「ある閉ざされた雪の山荘で」 東野圭吾 講談社 ★★★★☆ | 水底の本棚

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早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した男女七名。これから舞台稽古が始まる。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇だ。だが、一人また一人と現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの間に疑惑が生まれた。はたしてこれは本当に芝居なのか?


ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)



外は大雪です。

東京では13年ぶりの大雪警報が出ているそうです。


雪の多い地方の人たちにはお笑い草かもしれませんが、

(実際、北海道出身の同僚は「大雪って!」と昨日笑っていました)

都会っ子にはこんなんでもけっこう衝撃ですよ。


お休みでよかった……。


とは言え、この程度の雪では家に閉じ込められることはありませんよね。


外出だって(したくはないけれど)できる。



もし、誰かが殺されても警察を呼ぶこともできる!


って、そんなシチュエーションは普通ナイのだが……ミステリの世界ではしょっちゅうあるのです。


僕が知っているだけでもそんな事例は10や20では。


いわゆる「雪の山荘」モノというやつですね。


その中には名作も多く、好きな作品をどれか一作選べと言われても正直無理……ですが、何作かあるおすすめのひとつが本書。



東野圭吾さんの初期作品で、かなり本格ミステリ色が強いですね。

今の東野圭吾さんではちょっと考えられないかも。



ところで。

「雪の山荘」モノのお勧めとして挙げているのに、何なのですが。


この作品、実は雪降っていません。


だから、出ようと思えばいつでも出られるし、帰れるし電話もできる。


ただし、芝居の稽古として「雪の山荘」というシチュエーションで行っているため、山荘にこもっている七人の男女は外には出られない。

もし外に出ることがあれば、それはせっかくオーディションで得た舞台への出演権を放棄するということになる。


心理的な意味での「雪の山荘」モノなのですね。


そこで行われる「殺人劇」は、芝居なのか、それとも本当に……!?

というサスペンスが本作の見どころ……ではありません。


※ここからねたばらし感想です。



芝居の稽古に見せかけた本物の殺人劇…というところまでは、誰でも想像がつく。

というか、そうでなければ小説にも何にもならん…と誰もが思う。

だが、さらに大逆転の結末。

読者を騙すと同時に、たった一人の観客を騙すためだけに行われていた本当の殺人劇に見せかけた芝居。


三人称客観描写(いわゆる神の視点)による記述に見せかけたパートが、実はその観客の視点から書かれた一人称の文章であったということが、唐突な、「私を指さした」という文章で明らかになる。

「芝居の稽古」に見せかけた「殺人」に見せかけた「芝居」という三重構造。



記述者の存在を隠蔽し、一人称の文章を三人称の文章に見せかけるという画期的試み。


これなら地の文でいくらでも嘘の記述をかくことができる。叙述トリックの中でも大技中の大技と言えよう。

このあたりの技巧は、実に見事で、初期の東野圭吾さんにはこういうワクワクする仕掛けのある作品が多かったなあ……。