「バスジャック」 三崎亜記 集英社 ★★★☆ | 水底の本棚

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

バスジャックブームの昨今、人々はこの新種の娯楽を求めて高速バスに殺到するが…。

表題作他、奇想あり抒情ありの多彩な筆致で描いた全七編を収録。


バスジャック



なんともシュールで奇妙で不思議な物語だと思った。


だが決して無秩序なストーリーではないし幻想的なものでもない。


日常に見えて、ほんの少しだけ違う、不思議な世界。




敢えて似たような作品を探すならば星新一の一連のショートショートが近いかもしれない。


稀代のショートショートの名手と似た読み味を持っているというのはすごいことだ。



三崎亜記という人の発想力の豊かさは、現代作家の中でも群を抜いている。


たとえば僕が小説を書こうとしたって、


どこをどう押してもこういう物語は出てこない。



人の努力で生み出された作品を評価するのに、


才能という言葉を使うのは不遜だとわかっているけれど、


こういう煌めくような物語に出会ったとき、ついつい、これが才能というものかと思ってしまう。






※ねたばらし……というよりは既読でないと意味がわかりません。



「二階扉をつけてください」


最初、これがSFだとは思っていなかった。


二階扉を取り付けろなんていうことが回覧版で強制されるなんて変な話だなあとは思ったけれど、


工務店の男が怒り出してもまだ僕はこれをSFだとは思わなかった。


二階扉を取り付けるための専門業者が登場して初めて「あれ?」と思った。


ワンアイディアで書ききる短編のオチとしては優秀だと思う。


残酷で悲惨だなあ、とは思うけれど。

それにしても…こういう発想はどこから生まれてくるのだろうか。


「ドラえもん」の「どこでもドア」からの連想なのかもしれないが、


それをこういう物語に仕立て上げるセンスは並みではない。

この奇妙な設定についてくどくどと説明していないところもいい。

(だからこそ、最初はこの物語が普通ではないことに気がつかなかったのだけれど)


こういうのはなるべくさらっと読者を物語世界の中に引き込んでいけるかどうかが勝負だし、


その点でこの作品はとてもうまい。



「しあわせな光」

これはショートショート。


月並みだけどそれだけにほっと暖かくなるような素敵な物語。


僕は奇抜なだけの小説なんかよりは平凡でもこういう話のほうがいいなって思う。



「二人の記憶」

過去の記憶をすれ違わせていく恋人たちのお話。


彼女と「あのときこうだったね」「あの場所は素敵だったね」と共有できる思い出がたくさんあるってことは、


とても素晴らしいことだ。


それはたぶん誰でも知っているし、そう思っているだろう。


それがすべて食い違ってしまうなんてものすごい悲劇だ。


けれど…本当に大切な思い出はそうたくさんはない。


それさえ共有できているのならばたぶん二人は心を通じ合わせて生きていけるのじゃないだろうか。


この物語には書かれていないけれど、


出会ったときの思い出とともに最後のプロポーズもまた、


二人が心に残していける思い出となるのではないだろうか。



「バスジャック」

…うーん、なんでこれが表題作なんだろって思った。


設定そのものにあまり魅力がないし、オチにも「二階扉を…」のような鮮烈さがない。


もちろんつまらなくはなかったけれど。



「雨降る夜に」

これも「しあわせな光」同様、ショートショート。


星新一が選者だったころの「ショートショートの広場」にありそう。


どうしてこの女性はこの部屋を図書館だと思ったんだろうとか、


いつ本を借りたんだろうとかそんなことは本当にどうでもいいと思うし…


そういうことをこれっぽっちも説明する気がないところがかえっていい。


こういうのはさらっといかないとね、さらっと。



「動物園」

わりとお気に入り。


これが表題作でいいかなと思うけどハードカバーのタイトルとしては相応しくないかもね。

「二階扉を…」のところでも書いたけれどこういう発想がどこから出てくるのが本当にすごいと思う。


こんなもん、このアイディアさえ思いついてしまえば(言葉は悪いが)はっきり言って誰でも書ける。


当たり前で特に工夫もない、手垢のついたテーマだ。


野崎のおっちゃんの説教なんて当たり前すぎて無いほうがいいとさえ思った。

しかしこのアイディアを思いつくのは誰にでもできることじゃない。


これがセンスというやつだ。

文章自体はしっかりしていると思うけれど、


あまりにも文章力のないプロが多いからそう思えるだけで、


たぶんこれはプロ作家として標準的なものだと思う。


比喩表現なんかもあまりうまくはないし、無理に洒脱な感じを出そうと思っているような雰囲気もある。

だけどそういった技巧がどんなに優れていてもいい作品が書けるわけじゃない。


たぶん本当に必要なのは三崎亜記が持っているようなセンスなのだ。



「送りの夏」

車椅子に座ってじっと動かない彼らの謎は最後の最後までとうとう描かれない。


彼らがただのマネキンなのか、


何か特殊な病気なのか、


それとも彼らはすでにその命を失った存在なのか。

さらに言えば、麻美の母親が直樹にしてあげたいことが一体何なのかも、


彼女と直樹はどういう知り合いなのかもまったく書かれていない。

そして書かれていないことがこの作品の味になっている。


奇妙だけど素敵な物語。