天国へ届け 「ルパン三世」の生みの親 モンキーパンチさん死去 | 20世紀漫画少年記

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 平成31年4月11日 「ルパン三世」の、モンキー・パンチさん(本名  加藤 一彦 )さんが肺炎のため、亡くなられました。享年81歳。

 

 1937年5月26日生まれ。北海道出身。手塚治虫の影響を受け漫画を描き、高校卒業後に上京。貸本専門の出版社で「加東一彦」のペンネームでデビュー。上京後、アメリカのパロディ雑誌に影響を受け、アメコミ風に作風が変化した。1966年、『漫画ストーリー』(双葉社)の清水文人編集長の命令によりアメコミ風の作風のイメージに合わせてペンネームを「モンキー・パンチ」に改名(当人は不服だった模様)。翌1967年、『漫画アクション』 (双葉社)創刊号から『ルパン三世』を連載。同作品は1971年にアニメ化され大ヒット。国民的アニメとなり、海外からも高い評価を得た。

 早くから作画にデジタル技術を取り入れたことでも知られ、2003年、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と考え、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻 に66歳にして入学(2005年3月に修了)。同年、「デジタルマンガ協会」を発足。2012年まで同協会の会長を務めた。また大手前大学で人文科学部やメディア・芸術学部にて教授を務め、後進の育成にあたった。他にも東京工科大学のメディア学部に客員教授に招かれ、専門学校札幌マンガ・アニメ学院の顧問を務めると共に日本漫画協会では理事や参与を務めた。

 

 心無い人間は「人気があるのはアニメのルパンだ」と言っていた。だが私は漫画に限らずあらゆる創作で最も重要なのは「0から1を生みだす」能力だと思っている。確かにアニメの「ルパン三世」の人気はアニメ会社やスタッフの功績も大きいだろう。しかしそのアニメの人気もパンチ氏の洒脱な作風が生みだしたルパン三世や次元大介、石川五ェ門、峰不二子、銭形警部らの魅力があってこそだろう。

 

 早くから作画にデジタル技術を取り入れたことでも知られていたが、訃報の際に80歳近くなってからも液晶タブレット+フォトショップで作画をしていたことが報道され、ファンを驚かせていた。

 

 「芸は一生精進だ」という言葉を表した漫画家人生だった。その功績は自身が生みだした『ルパン三世』と共に語り継がれるだろう。

 

 心よりご冥福をお祈りいたします。