「新史 太閤記」 司馬遼太郎 新潮社 ★★★ | 水底の本棚

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機に乗じては縦横に智略を働かせ、生れながらの猿面を人間的魅力に転じて主君・織田信長の心を掴む。奇想天外の戦術を展開して戦国の世を駆け、日本の近世を切り開いた豊臣秀吉。乱世の英雄を現代に甦らせて、日本人の夢とロマンを描く傑作。


新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)



初読のきっかけはいまだに覚えている。


いつだったかは忘れてしまったが、


正月特別番組として放送された明智光秀を主人公とするドラマを観て、


この時代に関する小説を読んでみたくなったのだ。


光秀が信長の暴走を止めるためにやむなく謀叛を起こしたという解釈は特に目新しいものではなかったが、


光秀が自らを捨石とし秀吉に新しい時代を築いてもらおうとし、


秀吉もまた光秀の真意を理解した上で彼を討つというくだりは、


唐沢寿明、柳葉敏郎の好演もありなかなか興味深かった。

(もちろんフィクションとして面白かったという意味だけど)



ドラマの中で光秀が次の世を秀吉に託したのはその資質を見抜いたからだ。


そしてその類稀なる資質は、本作の中でも十分に発揮されている。


天下を望みながらも常に彼の視線は民に向いているのだ。


無用な戦いを避け、仁政を施すことで人心を掌握していく彼の姿勢は、


自身の出自と無関係ではあるまい。



司馬遼太郎は秀吉を評して「商人」と書いている。まさに言いえて妙である。



どれほど憎い敵の将であろうとも彼はその命を奪わない。


彼の生来の優しさもあろうが、それ以上に秀吉は世間の目を恐れたのだろう。


それはまさに「商人」の発想だ。


商人が世間の評判を落としてしまっては商売にならない。



また、商人だから土地にもこだわらない。


財を貯め込むのではなく豪儀に振舞う。


最大の富は土地や金銀財宝などではなく人材であることを秀吉は知っていたのだ。


このあたりも商人の発想だ。


司馬遼太郎は、この秀吉の商人であるという適性を示すために家を捨てて高野聖とともに旅立とうとする幼き日の姿を描いているのだと思う。



こういう発想が出来たところが、秀吉が日本で初めての王となった最大の要因であろう。


それにしても秀吉のやり方というのはものすごい。


椎名高志が漫画「ミスタージパング」の中で、


「サルにとって大事なのはその日のケンカの勝ち負けとメンツとナワバリ」と描いているが、


この伝でいけば、秀吉はその風貌とは違い、決して猿などではない。

(余談だが、数多ある秀吉物語で僕が一番好きなのはこの漫画だ)



必要とあらば面子も誇りもかなぐり捨てるし、縄張りなど平気で人にくれてやってしまう。


人と違う視点を持てるということがどれだけ素晴らしい武器になるかということは普遍の事実で、


これは戦国時代も今も変わっていない。


一個の武将として、またその国の軍事力においてだけなら時代で最強であった謙信や信玄が覇を得ることができず、


信長、秀吉、家康といった小国出身のベンチャー大名たちが天下統一に迫ったのはこのあたりも理由の一つだろう。