物忘れのひどくなってきた老人が、嫁から預かった金を紛失。
だがこのことで、老人は同居している彼女の気持ちに触れる―表題作。
市役所管理の駐車場で人が転落死した。
事件は役所内の人事に思いもよらぬ影響を与えた―「プレイヤー」。
日常に起きた事件をきっかけに浮かびあがる、人間の弱さや温もり、保身や欲望。誰しも身に覚えのある心情を巧みに描きだした5編。
「傍聞き」で2008年度日本推理作家協会賞を受賞長岡弘樹のデビュー短編集です。
いや、本当にこの人は巧いわ。
もう、短編の名手と言っていいと思います。
「陽だまりの偽り」
誰にでも平等に、必ずやってくる“老い”。
どれだけ若くても、いつか自分もと誰もが心の片隅で恐怖に感じている“老い”。
老いを静かに淡々と受け入れることができる人がどれだけいるだろうか。
おそらく、そうはいないと思う。
だから、誰もこの老人を笑うことはできない。
お嫁さんの優しさが、くすぐったくって、そして暖かい。
「淡い青のなかに」
非行で警察のご厄介になった息子を迎えに行った帰り道で人身事故を起こしてしまった母親。
自分の会社でのキャリアを守りたいと考え、救急車を呼ぶことを躊躇する彼女に対し、息子は自分はまだ13歳だから身代わりになることができると言う。
いったいどうなってしまうのかとハラハラしながら、スリリングに展開する物語を読み進めると、ひとつの疑問がわきおこってくる。
事故の直前まで、彼女は前方を確認していた。
ならば、この被害者はどこから現れたのか?
物語は、伏線をきっちり活かした、きれいな着地を見せる。この短編集の中で一番ミステリ色が強い一作。
「プレイヤー」
屋上駐車場からの転落事故。管理責任を問われ、崎本は出世を逃す。
いわゆる「プロバビリティの犯罪」の範疇に入ると思うが、それを描き出すプロセスがとても巧い。
最終的にこの事件で得をした人間は誰か。
それを考えれば、おのずから答えは出る、簡単な問題なのに最後まで飽きさせずに読ませる。
「写心」
写真というのは心を写すものだそうだ。
借金返済のために幼児誘拐に手を染めた写真家の男。
彼が写した「写真」は「写心」になった。
こういう、ちょっといい話みたいなのは正直、あまり好みではない。
どんだけ性格悪いんだ、自分。
「重い扉が」
志野田の大学受験を控えた息子、克己が友人とともに暴漢に襲われた。友人は重症。
やがて警察が容疑者をあぶりだすが、克己はなぜか面通しを拒否する……。
伏線があからさま過ぎて、志野田の身に起こっていることは誰にでもわかる。
だが、それと克己が証言を拒否していることのつながりがよくわからない。
計算し尽された物語の運びと、きっちりと収束するラスト。ミステリとしてのまとまりに加え、克己の優しさが読者の胸を打つ。
全編通じて言えることだが、物語を破たんなくきれいにまとめるだけなら、凡百の小説と変わらない。
そこに、一味加えているのが長岡ミステリの素晴らしいところだと思う。
長岡弘樹の小説には、粗削りな部分がない。
細部まできっちりと磨きこまれた良さがある。
きっと、丁寧に、丁寧に作りこまれているのだろう。
たかが短編と思ってはいけない。
そこらの長編に負けないだけの読み応えは保証しよう。