「検察側の罪人」 雫井脩介 文藝春秋 ★★★★ | 水底の本棚

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検事は何を信じ、何を間違えたのか。

東京地検のベテラン検事・最上毅と同じ刑事部に、教官時代の教え子、沖野啓一郎が配属されてきた。
ある日、大田区で老夫婦刺殺事件が起きる。
捜査に立ち会った最上は、一人の容疑者の名前に気づいた。
すでに時効となった殺人事件の重要参考人と当時目されていた人物だった。
男が今回の事件の犯人であるならば、最上は今度こそ法の裁きを受けさせると決意するが、沖野が捜査に疑問を持ちはじめる――。
正義とはこんなにいびつで、こんなに訳の分からないものなのか。


検察側の罪人



妹のように大事に思っていた少女を殺し、証拠不十分で起訴されず、時効を迎えた男が目の前にいる。

別の殺人事件の容疑者として。


少女が殺されたとき、何者でもなかった自分はいまや周囲からも一目置かれる検事。


万死に値する罪を犯しながら、のうのうと生きながらえたこいつを、今度こそ、死刑台に送ってやることができるかもしれない。

いや。

送らなければいけない。

こいつがこの事件の犯人ではなかったとしても。

なぜなら、こいつが殺人犯であることには変わりはないのだから。


そう考えてしまったその瞬間から、最上は正義の執行者ではなくなってしまった。


何が正義で何が悪か。

たとえば、公訴時効を迎えた殺人犯は「悪」ではなくなるのか。

証拠不十分で釈放された真犯人に復讐をする遺族は「悪」になってしまうのか。

答えは簡単ではない。


だが、最上がやったことが「正義」とは呼べないことを僕は知っている。

そしてもちろん最上自身もわかっているはずだ。


本当に筋を通すならば、こうだ。

最上は今回の事件の真犯人を知っていたのだから、徹底的にヤツを追いつめるべきだった。

そして、釈放された松倉を殺せばよかった。

どうせ、殺人という罪を背負うのならば……そうすればよかったのだ。

それなら、少なくとも筋は通った。


最上の思いがどこにあったのかはわからない。

その考えには至らなかったのか。

松倉を殺せば自分も疑われる可能性があると考え、保身に走ったのか。

それとも、松倉は何としても法で裁きたかったのか。


それはわからないが……少なくとも最上がとった方法が間違っていたということだけはわかる。

最上は、正義と呼ぶにはあまりにも卑劣だった。


圧倒的な緊張感と濃密な展開で読者を物語に力づくで引きずり込み、一気に読ませるあたりは、さすがに雫井脩介だなと感心はした。

だが、読後感は決して良くない。

もう少し、救いが欲しかった。


何が正義で何が悪か。

明確な答えが欲しいと願うのは、わがままだろうか。