「犯人に告ぐ」 雫井脩介 双葉社 ★★★☆ | 水底の本棚

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

子供ばかりをねらって殺害を繰り返すバッドマンの捜査は遅々として進まなかった。本部は現状打開のために、過去にある失態をおかし一線を外れた刑事を呼び戻した。
もはや犯罪はメディアとは切り離すことはできない。ならば逆にメディアを巻き込んでやろう。それが警察の思惑だった。


犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)


近年、増加の一途を辿る劇場型犯罪。


劇場型犯罪では、世間が騒ぎ、マスコミが騒ぐ。


犯罪評論家や社会学のセンセイ、心理学のセンセイたちがしたり顔で解説をする。


ワイドショーでは芸能人やら、局アナやらまでが感想を述べる。


どうかすれば被害者や、被害者の家族を脇に押しのけてしゃしゃり出てくることすらある。



彼らはすなわち、犯人が創った舞台を観につめかける無責任な観客なのだ。


そして、同時にマスコミは犯人の作り出す舞台をより魅力的に演出する裏方でもある。


報道が犯罪抑制に繋がっているという事実も忘れてはいけないが、


「報道の義務」という大義名分を旗印にした彼らの過剰なまでの過熱報道が、


犯罪者を調子に乗せ、新たなる犯罪者を生み出しているということもまた事実なのである。




犯罪は報道によって流行る。


これは間違いない。


そういう観点から、本作での警察の試みは非常に興味深い。


そのマスコミを逆に犯人逮捕に利用してやろうというのだから。



犯人の創った舞台の上で踊っているのでは、いつまでたっても犯人をつかまえることなどできはしない。


ならば、こちらから舞台を用意し、犯人をそこに引っ張り出してやろう。


それが本作でとられている警察の作戦なのだ。




はっきり言って、現実味はないと思う。


こんな方法で現場の捜査官が表に出てくることがあったなら、


本作で描かれている状態の何十、何百倍もの非難が警察とテレビ局に集中するだろう。


おそらく僕もこんな捜査をテレビで見たら、胸糞が悪くなるだろうと思う。


そもそも、お役所である警察がこんな開かれた捜査方法を思いつくはずもないし、


もし思いついたとしても実行できるはずもない。


だが、空想小説として読むのならば、これは面白い。


無茶ではあるが…とても面白いと思う。


この無茶な捜査の矢面に立たされたのは、


過去に誘拐事件の捜査に失敗し、記者会見でも大失態を演じた巻島警視。


かつて、はからずも汚れ役を演じた男に、再び汚れ役が回ってきたというわけだ。


巻島捜査官はその期待通りに延々と汚れ役を演じ続ける。


恋に溺れた馬鹿な上司の横槍にもめげず、

(彼が巻島のトラップに見事に填まったときは胸がすく思いがした)


世間やマスコミからの糾弾にも負けず、巻島は必死に汚れ役を演じ続ける。


しかし、彼も心を持った人間だから、もちろん辛かったことには間違いないだろう。


部下の津田がそれをこんな風に表現していた。



「痛そうじゃないから痛くないんだろうと思ったら大間違いだ…それは単にその人が我慢しているだけですからな」



巻島はかつて手の届かなかった「ワシ」と、


現在ある「バッドマン」とを重ね合わせ、


「バッドマン」を捕まえることを代替行為にしているように思えた。


だからこそ、これほどの執念を巻島は見せたのだろう。



これはある意味、彼の贖罪だったのだ。


だからこそ、どんな苦境にも耐えられたのに違いない。


痛くとも、我慢することができたのに違いない。


「ワシ」を模倣した桜川に刺された巻島も死なず、


巻島の家族の誰も傷つかずにすんだラストシーンに僕は胸をほっとなで下ろすような気持ちになった。


誰も傷つかないで欲しかった。



「多少時間はかかったが、我々はようやくお前を追い詰めた。逮捕はもう時間の問題だ。逃げようと思うな。失踪した人間は真っ先にマークする。今夜は震えて眠れ」
(中略)
「手紙を落とした失態を悔やんでも遅い。余興は終った。これは正義をまっとうする捜査であり、私はその担い手だ。お前は卑劣な凶悪犯であり、徹底的に裁かれるべき人間だ。それをわきまえなかったお前の甘さが致命的だったと言っておく。正義は必ずお前をねじ伏せる。いつかは分からない。おそらく正義は突然、お前の目の前に現れるだろう。首を洗ってそのときを待っていろ。以上だ」