この写真には謎がある。人の本音はときどき、思いがけない形で姿を見せるから。
家族とともに古い写眞館付き住居に引っ越ししてきた高校生の花菱英一。
変わった新居に戸惑う彼に、一枚の写真が持ち込まれる。
それはあり得ない場所に女性の顔が浮かぶ心霊写真だった。
不動産屋の事務員、垣本順子に見せると「幽霊(そのひと)」は泣いていると言う。
謎を解くことになった英一は……。
ミヤベさんがある雑誌のインタビューでこんなことを言っている。
「現代小説で、犯罪とか、つらい出来事をずっと書いてきて、そのことに疲れてしまったんです」
だから、犯罪を扱った現代小説を書くには、間隔を空けないと厳しい、と。
ミヤベさんがここ十年くらいで刊行している本のパターンは、ファンタジーやSF、時代小説が主で、その合間にやっと現代小説が挟まるという感じだ。
僕はもちろんミヤベさんの現代物が大好きで、何よりも楽しみにしている。
ファンタジーなんか書いていないでどんどん現代物だけを書いてくれよ、と思っている。
でもその一方で、「模倣犯」のような作品がぽんぽん生まれてくるはずもないこともよくわかっている。
あれを続けて書いたら、そりゃしんどいだろうよ。
そこで「小暮写真館」である。
この作品はおそらくミヤベさんにとって「息抜き」なんだろうと思う。
ああ。誤解しないでほしい。
手抜きという意味ではない。
ミヤベさんが真剣に書いていないという意味ではもちろん、ない。
現代物でありながら、ミヤベさんがしんどい思いをせずに書けるのはこういう作品なのかもしれないなと思っただけなのだ。
「模倣犯」や杉村三郎のシリーズに比べれば、この作品は明るくて、無邪気で、活き活きとしている。
「夢にも思わない」や「ステップファザー・ステップ」のように、少年たちが明るく元気に青春を楽しみながら、自分たちが抱える問題に立ち向かっていく。
そういう物語だ。
もちろん、本作はそこまで底抜けに明るい青春小説ではない。
むしろ、内包しているテーマは非常に重く、垣本順子はもちろんのこと、少年たちが抱える問題だって決して、簡単に笑い飛ばせるようなものでもない。
英一は、妹の風子が亡くなったのは自分のせいだと思っていた。
自分がいじけて、ヘンな意地を張っていなければ風子は死ななかったかもしれないと思っていた。
コゲパンは自分がコゲパンであることにすごくコンプレックスがあったけれど、でも負けちゃダメだと頑張り続けていた。それほど強くないのにね。
だから、自分を嘲笑った同級生たちを見返すために、英一を利用した。
それは決してほめられたことじゃないけど、コゲパンはちゃんと英一に謝って、そして今まで泣かなかったぶん、盛大に泣いた。
それはほめられてもいいと思う。
ピカは。
ピカは、誰よりも風子に会いたがっていた。
幽霊の小暮老人に頼んで仲介をしてもらおうとしたくらい。
風子が自分のせいで死んでしまったと思っているから、風子が怒っていると思ったから、風子に何とかしてごめんなさいをしたいと思っていたから。
彼らは、小暮写真館に持ち込まれる数々の心霊写真(のようなもの)の解決に専念することで、自分自身の問題から逃げようとする。
でもやっぱり、それは難しくて。
自分自身の問題に最後は戻ってきてしまう。
そして心霊写真の謎を解明する過程の中で出会った人々から、ヒントをもらい、力をもらい、気力をもらい、自分自身の問題に向き合っていく。
この物語に登場する人たちは、取り立てて親切ってわけでもないし(ST不動産の社長は別かも)、特別に優しいわけでもない。
でも。
フツーの人なら必ず持っている、少しばかりの優しさは全員が持っている。
そういう、フツーの優しさに救われて、英一もピカも、垣本順子立ち直っていく。
「模倣犯」のような鮮烈さはない。
あくまで、フツーの話。(心霊写真とか出てくるけども)
でも、そのフツーってことが、とても優しくて、可愛らしくて、愛らしい。
と思う。