『ACACIA-アカシアー』
【出演】
アントニオ猪木、石田えり、林凌雅、北村一輝、坂井真紀、川津祐介
【監督】
辻仁成
‘僕がいたら迷惑?’
‘全然’
山と海からの風が渡る港町。
その片隅に、時代から取り残されたような寂れた団地が並ぶ。
初老の元覆面プロレスラーの大魔神は、そこで年老いた住人たちの話し相手や用心棒をしながら、ひとり静かに余生を送っている。
彼は、亡き息子に充分な愛情を注げなかった悔いを胸の底に秘めて生きてきた。
ある初夏の日、彼の前にタクロウという名の少年が現れる。
同級生たちにイジメられていた彼に、大魔神はプロレスを教えて上げる。
「これがね、アームロック。そしてこれがスリーパーホールドだ!」
「イテテテ!」
後日、タクロウが今度は母親に連れられてやって来た。
「この子、夏休みの間だけ預かって貰えないでしょうか?毎日、あなたの話ばかりしていてなついてしまったみたいで」
「……」
「じゃあ、お願いします。あともし私が戻らなかったら、この子の父親に連絡して下さい」
「え!?僕に父ちゃんいるの!?」
彼女は大魔神にタクロウを押し付けると、父の居場所が書かれたメモを残して去っていってしまう。
タクロウは、父は既に他界したと聞かされて育っていた。母は子育てよりも恋愛に夢中だ。
友達もおらず、遊び相手はゲームだけ。
「母ちゃんは好きな人がいるんだ。僕はお荷物なんだ……ここにいたら迷惑でしょ?」
「……全然。それに毎日、プロレスを教えられるよ」
「ホントに!」
誰にも心を許さないタクロウだが、大魔神の優しさに包まれていると不思議と素直になれた。
やがて団地の暮らしにも馴染んできた頃、タクロウは大魔神のトランクの中に子ども用の白い覆面と古い家族写真を発見し、大魔神に妻子がいたことを知る。
ある日、大魔神はタクロウの父に会いに行くことに。
奇しくも父の木戸春男は、団地の老人たちを担当するケースワーカー。
新しい妻と二人の娘と暮らす彼は、タクロウの成長した姿を知らない。
それでも息子の存在を忘れたことはなく、心の奥の思いを腹話術の人形に向かって吐露するのだった。
時を同じくして、大魔神のかつての妻、芳子が団地を訪ねてくる。
不在の大魔神の代わりに対応したタクロウに向かって、芳子は夫婦の亡くなった息子、エイジのことを語り始める。
そしてエイジの死が、当時現役だった大魔神と芳子の間にいかに大きな溝を作ったのかも……。
温かい団地の住人たちとアカシアの木々に見守られ……束の間、親子のように暮らすふたり。
かけがえのない時を重ねるうち、相手が抱えている哀しみを感じながら、大魔神とタクロウは親子のように寄り添い、絆を深めていく。
タクロウはプロレスを教わりながら逞しさを身につけ、大魔神はそんなタクロウにエイジの面影を重ねる。
そして、大魔神はタクロウと春男を、タクロウは大魔神と芳子を引き合わせ……。
それぞれが本当の家族と再会し、過去の痛みを乗り越える現実の勇気を手にしていくのだった。
息子を失った元プロレスラーと、親の愛情を知らない少年。
孤独なふたりが出会い、ともに過ごしたひと夏の希望と勇気の物語。
家族がバラバラになり、離れて暮らすようになっても、父が息子のことを考えない日はない。その思いはどうしたら届くのか。空いてしまった心の穴は埋められるのか。
高齢化社会に潜む孤独や、子どもを取り巻くイジメの問題など、様々な世代の人間が抱える現実を見据えながら、いつの時代も揺るがない人間の絆を描き出します。
‘燃える闘魂’アントニオ猪木の映画初主演作!
猪木さんの演技は決して上手くはないけれど、とても味があり、喜怒哀楽の表情がいい。(特に笑顔が)
これはプロレスで培った賜物か。
‘猪木信者’には涙モノのシーンも!
夢の中……霧に包まれた真っ白なリング上で、見えない相手とプロレスを繰り広げる大魔神。
その佇まいや息遣い、仕種は……現役時のアントニオ猪木の勇姿そのもの。やはりリングに立つと絵になる!
そして最後には、スライディングしてのアリキックを披露。(たまらない!)
チンピラどもを‘闘魂ビンタ’で蹴散らすシーンも、かなりの迫力でした。
かと思えば、強い父性をも体現してみせ……目尻に深い皺を寄せて微笑み、大きな体を折り曲げて縫い物をし、哀しい過去を思い出して立ちすくみ……。
大魔神の一挙一動は、胸に大きく響くものがあります。
舞台となる函館の港町の風情も美しく、そこも見所のひとつ。
ちなみに、この作品の予告編は飽きるくらい観ていて(なぜなら『時かけ』を観に行く度に流れていたので)それだけでお腹がいっぱいになってしまい(?)劇場公開時はスルーしてしまっていたという……。