1991年4月。雨宿りをするひとりの少女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。
遠い国からはるばるおれたちの街にやって来た少女、マーヤ。彼女と過ごす、謎に満ちた日常。
そして彼女が帰国した後、おれたちの最大の謎解きが始まる。
彼女はどこに帰ったのか。
謎を解く鍵は記憶のなかに――。
忘れ難い余韻をもたらす、出会いと祈りの物語。
※感想にはねたばらしを含んでいます。未読の方はご注意を。
何となく高校生活を過ごしていただけの、どこにでもいる平凡な日本の高校生、守屋。
美人だが険のある太刀洗、のんびり屋でマイペースな白河、そして、守屋と同じ弓道部に所属する文原の四人は、マーヤを歓待しながらともに楽しい日々を過ごす。
マーヤに対する四人の立ち位置は彼らそれぞれの性格に拠るもので、それぞれに違う。
その微妙な距離感が見事に表現されていて面白い。
そして、それでいながらそれぞれが、彼らなりにマーヤのことを想っているのがわかってとても微笑ましく感じる。
マーヤと過ごす二ヶ月の間で、好奇心旺盛な彼女はそこで起こったいくつかの出来事に対して可愛らしい疑問を持つ。
それらがいわゆる「日常の謎」として提示されており、探偵役となる太刀洗のヒントで守屋がそれらに対する解答を見つけていく。
推理小説として見たら、決して出来の良い「謎」だとは思わないが、物語の彩りにはなっている。
マーヤの疑問に対する答えは決して気持ちの良いものばかりではなかったけれど(賽銭泥棒だとか)、彼女はそれをあるがまま、飾らない日常の一コマが見れてよかったと言う。
そんなマーヤと接するうちに、守屋はマーヤの日常であるユーゴを見てみたいと思うようになる。
何にも入れ込むことなく、ただ何となく生きてきた守屋が、はじめて自分の意思で扉を開こうと思ったのだ。
しかし、マーヤはそんな守屋を受け入れず、帰国。
彼女が帰国してから、守屋はマーヤが帰った国がどこなのか、記憶を頼りに探ろうとする。
六つの国に分かれている旧ユーゴスラヴィアのうち、どこにマーヤは帰ったのか。
これがこの物語の最後の、そして最大の「謎」だ。
そして、守屋がたどり着いた結論は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、首都サラエヴォ。
戦火の真っ只中にある国だ。
自分の日記やかき集めた資料から、守屋はその答えにたどり着くわけだが、そんな論理を無視しても僕は答えは明らかだったろうと思う。
マーヤが守屋を拒んだ理由、それこそがその答えなのではないだろうか。
もしも身の安全が確保できるような国であるならば、マーヤはもしかしたら守屋を自分の国に招いたかもしれない。
物語は守屋がその後、ユーゴに渡ったかどうかまでは描かれていない。
マーヤと会うことはもう二度と叶わない。
でも、それでも守屋はユーゴに渡ったような気が僕はしている。
そして、できればそのときは太刀洗も傍にいてあげて欲しいと思う。
こんなに爽やかで軽やかで素敵な文章が連なっているのに、
これほど読後感が重く、いや、切なくなるとは。
さよなら。妖精。