「壬生義士伝」 浅田次郎 文藝春秋 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

小雪舞う一月の夜更け、大坂南部藩蔵屋敷に、満身創痍の侍がたどり着いた。

貧しさから南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新撰組に入隊した吉村貫一郎であった。
「人斬り貫一」と恐れられ、妻子への仕送りのために守銭奴と蔑まれても、飢えた者には握り飯を施す男。

元新撰組隊士や教え子が語る非業の隊士の生涯。


壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)


物語は何者かもわからない侍が、南部藩蔵屋敷に手負いでたどり着くところから始まります。


時は慶応四年正月。

鳥羽伏見の戦いの最中のことです。

彼は、自らを新撰組隊士で、南部藩脱藩の侍だと名乗ります。


この上は藩に帰参させてほしいと懇願するのです。

そんな勝手な理屈はなかろう。

僕はそう思いました。

南部藩蔵屋敷の面々もまた、口々に彼を面罵し、

かつて竹馬の友であった次郎衛は仕舞には腹を切れと言い渡します。


僕は新撰組が好きだし憧れもします。


しかしその一方ではあれほど馬鹿な男たちもいなかったとも思っています。

彼らの、士道を貫くという心意気、自らの信じた道をただひたすらに進むその姿は、男なら誰でも惚れるでしょう。


けれども、彼らは時流を読まぬ戦馬鹿であったこともまた事実です。


刀を振り回して、ただ維新の世を混乱に陥れただけの過去の遺物。

そんな風にも思えるのです。

だから、そんな新撰組の隊士が、ましてや「人斬り貫一」とまで呼ばれた男が、


負け戦の後、命請いをして帰参を願い出るなど、どれほど調子がいいのかと思いました。


壬生浪なら壬生浪らしく、潔く腹を切れよと僕も思いました。

ああ、この時点で完全に浅田次郎さんの術中に嵌っていますね。



物語は、吉村貫一郎の独白を経て、場面は急に変わります。


吉村貫一郎を知る者の口から、彼の人となり、そして彼が歩んできた人生が他人の口から次々と語られるのです。


そして、その昔語りを聞くうちに――吉村貫一郎に生きていてほしい、どうしてももう一度、彼を妻子のもとに返してやりたいと、僕は心から願うようになります。


新撰組は京の壬生浪でした。壬生狼でもあります。血に飢えた狼です。

彼らのいく道は血塗られた道であり、


彼らは人を斬ることでしか己が存在感を知らしめることができない男たちでした。


彼らの「士道」は彼らにとっての「道」でしかありませんでした。


その中で、そんな隊士たちが「新撰組の良心」と表現し、


あの斉藤一や永倉新八までもが「この男には生きてほしい」と願った吉村は、


本当に稀有な存在だったと思います。


それがどんな戦争であれ、僕は「お国のため」に死ねる人間などいないと思っています。


彼らが口にする「お国」は日本という抽象的な存在などではなく、


自分の生まれ育った山河、自分を育ててくれた父母、そして自分が守るべき妻や子、


そういった具体的な存在を「お国」と言い換えているのだと思っています。

それらを守るためなら死ねる。

それならば僕にも納得ができます。

そして、吉村貫一郎という男はそれを地でいく武士でした。


妻子を食わせるために脱藩し、彼らを食わせるために人を斬る。

それは、ただただ武士になりたかった近藤や、


その近藤の夢を叶えてやりたかった土方よりも、


はるかにまっとうでわかりやすい夢だと思いました。

そして、誰もが願うそんなちっぽけな夢ですら、


なぜ叶わなかったのだろうと――憤らずにはいられません。

もはや鞘にもおさまらないほどに曲がった刀で腹を切ってまで、


なけなしの金とまっさらな刀を妻子に届けたかった男。


この男を武士の鑑と言わずして何と言いましょう。