫画家としてデビュー。代表作に「明朗健全始末人」をはじめとした「始末人シリーズ」や、「サンプル・キティ」「パンドラ」がある。1998年には「松茸狩りでオトナになる」で小説家としてもデビューした。夫の松本真さんは広島大大学院教授。

8月2日に納屋で心肺停止状態で倒れてたところを発見され、救急搬送された。8月4日に入院先で逝去。葬儀は、8月5日に家族のみにて執り行われた葬儀は近親者で行った。9月18日に主に活動していた白泉社のHPと公認FCにより訃報が公表された。

 

 

 

 

 

 

恵口公生(えぐち こうせい) さん 別PN PEYO 本名は未公表 1997年7月28日生まれ 2020年8月19日死去 享年23歳

 高校生の頃に東京芸術大学に入ることを考えて油絵の勉強をしていたときにプランタン出版の編集者の目に止まり、2017年、 PEYOのペンネームで『ボーイミーツマリア』を発表。商業デビューする。『ボーイミーツマリア』は単行本も同出版社から全1巻出ている。

『ボーイミーツマリア』を読んだ講談社の編集者が恵口のTwitterにダイレクトメッセージでコンタクトをとり、2019年、「月刊少年マガジン」2020年11月号から『キミオアライブ』の連載を開始する。コロナ渦中において単行本が発売されるも緊急事態宣言の影響で、売り上げが伸びず、 その苦しい状況をTwitterを通じて漫画で報告していたことにより、一時期話題になっていた。

2020年8月17日、『キミオアライブ』の単行本第2巻が発売されるが同日に緊急入院、2日後の同月19日に急死した。享年23歳。あまりにも早すぎる死だった。死因についてはネット上では色々と囁かれているが正式には公表されていない。同月29日に講談社が訃報を公表。当時連載中であった『キミオアライブ』は絶筆となり、雑誌掲載も「月刊少年マガジン」2020年9月号が最後となった。

 

性別に関しては不明だったがご家族への取材により女性だったことが明らかになった。

 

 

 

 長崎さゆりさん 1963年生まれ 高知県香南市出身 2020年9月11日死去 享年57歳

集英社の雑誌『YOUNG YOU』のコミックファームという公募展に入賞してデビュー。 デビュー作は「前夜祭」。その他の作品に「略奪は甘く」などがある。近年はぶんか社のレディースコミックで「天使の腐臭」を連載していた。

漫画家の漫画家の桜庭あさみさんのブログによると、乳がんの中でも珍しいがんで2019年末に手術をしたが、2020年に入って再発したので抗がん治療のため入院をしていたという。

 

「たくさん作品は描かれていて、仕上げのトーンのベタ張りを相方の方に手伝っていただく以外は全部ご自身で描かれていらっしゃると聞いて、本当に驚きました」というエピソードからも漫画に対して情熱的だった方だったことが伺える。

 

 

 一峰大二(かずみね だいじ)さん 本名 寺田 国治 1935年12月19日生まれ 東京都荒川区出身 2020年11月27日死去 享年84歳

 絵物語作家 岡友彦の弟子を経て1956年に『からくり屋敷の秘密』でデビュー。漫画家の桑田二郎氏は兄弟子に当たる。

 1960年代から1970年代にかけて「ウルトラマン」「スペクトルマン」等の多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを手がけ、当時の特撮ヒーロー番組の大半を漫画化している。コミカライズ作家の先駆けであり大御所的な存在だった。真樹日佐夫原作による「プロレス悪役シリーズ」もマニアには高評価だった。2005年『画業半世紀一峰大二大全集』で第34回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。

2020年11月27日、脳出血及び大葉性肺炎のために死去。漫画ファンのみならず多くの特撮ファンがその死を謹んだ。

 

 

 花村えい子(本名 山賀栄子)さん 1929年11月9日生まれ 埼玉県川越市出身 2020年12月3日死去 享年)91歳

画家でファッションデザイナーの中原順一に憧れ、女子美術大学に入学。中退後に演劇に傾倒して出会った山賀英司氏と家を出、後に結婚。漫画家としてデビューしたのは1959年、夫とともに移った大阪で貸本屋の主人で漫画家の藤原利彦氏の勧めで『虹』に『紫の妖精』を寄稿し、プロデビューする。この時から、夫の芸名「花村えいじ」を元にしたペンネーム「花村えい子」を使っている。

 「週刊マーガレット」(集英社)で連載した「霧の中の少女」(1966年)で少女たちだけでなく親の恋愛を描き、反響を呼んだ。同作は「家庭の秘密」と改題して1975年にTBSでドラマ化された。

 その画風は叙情的で耽美的と評価され、また漫画で少女の瞳に下まつげを描いたのは花村さんが最初だと言われている。1978年~1980年には『花影の女』を「女性セブン」(小学館)で連載。この作品は自らの母・祖母らをモデルにした川越の商人「相模屋」一家を描いた長編作品だった。

 その後、花村さんは読者が成長するとともに、活躍の場を少女マンガからレディースコミックに移した。内田康夫などのミステリ小説の漫画化の他、働く女性を題材とした作品を発表した2020年12月3日、「多臓器不全」により死去。少女マンガの草分け的な存在だった。

 

 

 

 

 漫画の楽しさ、面白さ、素晴らしさ、そして感動をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。