静かにあたためてきた想い。無骨な青年店員の告白は美しき女店主との関係に波紋を投じる。
物思いに耽ることが増えた彼女はついにこう言うのであった。必ず答えは出す、ただ今は待ってほしいと。
ぎこちない二人を結びつけたのは、またしても古書だった。いわくつきのそれらに秘められていたのは、過去と今、人と人、思わぬ繋がり。
脆いようで強固な人の想いに触れ、二人の気持ちは次第に近づいているように見えた。だが、それを試すかのように、彼女の母が現れる。
この邂逅は必然か? 彼女は母を待っていたのか? すべての答えが出る時が迫っていた。
今回取り上げられる本は、三冊。
ひとつは、「彷書月刊」。これは書籍ではありませんね、雑誌です。
「本についての雑誌」です。
今で言うところの……「ダヴィンチ」みたいなものなのかな?
この「彷書月刊」のバックナンバーを古書店に売ってはもう一度全部買い上げて、それでまた別の古書店に持ち込む……という意味不明の行動をとる女性。
その女性が持ち込んできた「彷書月刊」には、なぜか「新田」という書き込みと、背表紙に打たれた黒丸。
これらのマーキングは何の意味があるのか?
なんだかもう謎だらけですが、真相は読めば納得です。
確かに……それしかやりようがなかったかもしれませんねえ。
二冊目はおなじみ「ブラック・ジャック」。
漫画の神様、手塚治虫の代表作ですね。
さてこの「ブラック・ジャック」、手塚治虫が何度も作品を手直ししたり、問題作品が差し替えられたりしたために、同じ巻のコミックでも収録作品が違っていたりします。
おまけに、もともとの新書版チャンピオンコミックだけでなく、コミック文庫だの全集だのペーパーバックだのハードカバーだのと、いろいろなカタチで出版されてしまっているので、もうどれだけの種類があることか。
そうするとマニアな人は同じコミックでもすべてのヴァージョンを揃えたくなるものですよね。
本作はそんな手塚治虫マニアの父親のコレクションを勝手に持ち出した息子の話。
母親の臨終の際にも「ブラック・ジャック」を買い求めていた父親のことを彼は恨んでいた。
父親は妻の死に目に間に合うことよりも、コレクションを増やすことを大事にした薄情な人間なのか?
その謎に栞子さんが挑みます。
さて。
僕は手塚治虫はさほど好きではありませんが(もちろん嫌いであるはずはない)、もし敬愛する藤子・F・不二雄先生の作品はついついいろんなパターンの本で揃えてしまっています。
全部読んだことあるのにな……と思いながら。
って言うかね。
僕がそんな気はないときでも、勝手に取り置きされているんだよ!
「ああ、これ取っておきましたよー。買いますよね?」って。
あああ、ウチの店員たちは親切だよ、ホントに!!
閑話休題。
最後の三冊目は、「われに五月を」。寺山修司ですね。
寺山修司はけっこ好きです。
あまりたくさんは読んでいないけれど。
「どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない」
本当にその通りだと思います。
寺山はその想像力で、誰も届かない地平にまで飛び立っていたのでしょう。
物語も想像力の翼を広げ、大きく飛翔します。
大輔の告白を受けた栞子さんは、母親が出した難問をクリアし、その告白を受けます。
おっハッピーエンド……と思いきや、なんとも不穏当なラスト。
次巻へのヒキとしては効果的だとは思いますが、そのぶんとても気になりますので、6巻は発売延期なんてことにならないようによろしくお願いします。
いち読者としてはもちろんのこと、
書店員としては売れ筋商品の販売時期がずれると販売計画の修正が面倒!
なんです(笑)