2014年6月に開催されるブラジルワールドカップ。
1998年フランス大会以来、5大会連続出場となる日本代表は、本田圭祐、香川真司など本当の意味での海外トップクラブで活躍する選手を中心に「史上最強」のメンバーで挑むことになります。
日本代表は過去の苦い経験を教訓として、今度こそ「すべての力を出し切る」ことができるのか。
多くの日本人は、とくにサッカーに詳しくない人ほど、「なんでシュート打たないの?」ともどかしい思いを感じたのではないでしょうか。
点をとらなければ勝てない状況でも、パスを回すばかりで、相手が迫ってくると、すぐにボールをさげてしまい、そのままタイムアップを迎える……どうしてこういうことが起こるのか。
本書は、かれこれ20年近く世界中をサッカー取材で飛び回り、スタジアムの内外で様々な経験を積み重ねてきたサッカーライターの熊崎敬さんが、その過程で出会った具体的な場面を材料に、日本サッカーの宿痾ともいえる「シュート撃たない病」の原因を探った一冊です(文庫書下ろし)。
なぜ日本人はシュートを撃たないのか。
そこには、社会性が高くマニュアル化に優れた日本人の民族性や社会性と深く関わっている可能性があります。
久しぶりに面白いサッカー評論を読んだなあという感じ。
さすがは、Numberを発行している文藝春秋。
スポーツ関連の書籍に関しては、他の大手出版社よりもアタマひとつ抜けていますな。
日本人はなぜシュートを打たないのかという問いは、
日本サッカー界において永遠の命題であるように思える。
僕も小学生のころからずっとサッカーをやっていた。
小学生のころはボールを持ったらまずドリブル。
右ウイングだったのに、折り返すことよりも自分が中に切れ込んでシュートを打つことばかり考えていた。
中学に入って自分より得点力のある仲間と出会って、パスを覚えた。
自分が打つよりそいつに預けたほうが確実だと思ったから。
高校ではさらに巧いヤツがたくさんいた。
シュートよりもクロスの精度を上げることに楽しさを覚えたし、守備も磨いた。
でもそれはもしかしたら、逃げだったかもしれない。
クロスやパスを面白いと思うのは自分に対する言い訳で、本当はシュートを打ちたかったのかもしれない。
誰だってきっと、サッカーをはじめたときはストライカーを目指す。
野球少年がみんなピッチャーをやりたがるように。
でもストライカーの椅子はたくさんはない。チームにひとつかふたつだ。
そこに終生しがみつくよりも、他のポジションや役割に活路を見出すほうが楽だし簡単だ。
何ならサッカー以外のスポーツという選択肢も山ほどある。
だが、ブラジルにはそうたくさんの選択肢はない。
サッカーかバレーボールか、そうでなければ格闘技か。
ブラジルに生まれたら、野球やフィギュアスケートでは食べていくことはできない。
いろんな意味で選択肢が多いことが、日本にストライカーが生まれづらい理由ではないだろうか。
いずれにせよ、日本人がシュートを打たない理由を日本社会に求めてはいけない。
信号を守る国民だからマリーシアができないなんていうのは、単なるこじつけだ。
僕が最も信頼するサッカージャーナリストの後藤健生さんが、
「サッカーを語るには、まずサッカーの言葉をもって語るべきだと思う」
と書いているが、本当にその通りだと思う。
そして本書はサッカーをサッカーの言葉で語っている。
だから面白い。
ワールドカップ前に、ぜひご一読を。