見合い話に苛立ち、後輩の若さがふと眩しい美也子の淡々とした日々に鳴り響く謎の電話。そして一年が過ぎて…「恋愛小説」。
同僚に連れていかれた店で飲んだ水割りの不思議な味。ある切ない夜、わたしはその水の秘密を知る…「水に眠る」。
人の数だけ、愛がある。様々な愛の形を描く短篇集。
北村薫さんの「連作でない」短編集です。
ご本人の弁を引用すれば「人と人との、《と》に重きを置いて書かれた物語」だそうですが、その通りだと思います。
人の心は自分の中にいないことが多いです。
自分と他人を繋ぐ「と」の辺りでゆらゆらと揺れて漂うものであると、そんな風に思います。北村薫さんの言う「と」とはそういうことでしょう。
僕は、この短編集に収録されている「ものがたり」という名の物語がとても好きです。
「恋愛小説」で「短編」という縛りをつけるなら、この作品を超えるものにはまだ出会えていません。
僕のオールタイムナンバーワン。
本当に、本当に切ない。
読んでいるこちらにも、切なすぎるほどに強い気持ちが伝わってくる。
決して口にすることのできない想い。だけどどうしても伝えたい。そしてどうしても答えが聞きたい。
だから少女は「ものがたり」にその想いを託した。
そのひとつひとつの言葉には想いが込められている。
だから切なく、鋭利な刃物のように人の胸に突刺さる。
心はどうして、こんなにも言うことをきいてくれないのだろう。
もし、印象に残るラストシーン選手権なんてものがあれば、僕はこの物語のラストを挙げる。
おもいきって、1ページ分まるまる、引用をしてしまおう。
(※未読の方はここから読まないでくださいね)
「-娘と侍は、一度視線を交わしただけです。《姉に会いに来た》と、侍は思うのでしょうね」
目は、耕三にすがった。
「そう……思われたら、娘は死んでも死にきれないだろう」
茜の唇が、微かに震えた。
「それでは侍は-」
「何も言えないだろう」
茜は、性急に言葉をかぶせた。
「今まで会わなかった。これからも会わない。それなのに、いえませんか」
「いいかい。-いえないんだよ。それで十分じゃないか」
茜は、はっと口をつぐんだ。
きつい顔に、激しい喜びが、哀れなほどあからさまに浮かんだ。
「哀れなほど」。
「あからさまに」。
これほど、切ない表現もない。
言葉とは、とてもとても残酷なものだと改めて思う。
本短編集は、他にも「恋愛小説」「植物採集」「矢が三つ」など秀作がたくさん。
男性にも、女性にもお勧めの作品集です。