会津の下級武士・新之助は、西洋砲術を学ぶため、全国から秀才が集まる象山塾に入門するが、放物線やら火薬量の計算やら、ちんぷんかんぷん。
同じく新参者の薩摩藩士・八郎太とは、歳も数学が苦手なのも一緒で意気投合、互いの藩の内情すら語りあう仲に。
だがまさか、好きになる女まで一緒とは…。
幕末の動乱期、友として時に敵として交わり続ける男たちの生き様を、清水流の視点で軽快に描く。
会津藩士の秋月と、薩摩藩士の橋口。
のちに「朝敵」とされ会津戦争に敗れることになる会津藩。
その会津藩を攻めたてたのは、のちに明治政府の中心となる薩摩藩と長州藩であるということを、
歴史上の事実として知っている僕らにとって、
この物語は冒頭から切ないものがある。
どれほど二人が親交を深めていこうとも、
彼らが敵味方に別れて戦わなくてはいけないことは史実なのだ。
決してそれが変わることはない。
時代がその友情を切り裂くまでは、
だからこそ、象山の塾でともに学び、語らい、笑い合い、恋愛のライバルとして切磋琢磨する二人を、
温かく見守っていたいと思いながらページをめくっていった。
だが、僕の想像はよい意味で裏切られる。
彼らは敵味方に別れようとも、その友情の灯を決して絶やそうとはしなかった。
もちろん、橋口は薩摩隼人と言われる愚直な武人の国の人間であり、
秋月もまたどこかぼんやりしてるものの、松平容保を護るという強い意思を持った侍であった。
二人とも決して自分の国を軽んじているわけではない。
だが、「戦争は戦争。俺たちの友情は友情」と割り切れるだけの聡明さを持っていたのだ。
(清水義範さんはこの二人を戦場であいまみえさせるような悲劇にはしなかったし)
秋月も橋口もともに歴史に名を残すような人物ではない。
だが、この時代にこういう若者は間違いなく存在しただろうし、
戦によって友情を引き裂かれた若者もいただろう。
この小説は歴史パスティーシュ小説だが、
同時にこれはこれで「史実」である、と言えるのではないかなあと思うのだ。
ところで、平成23年に死去した会津松平家第13代当主の松平保定氏は、
靖国神社宮司に推薦されましたが、
「戊辰戦争の薩長の戦死者がまつられ、賊軍とされた会津藩の戦死者が祀られていないのに、会津人として受けるわけにはいかない」
と固辞されたそうです。
これ明治の時代のハナシではなく、最近のハナシなんですよ?
こういうメンタリティは欧州では決して珍しくないのですが、日本で聞くとちょっとびっくりしませんか?
会津志士の魂は健在なのだなあとその誇り高さに感心するとともに、
こういう考え方がある限り戦争はなかなか無くならないよなとも思ってしまうのです。