流星の漫画家たち・常にレギュラーだった名選手「中島徹」② | 20世紀漫画少年記

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 中島氏が特筆されるのは「全ての連載が数年続いていた」ということである。

 

 「玄人のひとりごと」は1988年から2010年まで22年間連載していたが実はその間、他の連載作品も数年続けていたのである。

 

少年雀鬼-東-」は「少年サンデー増刊号」で1987年~1990年まで連載。

「ギャンブル王子嵐 」は同じく「少年サンデー増刊号」で1991年~1994年まで連載。

「きちんと軍配!」は「ビックコミックオリジナル増刊」で1992年~1997年まで連載。

「戦え!グリーンベレーくん」は「小学5年生」で1995年~1999年まで連載。

 「五月原課長のつぶやき」は「ビックコミック」で1999年~2009年まで連載。

 

 人気が全ての漫画業界においてこれは実は何気にスゴイことなのである。「少年ジャンプ」のアンケート至上主義はとみに有名であるが、漫画雑誌というのは多かれ少なかれ似たような体質なので、大ヒットを出した作家の次作品が短期で打ち切られるなんて話は珍しくない。何しろあの手塚治虫ですら短期で打ち切られた作品は割と多い。現在では名作と呼ばれる「どろろ」も当時は不人気で短期で打ち切られてしまったのだ。それを考えるといかに中島氏が安定した実力の持ち主だったかおわかりになるだろう。

 

 「戦え!グリーンベレーくん」も「てんとう虫コミックススペシャル」で単行本が2巻出ているが当時の小学館の学年誌の連載で単行本が出るのは実は珍しいことなのである。「ドラえもん」や「あさりちゃん」のように各学年誌で連載している作品は例外として、学年誌の連載は大抵はその学年が変わる1年で終わってしまい、ページ数も少ないので単行本化することもなく、仮に出たとしても全1巻止まりが殆どなのだ。

 

 確かにアニメ化・映画化した作品は無い。商業的に言って大ヒットしたとは言えないかもしれない。しかしその実績はヘタな一発屋よりも出版社に大きく貢献したと言えるだろう。野球で言えばエースや4番ではないが、地味でも堅実な守備と走者を進めるバッティングでチームの勝利に貢献する功労者。それが中島徹という漫画家だった。最多勝投手や首位打者だけでは野球は成り立たないのと同様に、漫画界もこうした作家がいてこそ成り立っている。代表作である「玄人のひとりごと」を22年間連載し、他のどんな連載でも数年やっていた中島氏はまさに「常にレギュラーであり続けた名選手」だった。

 

 そして「ビックコミックオリジナル」2010年4月五日号を最後に代表作である「玄人のひとりごと」は「作者病気療養」を理由に休載に入った。病名は明かされていなかった。休載が何ヶ月か経ち、誌上にも連載再開の告知も載らないのでファンからも「重病ではないのか?」と噂されるようになった。

 

 1年後、2011年4月1日の各新聞朝刊に中島氏の訃報が報じられた。2011年3月26日、大腸がんにより死去。享年47歳。それは漫画家としても人間としてもあまりにも早い死だった。

朝日新聞2011年4月1日朝刊より。

 

「ビックコミックオリジナル」は2011年5月5日号で中島氏の訃報と追悼のメッセージを掲載した。

 

 「玄人のひとりごと」は22年という長い連載だったが中島氏自身は流れ星のように去っていった。

 

 そして中島氏と同期である漫画家の森真理さん(代表作「銀のしっぽ」「なんとなくブ―リン」等)のブログ「しっぽ日記」の追悼記事「友人を送る」にファンは驚いた。

 

「しっぽ日記」

https://plaza.rakuten.co.jp/morisin/diary/201104080000/


「 読者へのメッセージも「無い」と言い、編集者からの電話にもあまり出ず、身の回りの物を片付け始めたと聞いた。

漫画の道具も早々と始末し、親は年だし、兄弟は家庭を持っているし、家族に迷惑かけたくないから、独り暮らしのままで逝く、最期はヘルパーさんに来てもらって死ぬからと、編集者に語ったらしい。

普通、余命が宣告されるような病気になると、人はもっともがくものだ。

闘病記を発表したり、やりたいことをやり、行きたい所に行き、会っておきたい人に連絡したり、なんとか奇跡が起きないかと代替療法に挑戦したり、時には余命短い事を武器にして、「あなたは元気なのだから自分の望みを聞いてくれるよね」と我が儘をかましたりする。
そんな人を何人も見てきた。

けれどそれが人間なのだと思う。

なんでそんなに潔いのだろうか?

思うに、漫画一筋だった中島さんは作品に全てを注ぎ込み、人に会わなくても、闘病記などを発表しなくても、充分に自己表現をし、そして満足していたのかもしれない。 」(原文ママ)

 

 「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」の漫画版「中島徹スレ」にも中島氏のこの潔さに驚きの声が上がった。

 

http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4koma/1223776139/

これもひとつの身の処し方なんだな……たぶん俺には真似できないわ…… 」「 倍南=中島氏ではなくても、旦那の最期ってこんな感じかもしれないな 」「 逝くときは是非お手本にしたい 」「 気が細やかで端正なお人柄だったのかな 」「 巻末の馬券の買い方とか見ててちょっとただ者じゃなさそうって印象があったが 」「 泣けてきた 」「 かっこよすぎだろ

 

 流れ星のように去っていった漫画家はその去り方まで流れ星のようにファンを魅了していった。

 

 毎年、年末になると「玄人のひとりごと」の名物企画「十大ニュース」を思い出す。その度に「中島氏なら今年のニュースをどういう風に描いただろうか?」と思う。

 

                 

 

                  流れる星は生きている。

 

            中島氏は今もファンの胸に生きている。