水底の本棚

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

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孤島の児童養護施設に入所している男子中学生の網走一人。
ある夜、島の外に出た職員たちが嵐で戻れず、施設内が子どもたちだけになった。
網走は、悪質ないじめを繰り返していた剛竜寺の部屋に忍び込む。
許せない罪を犯した剛竜寺を、この手で殺すためだ。
しかし剛竜寺はすでに殺されていた。
その姿を見て震え上がる網走。
死体は、片目を抉られて持ち去られ、代わりに金柑が押し込まれていたのだ。
その後もまるで人殺し自体を楽しんでいるかのような猟奇殺人が相次ぐ。
網走はその正体を推理しながら、自らも殺人計画を遂行していくが…。

 

 

※ねたばらしします。って言うかしないと感想書けません。

 

 

 

 

オチはかなり脱力系。

 

わかりやすく言うとかなりのバカミス。

 

早坂吝氏は元々こういう脱力系のオチをもってくる作家さんなので、それを理解した上で読んでいればたぶん大丈夫。

 

まともな「嵐の孤島」ものだとはゆめゆめ思うことなかれ。

 

正統派の本格ミステリの合間に読むならちょうど良いかもしれませぬ。

 

 

孤島の連続殺人という意味では「そして誰もいなくなった」ですが、

 

本作の本質は「ABC殺人事件」です。もしくは我孫子武丸さんの「メビウスの殺人」です。

 

あ、どちらかと言えば後者の方が読み味が近く、ある意味において「ABC殺人事件」は本作の対極にいると言えなくもないです。

 

「ABC」が真の動機を隠すために「ABC…」の順番に人を殺すという愉快犯的犯罪に見せかけているのに対し、

 

本作は「被害者の名前でしりとり」というふざけた動機を隠すために「復讐」というまともな動機をミスリードに使うという手法が採られているからです。

 

これ面白いよね。

 

で、しりとりという観点で再読すると、結構な伏線が見つかるので再読がお勧め。

 

そして、本作が面白かった方は「メビウスの殺人」も読んでみるとよろし。
(たぶん新刊書店では入手できないけれど)

女子高生探偵のアイと助手のユウは、ひょんなことから遺産相続でモメる一族の館へ。
携帯の電波が届かない森の中、空一面を覆う雨雲…外界から閉ざされた館で発見されたのは男の刺殺体だった。
遺体に乗った巨大な鶴の銅像と被害者の異様な体勢、それらが意味するものとは?
謎解きの最中に第二の不可解な殺人も発生。さらには二人にも魔の手が。
やりたい放題ミステリ開幕!

 

 

何をどこからどうつっこんでいいのか困るくらいだし、

 

そもそもメフィスト賞受賞作の続編に対してツッコミをいれるというのは「だったら読むなよ」という話だし、

 

メフィスト賞ってわりと最近まともなミステリが増えてきていただけに、本来こういうものだったよねというのを思い出させてくれたし、

 

だからもうこの作家にはかかわらないようにすればいいだけだし。

 

メタミステリ、あまり好きじゃないんですよね。

 

ちょっとした遊びで隠し味程度に入るメタ要素なら楽しめるのだけれど、ここまでメタメタ過ぎると、もうメタミステリ小説ではなくてただのメタ小説だよね。

 

それにしても最近の若手作家でストレートなミステリの書き手はいないのかな。

 

とにかく新しいこと、誰もやったことがないことを追及するばかりで、小説として面白いとかミステリとして面白いとかが二の次になってしまっている。

 

それは本末転倒ではないかなあ。

 

男女のカップルがいて片方が不治の病に罹患していて……なんていうのは「セカチュー」以降、ド定番として定着したよね。

 

それでもなお「キミスイ」とかは面白いし、売れるわけじゃん?

 

定番でもいいんだよ、ベタでもいいんだよ、使い古された設定でもいいんだよ、面白ければ。

 

「新しい」より「面白い」のほうが大事なんじゃないかな。

「子供を預かった」高村家に突如もたらされた誘拐犯からの凶報。
身代金は五千万。父親の謙二は、倒産の危機に瀕する自社の専務や、前妻にも頼むなど金策に奔走。警察も介入し、事態はさらなる混乱の渦に呑み込まれていく。
捜査線上に浮かぶ無数の容疑者の中で、人々を翻弄するのは誰だ?

 

 

叙述ミステリの手法でまったく新しい形の誘拐ものを書けないだろうか……と考えた結果なのだろうなあという想像はつく。

 

そして、一生懸命マジメに考えて、何とか形にしたのだろうなあという努力の跡もうかがえる。

 

鯨統一郎という作家は基本的に変化球投手で、ストレートは投げない。

 

その変化球もスライダーとかフォークといったありきたりなものはほとんど使わず、ナックルとか、何ならオリジナルの魔球だとか、とにかく変わったボールを投げたがる。
(だから時々キャッチャーのミットじゃなくて直接バックネットに叩きつけられるようなボールになっちゃうこともある)

 

とにかく他のピッチャーが投げたことが無い変化球を投げたい、というのが第一義なので、小説として成立しているかとかミステリとして面白いかとかは二の次になってしまっている。

 

本作はまさにその典型。

 

トリックそのものが結構無茶なのでフェアプレイのギリギリ(っていうか僕的にはギリギリアウトだが)になってしまっているのは目をつぶるとしても、


トリックを成立させるための絶対条件として「犯行の状況が探偵役に小説の形で伝えられる」ことが必要であるというのは、さすがにいかがなものだろうか。

 

他にも山のようにツッコミどころが存在するし、とにかく美しくない。

 

・警察の介入が遅いのは明らかにご都合主義

・宝石店は開店前に人が侵入したり防犯カメラにいたずらされているのに何故通報しないのか

・叙述トリックを成立させるために言い回しに不自然なところが多い

(2月29日の誕生日を敢えて2月末日と言う、とか)

・飛んでる伝書鳩を車で追跡するのは不可能だろ

・トリックがどうあれ、警察がちょっと調べたら犯行が露呈するのは時間の問題だし

 

少なくとも僕の基準において美しくないものはミステリとは呼べない。

 

鳩のトリック(宝石を伝書鳩で飛ばさせておいて、というやつ)は良く出来ているのだから、それをメインに据えたまっとうな誘拐もののほうがマシだったのでは、と思わなくもないが、作者にストレートを投げる気が全くないのだからやむなしだよなあ。

被疑者射殺の責を問われ、謹慎に限りなく近い長期休暇をとっている警視庁刑事・獅堂。

気分転換に訪れた山間の寒村・入山村で、香島と名乗る少年に出会う。香島は、紫水晶を使った未来予知の研究をしている“星詠会”の一員で、会内で起こった殺人事件の真相を探ってほしいという。

不信感を隠さず、それでも調査を始める獅堂だったが、その推理は、あらかじめ記録されていたという「未来の映像」に阻まれる。

いったい、何が記録されていたのか?

 

 

※若干ねたばらしがありますので未読の方はご注意を。

 

 

うん。これはかなり好みのタイプのミステリ。
 
どこが好きかって、ロジカルなところ。ロジックで解答を導き出すところ。
 
僕は好きなミステリ作家と言えば、海外ならクイーン、国内なら有栖川有栖さんの名前を挙げるというガチガチのロジック派。
(もちろんそれ以外に好きな作家さんはたくさんいるけれども)

不可解な謎と美しいロジックによる解決が本格ミステリの肝であると考えているようなタイプですので、これは本当に好み。
 
犯人を導き出す大筋のロジックも良くできているよなと思うのですが、細部まで手が込んでいていいなあ、と。

たとえば、「真維那と売女」を聞き(?)違える問題。

「マイナ⇒バイタ」ではないかという疑問が最初に提示されたとき、文脈に不自然さは無いし矛盾も生じない、それはアリだと思いつつも、

「でも、そのために登場人物の名前を一般的ではない真維那にするっていうのはちょっと強引だよね」と感じました。

しかし、解決編で「売女」というセリフが先にあり、名付けの方が後であった…ということがわかり、背筋が凍る思いがしました。
 
息子の名前すら犯罪計画に組み込むという悪魔の所業……。
 
大筋のロジック部分では、
 
・思惑通りの場面を未来予知として記録させるのは運任せ(ある程度限定はしているものの)
・ライターの伏線が弱い
 
という2点がちょっと気になりましたが、そんなものはちいさな瑕疵と言えるでしょう。
そのくらい、良く出来ていたロジックだと思います。
 
ただ、その「ロジック」の「見せ方」がちょっと勿体ないかなあ。
無駄に煩雑になってしまっている気がします。
どこをどうすればいいかといわれると困りますが、もう少しすっきり見せることができたような…。
 
また、「未来予知」というSF要素自体は決して嫌いではないですが、変化球であることは間違いないでしょう。
(ここまで真っすぐなロジックミステリだと変化球であっても「本格的」だと言えますが)
個人的な要望としては、できたら「現代日本を舞台にしたSF要素なしの本格ミステリ」が読んでみたいです。
ど真ん中に力いっぱい投げ込まれたストレートのようなヤツを。

依然として行方の分からない“大日本誘拐団”の主犯格“リップマン”こと淡野。

神奈川県警特別捜査官の巻島史彦はネットテレビの特別番組に出演し、“リップマン”に向けて番組上での対話を呼びかける。

だが、その背後で驚愕の取引が行われようとしていた!

天才詐欺師が仕掛けた大胆にして周到な犯罪計画、捜査本部内の不協和音と内通者の存在…。

警察の威信と刑事の本分を天秤にかけ、巻島が最後に下す決断とは?

 

 

リーダビリティの高さは「さすが雫井脩介」。


ほぼ一日で500ページの書籍を一気読みさせる力は並ではありません。


比喩ではなく、ページを繰る手が勝手にどんどん加速していきました。

 

第一作目の「犯人に告ぐ」では巻島側(捜査側)の視点から事件が描かれていました。


二作目では犯人側の描写がかなり多く、どちらかと言えば砂山兄弟に感情移入しながら読み進めていた記憶があります。


過去二作に対し、本作では犯人側・捜査側の状況や思考・行動が等分に描かれていますね。

これが本作の魅力のひとつだと思います。

 

犯人の側からは(スパイがいるとは言え)警察の動きが全部わかるわけではない。


警察は当然、犯人の居場所も彼らの計画も知り得ない。

 

でも、読者はそれらをすべて見ることが出来る。

こういう小説は意外にありそうでないものです。

 

要するにミステリというのは何かが読者の眼から隠されているのが当たり前で、それが全部説明されながら進行していく作品というのは実はあまり無いのです。

 

そして本作は、だからこそに面白いと言える。

 

たとえて言うならこういうことです。

 

「8時だョ!全員集合」のコントで定番のギャグ。

志村けん演じるキャラクタが歩いていると、背後から幽霊とかモンスターなんかが迫ってくる。
舞台上の志村はそれに気が付かないのですが、観客席からは志村のピンチが丸見えになっているので、子供たちが「志村、うしろ後ろー!」と大騒ぎする。
で、志村が後ろを振り向くと、幽霊はスッと消えてしまう。
そしてまた背後に幽霊が現れて「志村、うしろ後ろー!」。

 

このときの子供たちの興奮とハラハラドキドキ感がこの小説にはあるんです。

犯人側の行動が全部わかっているわけですから、読者にしてみれば「巻島、後ろうしろー!」という感じなんですよね。
このやきもきする感じとか、巻島の思考や行動がやっと読者に追いついたときの安心感・充足感、そういったものがすべてライブ感覚で味わえる。

 

それがこの作品の魅力になっているのだと思います。

 

ストーリーそのものはシンプルなんですよ。

決して複雑な構造にはなっていない。

 

アワノが引退して由香里の傍にいよう、これを最後のシノギにしよう、と決心したとき、ほとんどの読者が「あーあフラグ立ったね」と思うはずです。
戦場で「この戦争が終わったら俺たち結婚するんです」って言いながら写真入りのペンダントを見せる、ってくらいベタなフラグ。
で、案の定、アワノ死ぬし。

 

でもそこはベタで全然構わないんです。

先が読めたからってこの作品の魅力はひとつも損なわれることはない。

 

スピード感とライブ感。それで一気に読ませきるだけの力がある小説なのです。
エンターテインメントってこういうことだよなーって改めて思わせてくれる、本当に面白い作品でした。