幕末の日本で、敵からも味方からも最も恐れられたのがこの男。
幕末の動乱期を、新選組副長として剣に生き、剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑なな生涯。武州石田村の百姓の子「バラガキのトシ」は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作りあげ、自身も思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。
歴史の中には、時折、生まれてくる時代を間違えていると思わずにはいられない人物が登場する。
土方歳三、沖田総司、そして近藤勇は間違いなく「遅れてきた」侍だ。
もし彼らが戦国の世にその生を受けていたなら、
土方や沖田はひとかどの武将として名を残しただろうし、
彼らの働きによって近藤はかなり出世したかもしれない。
(ただ、信長のような大名の下でないと難しいかもしれない)
だが、残念ながら彼らが生まれた時代においては、もはや剣の腕前は必要とされていなかった。
彼らが剣を振るう場はほとんど残されていなかった。
剣が時代を切り開くような風潮ではなくなっていた。
にもかかわらず、土方は剣を振るい続ける。
武州多摩のバラガキと言われた少年時代から何も変わらない、
ただの喧嘩屋として戦いの場を求め続けていく。
土方には主義も主張も思想も何もない。
尊王も攘夷も佐幕も倒幕も彼には全く関係ない。
坂本龍馬のように自由な国を創りたいという想いもないし、
近藤のように大名になりたいという野望や欲望もなかった。
ただただ、戦いの場さえ与えられればそれでいい。
究極のところ、戦えてさえいれば、その戦いの勝ち負けすら土方にはどうでもよかったのだ。
本当に人生の最後の最後まで彼は剣を振るい続け、
ただそれだけの人生だった。
僕はそんな風に感じた。
いまだかつて、そんな男が日本の歴史の中に存在しただろうか。
土方の盟友である近藤や、原田、永倉のような無骨な侍たちですら自分なりの想いがあり、
「日本一のバラガキ」になりたかっただけの土方と袂を別つようになった。
作中で最後まで土方に付き従った斎藤一が彼を「妙な男」と評するが、
おそらく土方歳三という男を真に理解できたのは、
たった一人、沖田総司だけだったのかもしれない。
そういう意味では、この戦乱の時代においてただ一人、
最も純真だったのがこの土方歳三という男だったのではないか。