チャイルドモデルから芸能界へ。幼い頃からテレビの中で生きてきた美しくすこやかな少女・夕子。
ある出来事をきっかけに、彼女はブレイクするが…。
成長する少女の心とからだに流れる18年の時間を描く待望の長篇小説。
前二作は一人称で書かれた物語だった。
本作は綿矢りさ初めての三人称。
とは言え、そのあたりは三人称のルールは無視して、
地文で心理描写なんかもしちゃっているのであまり関係ない。
小説の基本もへったくれもないし、
文章の語尾も「~した」が連続したりして本来ならとても読みづらいはず。
けれどなぜか不快感はない。リズムよく読める。なぜだろう。
ま、それはさておき、文章のほうは随分とオリジナリティが薄れたという印象がある。
「インストール」を読んだときのように綿矢りさでなければ書けない文章だ、というような感じはない。
それでも時々輝くような、綿矢りさらしい表現などにぶつかる。
それが少なくなったぶん、かえって嬉しい。
セリフ回しなんかも不思議な可愛らしさがある。
母親に対して夕子が「どうしようもない鬼ばばだ」というところなんて微笑ましくて笑ってしまった。
さて、物語の感想。
「インストール」や「蹴りたい背中」にも共通していることだが、
まるでリドルストーリーのような結末を迎える。なんの結論も出さずオチもない。
物語は徹底して僕の想像を裏切った。
夕子が両親や事務所やファンの期待を裏切ったように、物語は僕を裏切る。
最初は自分では叶わない夢を娘に託して必死になるステージママの話なのかと思った。
夕子は芸能活動なんかに興味はなくて、でも周囲の期待を裏切れず、
嫌々続けていき、終いには母親と衝突するというような話になるのかなと思っていた。
ところが夕子はさほど芸能活動を嫌がっている様子もない。
母親も彼女に無理を強いるわけでもない。
淡々と芸能活動を続けていく。
ありがちな芸能界のいじめみたいなのも存在せず、むしろ夕子は皆に好意的に受け入れられていく。
ちょっと拍子抜けした。
そして夕子は私立の高校に入学し東京に引越しをする。
仕事も増えてきて彼女も悩みはじめる。
ここでの夕子の悩みが僕には正直よくわからない。
芸能界が嫌なら辞めてしまえばいい。
それほどのプレッシャーがかかっているとは思えない。
彼女の抱いている漠然とした不安は僕には伝わらない。
ここできっと夕子はかつて淡い気持ちを抱いたこともある少年、多摩に会いに行くのだろうなと思った。
というよりむしろ早く会いに行けよとすら思っていた。
それがきっと彼女を救うことになると僕は信じていたからだ。
だが夕子は多摩のことなど思い出しもせず、売れないダンサーとくっついてしまう。
両親の不仲にも芸能界の大人たちに対してもまっすぐであり続けた、
およそ芸能人らしくなかった彼女が、ただの肉欲に溺れたお馬鹿な女の子になってしまう。
若いときの恋ってこういうものだけれど、夕子には何だか似つかわしくない気がした。
そして夕子自身が「これ以上のことはない」と表現するところまで堕落して
初めて彼女は多摩のことを思い出し会いに行く。でもそれも手遅れだった。
最後の最後まで夕子は僕の想像を裏切るのだなと思った。
結局、僕は夕子は何をしたかったのか、どうなりたかったのかよくわからなかった。
芸能界で登りつめ世界一のスターになったとしても彼女が満足したとも思えないし、
芸能界を引退して正晃と結婚でもして平凡な暮らしができたとしても
それを夕子が望んでいたのだとも思いづらい。
与えるべき夢など何ひとつ持っていなかった夕子の、瑞々しい若さだけを描いた物語。
綺麗な部分も、そうでない部分もすべてひっくるめて阿部夕子という少女の若さの煌き。
ただそれだけの物語ということでいいのかな、とちょっとだけ思った。
「でしょ。そう、“与える”っていう言葉が決定的におかしいんだと思う。お米は無理で夢だけが堂々と“与える”なんて高びしゃな言い方が許されているなんて、どこかおかしい。大体この場合の“夢”って一体どういうものなのか、まだ分からない。いままで散々言ってきたけれど」