流転漫画家伝・今もなお漫画界のアイドル「一本木 蛮」③ | 20世紀漫画少年記

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 アイドル(芸能人)にはスキャンダルを起こし、多くのファンを失望させる人間も少なくない。事務所とのトラブルや熱愛発覚や不倫騒動、失言、炎上、果ては覚せい剤の所持・使用などその内容も様々だ。そして悲しいことに漫画界においても様々な理由で自らのファンやかつての読者を失望させる漫画家も少なからず存在する。

 

 自分を(実際には熱帯魚の出来そこないみたいな顔している癖に)イケメンに描いて評論家気どりで政治問題・時事問題をしたり顔で語り、歴史問題で嘘や歪曲でメディアを右傾化し多くのネトウヨを生みだし、その責任もろくにとらず現在も大物文化人気どりの漫画家。

 保守系政治家を漫画で取り上げ、持ち上げられた保守系からチヤホヤされ自分を大作家と勘違いして増長して、飛行機内で赤ん坊の泣き声にブチ切れ騒動を起こしクレーマー的な心根の貧しさを露呈した女性漫画家。 

 才能が枯れ、面白い漫画を描く能力がなくなり、過去のヒット作品にすがるだけの完全な老害と化し、あげくにゴシップ誌で他国へのヘイト全開のコラムを書く漫画家。

 金持ち老人を捕まえて、もっか後妻業にいそしみセレブ自慢とその金持ち老人の調子を合わせてヘイトと歴史歪曲を振り撒く女性漫画家。

 サイエンスエンターティナ―を自称しインチキオカルト論やトンデモ論を振りまき、自作品を利用して自分の信奉する宗教の勧誘をしたり自分を批判した本の発売禁止を求めて訴訟を起こしたりと人間としての最低な品格を露呈した漫画家。

 デビュー作からヒットして完全に増長し、大作家気どりで偉大な先人の作品や大ヒットした他作品にトンチンカンな批判をしてヒンシュクを買い、前述の漫画家の如く(実際にはオウムの麻原チックな)己の顔をイケメンに描いた品の無いコラムを書き、文化人気取りでテレビにドヤ顔で出演し、肝心の漫画はデビュー作以外まともに完結させられず、あげくに下描き同然の線にほとんど白紙の背景というラフ画以下の原稿を描いて同業の漫画家・島本和彦氏から「描きたくないなら描くな」と批判された漫画家。

 

 彼ら彼女らの問題点は大物コメンテーター気取りで政治や社会問題を評論し漫画家の本分を完全に忘れていることにある(劣悪な人間性もあるが)。誤解なきよう言っておくが私は何も「漫画家ごときが」と言っているのではない。マスコミ側からコメントを求められることもあるだろうし、「この人の見解を聞きたい」という読者や視聴者のニーズもあるだろう。だが漫画家の本分は「漫画を描く」という以外に無いはずだ。

 

 漫画の神様・手塚治虫先生はあれだけの大物でありながら生涯、いち漫画家のスタンスを崩すことなく、政治や社会問題を評論することはなかった。  

 「ゴルゴ13」のさいとうたかを先生はあれだけ国際情勢に詳しい知識がありながらどんなにマスコミにコメントを求められても一切答えない。あくまで作品に生かすだけだ。

 

 おそらく2人ともわかっているのだろう。漫画家の本分は「漫画を描くこと」だということを。

 

 漫画と劇画の頂点とも言うべきこの両名の足元にも及ばない漫画家が少々のヒット作(中にはそのヒットすら無い奴もいるが)を出したくらいでなぜ畑違いの問題に偉そうにコメントができるのか?「漫画を描く」以外にまるで能が無い(中にはそれすら疑わしい奴もいるが)のに、その漫画の原稿をまともに描かないでそれで「漫画家」と言えるのか?

 

 そんな醜態を晒しファンを失望させる漫画家たちと違って、蛮先生はルックスとあらゆる才能に恵まれながら今でも漫画家としての姿勢を崩していない。歌手(バンド)もタレントもやるが本業は漫画家というスタンスは今も変わらない。これだけの才能に恵まれた人が漫画家という職業を選んで今も執筆してくれるというのは一人の漫画好きとして本当に嬉しいことだ。

 

 「ファンロード」というややマイナー系の雑誌からスタートし、少年漫画的な絵柄で少年誌・青年誌・実話系漫画誌でコンスタントに活動しつづけていた。2006年に自らの不妊治療を綴った実録漫画 『戦え奥さん!! 不妊症ブギ』 を 『本当にあったゆかいな話DX』 (竹書房)に連載。2008年に小学館より単行本化された。

 

 この不妊治療の記録は2012年6月3日にフジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』において「 君を待っている〜不妊治療の今〜 」と題して放送された。

 

2011年には双葉社「web漫画アクション堂」にて自伝的漫画『同人少女JB』を連載。

 

 

 オタク文化の黎明期が舞台となっており30代・40代の「ファンロード」世代のオタクから若い世代のオタクまで話題となった。双葉社から単行本が全4巻出ている。

 

そして今年2019年1月、愛犬コナンとの思い出を綴ったエッセイコミック『 まめしばコ!の、いっしょう 1: だいすき篇 』(早川書房)を発表。

 2月には『 まめしばコ!の、いっしょう2 ありがとう篇 』が発売された。蛮先生夫妻が雌の豆柴「コナン」に我が子として愛情をそそいだ日々を綴ったこの作品は発売直後から反響を呼び早くも上半期の話題作となっている。

 

 また中学からはじめていた同人活動は現在も続けており、コミケやコミティア等、各同人イベントで同人誌・個人誌を発表している。

 

 蛮先生のこうした精力的な活動を見ているとこの人は本当に漫画が好きなのだと思う。すべからく漫画家はそうであるはずなのだが、そうとは思えない作家のなんと多いことか。

 

 自分も社会人になって二十数年たち、それなりの人生経験を経てきた。そして子供の頃とはまた違った人間の「格好良さ」を知るようになった。それはどんな仕事でも「信念を持ってその仕事をする」という事と「一つの仕事をやり通す」事だ。「不妊治療」という決して楽ではないはずの自身の体験も執筆し、今も話題作を描き続ける蛮先生の姿は、たまらなく格好いい。

 

 蛮先生の写真集『パステル・アドベンチャー』には蛮先生のこんなコメントがある。

 

「でも、少年マンガはずっと続けるつもりだから、心配しないで。わたしにとって、大切なのはマンガを描くことと、オートバイに関わり続けることなのだから。」

 

 その言葉どおり、蛮先生は今も漫画を描き続けている。子供の頃から芸能オンチだった私にとって蛮先生は唯一アイドルと言える存在だった。「アイドル」という言葉は人によって定義は異なるかもしれないが、 一般的にはあこがれや崇拝の対象となる人物の例えとして用いられている。「アイドル」という言葉が憧れを意味する言葉であるならば、若い頃とはまた違った格好良さを見せてくれる蛮先生はまさに私にとって今も憧れでありアイドルと言える存在である。

 

 そして蛮先生は近年は日本のオタク文化を欧米へ紹介する活動も行っており、現在は日本漫画協会の理事を務めるかたわら文星芸術大学・ つくば開成国際高等学校で非常勤講師もをつとめ後進の指導も行っている。

 

 ウィキペディアによると「アイドル」とは「稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物と定義している 」とある。

 アイドルの定義が「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物」であるならば、今も熱意をもって漫画を描き続けファンを魅了し、漫画界全体の発展の為に活躍している蛮先生はまさに「漫画界」にとって「アイドル」と言えるだろう。

 

 だからこそ私は蛮先生を私にとってだけでなく「漫画界のアイドル」だと断言できるのである。