「TUGUMI」 吉本ばなな 中央公論新社 ★★★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

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本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)


病弱で生意気な美少女つぐみ。

彼女と育った海辺の小さな町へ帰省した夏、まだ淡い夜のはじまりに、つぐみと私は、ふるさとの最後のひと夏をともにする少年に出会った。
少女から大人へと移りゆく季節の、二度とかえらないきらめきを描く、切なく透明な物語。

第二回山本周五郎賞受賞。



「TUGUMI」の魅力はそのキャラクターにある。



ストーリー自体は本当にどうということもない。


海辺の小さな町で起こるちょっとした出来事。


殺人事件が起こるわけでもない、大恋愛の物語でもない、


天災もやってこないし、超能力も宇宙人も出てこない。


作者はただ、つぐみという魅力的なキャラクターを創造し、


そして彼女の生活を描いてみただけだ。



ただそれだけのことなのに、鮮烈できらめくような物語になってしまう。



ストーリーを重視して小説の優劣を判断しがちな僕でさえ、つぐみには惹かれてしまった。


不思議な物語だ。



主人公の少女の名がそのままつけられただけの飾り気のないタイトル。


漫画じゃあるまいし、そのまま登場人物の名前をつけるだけなんて、と思う人もいるかもしれない。


けれど、この小説にタイトルをつけるとしたら、やはりこれしかない。


この小説はつぐみの物語なのだから。


余談だがこの物語は映画にもなったことがある。


牧瀬里穂がつぐみを、中嶋朋子がまりあを好演していた。


両者のキャラクターをそれなりに引き出していた、まあまあ良い映画だったと思う。





確かにつぐみは、いやな女の子だった。


主人公の少女に対して悪態をつく、こんな書き出しってありますか?

これだけでも十分、この作品は変っているなあ、と思います。



つぐみは意地悪で粗野で口が悪く、わがままで甘ったれでずる賢い。

人のいちばんいやがることを絶妙のタイミングと的確な描写でずけずけ言う時の勝ち誇った様は、まるで悪魔のようだった。


こんな少女を主人公に据えたら、それだけで立派にひとつの作品が出来上る。

確かにそんな気がしてきた。
悪魔のようだった、という表現がなんだか可愛らしい。



「こんな腐ったことやってるヒマしかないなら」と私は「行書体練習帳」を畳にたたきつけて言った。「今すぐ死ね、死んでいい」


温和なまりあが、熱を出して弱っているつぐみにこんな言葉を叩きつけるこのシーンはなかなかに鮮烈。でも僕は密かにこのシーンが好きです。



「そうだね。あたしみたいな寝たきりの苦労人よりずっと心あたたまるよな。ふとんの中で何でもかんでも知っちまったのより。なんか、いやらしい言い回しだな。まあ、とにかくおまえの親父と廊下でばったり会って『やあ、つぐみちゃん、東京で欲しいものがあったら何でもおっしゃい、買ってこよう』なんちゃって言われっと、さすがのあたしもほほえみを返してしまうもんな」


つぐみの「まりあの父親」評である。

的を射ているなあと思うと同時に、僕はこの父親が好きだなあと思う。

巧まずに、つぐみを微笑ませることができる人間なんてそうはいまい。



「うるせえ、黙ってきいてろ。それで、食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、みんなのためにありがとう、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたり、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。ま、それ、あくまでたとえだけどな」


こういうセリフをつぐみは強がって言っているわけではない。

わざと悪ぶって嫌な物言いをするような奴は格好悪いけれど、つぐみは気負いも何もなく本当にこういうことを思って言っているのだ。

だからどんなに悪辣なセリフを吐いても(腹は立つけれど)厭味なヤツだとは思わない。



「あたしは、最後の一葉をいらいらしてむしりとっちまうような奴だけど、その美しさは覚えてるよ、そういうことかい」


つぐみは多分、本当にそういう奴なんだろう。

大切にしているものなんてないけれど、大切なことは何かをちゃんと分かっていて…っていうような子なんだろうな。

うーん、どうだろう、それもまた違う気がしてきた。

つぐみを言葉でうまく表現するのは難しい。



「うん、君もなれよ。…いや、どこにでも行ければいいってもんじゃない。ここもいい所だよ。ビーチサンダルで、水着で歩けて、山も海もある。君の心は丈夫だし、君は気骨があるから、ずっとここにいても、世界中を旅している奴よりたくさんのものを見ることができるよ。そういう気がするね」


恭一の凄いところは、こういうことをつぐみを慰めるために言っているのではない、というところだ。

本当に思っているから言っているのだ。恭一とつぐみはそっくりだ。

つぐみが、恭一は見所があると言うのはまさにこういうところなんじゃないかな。



あたしの人生はくだらなかった。いいことといったら、そのくらいしか浮かんでこないくらいのものさ。
何にしても、この町で死ねるのは嬉しいことです。
元気で。


これが本当に死出の手紙であれば…もっと泣ける一言なんでしょう。

でもつぐみは死なずに「よう、ブス」なんて言って、まりあに電話をかけている。

つぐみらしさは最後まで変らない。嬉しいことだ。