「名探偵に薔薇を」 城平京 東京創元社 ★★★★★ | 水底の本棚

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怪文書「メルヘン小人地獄」がマスコミ各社に届いた。その創作童話ではハンナ、ニコラス、フローラが順々に殺される。やがて、メルヘンをなぞったように血祭りにあげられた死体が発見され、現場には「ハンナはつるそう」の文字が…。不敵な犯人に立ち向かう、名探偵の推理は如何に? 第八回鮎川哲也賞最終候補作。


名探偵に薔薇を (創元推理文庫)



城平京さんにお会いしたときに、「『名探偵に薔薇を』の大ファンです」とお伝えした。

そして「また、あんな本格ミステリを書かれないのですか?」とお訊きした。


失礼であることは承知の上。

わかっていても、訊かずにはいられなかった。

そのくらい、僕は「名探偵に薔薇を」に魅了されていたのだ。


だが返ってきた応えは、「ミステリを書く才能ないんですよ」


……脱力した。


おいおい。そんなわけはないだろう。

才能がない人間がこんな作品を書けるものか。

僕は、名探偵・瀬川みゆきにもう一度会いたいんだよ。


そう思ったが、これ以上はさすがに失礼が過ぎると思ったので、へらへらしながら「そんなわけないじゃないですかあ」とか言って会話を終わらせた。


でも、またお会いする機会があればぜひもう一度言ってみたいと思う。

それくらい、僕はこの作品と、この作品に登場する名探偵に惚れこんでいるのだ。



※ねたばらし感想です。オススメの一冊なのでぜひ読了してからで。






あらゆる推理作家が自分なりの名探偵を創造する。


名探偵の存在は本格推理には不可欠だ。

作品に彩りを与えるだけでなく、時にはその探偵が作品そのものと言ってもいいことすらある。

世に数多いる探偵の中で、最も格好良く、そして最も名探偵の名に相応しい探偵を一人挙げろと言われれば僕は迷うことなく、この作品に登場する探偵の名を挙げる。

瀬川みゆき


作中で「甲冑のような美しさ、それも実践用の」と形容されるその姿と、孤高の心。

冷たく固く閉ざされたその心の奥に、誰にも言えず、密かに秘めれらた想い。

それに僕は魅了された。
この物語の不可解な事件を解き明かすために瀬川は生まれた。

しかし、瀬川の存在がもうひとつの新たな事件を作り出す。


名探偵による、名探偵のための、名探偵の物語。それがこの「名探偵に薔薇を」だ。


第一部で藤田家に災厄をもたらす男、鶴田文治が最初はとても恐ろしく感じる。

どうしようもない絶対的な悪のように思える。

ところが、瀬川と対峙してからの鶴田は一変してとても矮小な存在に思える。

それは瀬川の存在の大きさがそう思わせるのだろう。

その第一部では、連続殺人の犯人が途中でリレーされるというなかなか魅力的な謎を瀬川は解決する。

一編の小説として悪くない出来だ。

にもかかわらず、実はこの物語はすべて第二部のための布石の物語でしかない。

これだけ良い出来の作品が、「小人地獄」というまがまがしい毒と瀬川みゆきを紹介するためのものでしかないのだと思えるほどに第二部は鮮烈だ。


最後に明らかになる動機は、いくつかの前例があり、それほど珍しい感じではない。僕も何作か同様のコンセプトの作品を知っているし、本作は前例があるということを理由に第八回鮎川哲也賞を落選している。

だが、それを言い出したらこの系統の作品はすべて「八百屋お七」の焼き直しということになってしまうし、そもそも、大事なのはそこではない。


ミステリにとって重要なのは、「どんなトリックが使われているか」ではなく「トリックがどう使われているか」なのだ。


そういう意味でこの「名探偵に薔薇を」は前例があるということを考慮しても素晴らしい作品だと思う。

この作品の絶対評価は揺るがない。

瀬川みゆきと、そして彼女の妹に似た少女・鈴花。この二人の出逢いが紡ぎ出すつらい、つらい物語。
瀬川みゆきが名探偵であったがゆえに起こり得た物語。名探偵は事件を解決するものという固定概念を覆し、名探偵が事件を引き起こすきっかけとなる。それは何よりも哀しい物語だった。


「私、みゆきさんみたいに強くて、かっこよくなりたかったな―」


たった15歳でその生涯を閉じた美貌の少女の最後の言葉だ。
外の世界を知らなかった、そして知らないままにその命を散らそうとしている少女の純粋な思いが、悲劇を呼んだ。
誰も悪くない。

そう言ってしまったら、死んだ山中冬実には申し訳ないが、それでも、そう思わずにはいられない。

誰も悪くない。誰も悪くないんだ。ただ、誰もが純粋だっただけなんだ。


瀬川みゆきは言う。


「私はこんな思いをするためだけに、生まれてきたのか」


たった一人の肉親である妹を自分の手で断罪することになってしまったみゆき。自分が間違っていなかったと思いたいがゆえに、心を凍らせて名探偵であることを守り通した。
その思いが今度は、鈴花に悲劇をもたらした。

なぜ、瀬川ばかりがこんなに辛い思いをしなければならないのだろうか。

これは、名探偵であるということに対する罰なのだろうか。

人知を超えた明晰な頭脳と引きかえに、当たり前の幸福を奪われてしまったのだろうか。

僕は、瀬川みゆきの物語の続きが読みたい。
名探偵であり続ける瀬川に、いつか救いを求めて祈らなくてもいい日がくるのか、それが知りたい。