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水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

ネットで知り合った男性との交際から8カ月―ありふれた別れ話から、恋人はストーカーに豹変した。誰にでも起こり得る、SNS時代のストーカー犯罪の実体験がここに。

 

 

すげえ、どこにでもあるハナシ。

 

日本のどこかで今日も間違いなく、起こっているであろうありふれたハナシ。

 

しかも、別段、ストーカ-に何かをされたわけじゃないし。

 

別れる時にちょっとごねて、しつこくメールしちゃうなんていうのは本当によくある話だし。

 

相手がストーカー化するようなダメ人間であるならば別れ方を考えなきゃいけないのに、下手過ぎる。恋愛初心者か。

 

掲示板にあることないこと書かれたのはさすがに可哀想だけれども、それは相手の行動がエスカレートした果てのことで、初手か二手目くらいまでで修正できていればそこまでいくことも無かったのに。

 

しつっこいくらいに怖い怖い言ってるし折り畳みナイフまで装備して対策しているけど、アンタ、実際は何もされていないよね。暴力の「ぼ」の字も無かったよね?

 

 

……と、読んでいて思った。

 

僕がそう思うこと自体がこの「ストーカー問題」の本質であるような気がする。

 

その行為を「ストーキング」であるかどうかを認定するのはストーキングする側の人間ではなく、被害者であるべきだ。

 

ヒドイことをされたと思うか、そんなのたいしたことないじゃんと思うかは、周りではなく、被害者が決めること。被害者が怖いと思ったら、それは怖いのだ。

 

それを「たいしたことないじゃん」と思ってしまったらストーカー被害はなくならない。

 

それを強く思った。

物流の雄、コンゴウ陸送経営企画部の郡司は、入社18年目にしてはじめて営業部へ転属した。

担当となったネット通販大手スイフトの合理的すぎる経営方針に反抗心を抱いた郡司は、新企画を立ち上げ打倒スイフトへと動き出す。そのために考え抜いた秘策は、買い物難民を救い、商店街を活性化するとともに、世界に通ずるものだった。

運輸界最大手企業と世界的通販会社、物流の覇権を巡る戦いの火ぶたが、いま切られる!

 

 

なんか、久しぶりに池井戸潤さんの小説を読んだ気がした。

 

池井戸作品はほとんどのケースで「わかりやすい悪人」が登場する。

(花咲舞や半沢直樹のシリーズなどが顕著)

 

私利私欲のために不正をしたり、それを隠蔽するために他人を陥れたり。

 

そういうわかりやすい悪役を主人公がやりこめるのが池井戸さんの企業小説のパターン。

 

少年ジャンプ的勧善懲悪ストーリーが魅力なのである。

 

一方、本作には「わかりやすい悪人」は出てこない。

 

主人公の勤める運送会社がバトルするのは、無茶な要求を突きつけてくる大手ネット通販会社。

 

無茶な要求を突きつける、っていう点については池井戸作品と共通しているのだが、

 

本作はネット通販会社は「悪役」ではあっても「悪人」ではない。

 

彼らの無茶な要求はあくまで自社の利益追求、合理的な経営方針によるものであって、ビジネスの話でしかないからだ。

倫理的にも、法律的にも特に問題はない。

 

しかし大手ネット通販会社が「悪役」に見えるのは、弱者(主人公)が圧倒的に強大な敵に、智恵と勇気だけで挑んでいくという、少年ジャンプ的ストーリーが痛快だからだ。

 

しかも、主人公がとった対抗策は廃れゆく地方の小売店を再生させつつ、買い物難民である高齢者たちをも救うアイディアだったから、なおさら、だ。

 

誰もがネット通販を理由もなく贔屓しているわけではない、シャッター商店街を見て心を痛めていないわけではない。

 

ネット通販が商店街よりも圧倒的な品揃えで、安価で、スピーディに自宅まで届けてくれるからそちらを利用しているだけだ。

僕だって、絶版になっている本を探すとき、神保町に足を運ぶよりもネットでポチることの方を選ぶ。

でも、だからって町の本屋や古書店が潰れてもいいなんて思っているわけじゃない。

商店街のほうがネット通販より利点があれば、そっちを使いたい。

 

主人公の「策」は大手にとって盲点となっていた「利点」を突いたものだった。

 

いいよね。こういうストーリー。ワクワクする。

華々しいデビューを飾ったものの、ファミレスのバイトで食いつないでいる作家・豊隆と、大手出版社の文芸編集部で働く俊太郎は、幼なじみだ。

「いつか一緒に仕事を」。

その約束は果たされないまま、豊隆は無収入の状況に陥り、俊太郎が所属する編集部も存続の危機にたたされる。

売れない作家と三流編集者。

逆境の中にあっても、互いの才能を信じる二人は、出版界の常識を無視した一手を放つ。

小説の役割は終わったのか。

 

 

……うーん。

 

つまらなくはないんだけど。

 

なんでこんなに王道ストーリーなのに、盛り上がりが無いんだろう。

 

絶体絶命のピンチがあって、それを周囲の助けや友情パワーで乗り越えて、栄光を掴む……みたいな少年ジャンプ的ストーリー。

 

山あり谷あり、起伏に満ちた物語のはずなのに、なぜか「ハラハラ」も「ドキドキ」も「わくわく」もしない。

 

なんでだろうなあ。

 

単純に筆力がないということなのかなあ。

 

まったくわからん。

月島前線企画に持ち込まれた、既解決事件。
孤島に渡った六人が全員死体で発見されたが、当人たちによって撮影された、渡島から全員死亡までの克明な録画テープが残っていた。何が起こったかはほぼ明確だ。
警察はすでに手を引いている。ところが、依頼人は不満のようだ。
真実が映っていなかったのか、あるいは嘘が映されていたのか―。
目を眩ませる膨大な記録と、悲喜劇的な顛末。事件の背景に浮かび上がる、意外な真相とは?

 

 

※詠坂作品なんで何の先入観も持たずに読んだ方が楽しいですよ、ってことで未読の方は不可。

 

 

 

詠坂雄二作品といえば、そのトリッキーさが特徴だが、作中のトリックそのものというよりはそのトリッキーさは作品の構造自体に活かされている場合が多い。


本作もストーリーそのものは淡々と進み、まったくもって特筆すべきようなことは何もない。


一人目は崖から転落死、二人目は溜め池で溺死、三人目はちょっと変わっていて灯台に付いている風見鶏が落ちてきて圧死、それから四人目は灯台から転落死(これは映像も残っていて事故確定)、五人目は連続死にパニックになった男に刺殺(これも映像が残っているので殺人確定)、そして六人目が自殺をして幕。

 

うーん。


こう書いちゃうと奇妙な死に方をしている三人目だけに作為があるってありありとわかるな。

 

そこから導き出される結論としては当然、一人目・二人目を三人目が殺害して自分は仕掛けをつくって自殺した…と考えるのが一番自然だし、実際、作中でもそういう推理をされる。


それを名探偵、月島凪がどうひっくり返すのかというのがこの作品の眼目であるのか……と思いきや、そういう感じでもなくそのままの結末を迎える。

 

物語の肝は物語の中には無い。


六人が死亡した物語と、それを克明に記録した映像と、それらを紡いだ物語そのものがただひとつの目的のためにあった。


正直驚きは少ないものの、いかにも詠坂作品だなと思ったし、月島凪が初めて姿を現すその作品としてはこれしかないのかなと感じた。

全編書き下ろし。
超人気作家たちが2年の歳月をかけて“つないだ”前代未聞のリレーミステリーアンソロジー。

 

 

リレー小説の定義とはなんぞや。


僕は勝手に、複数の作家が一章ずつ物語を書いていってひとつの長編小説を作るものだと思っている。


たとえば、二階堂黎人、柴田よしき、北森鴻、歌野晶午、愛川晶、芦辺拓らが繋いだリレーミステリ「堕天使殺人事件」


たとえば、石持浅海、黒田研二、高田崇史、鳥飼否宇、松尾由美らの「EDS緊急推理解決院」


極めつけは、笠井潔、岩崎正吾、北村薫、若竹七海、法月綸太郎、巽昌章の「吹雪の山荘 赤い死の影の下に」

各作家たちが誇るレギュラー探偵&ワトソンが活躍するという豪華リレーミステリ。


僕がパッと思いつくのはこのくらいだけれども、これら3冊いずれも全く面白くなかった


かなりのメンバーを集めているにもかかわらず、本当にもうびっくりするくらい面白くなかった

 

プロ中のプロたちが書いている作品なのに、そのままどこかの新人賞に応募してもせいぜい一次突破くらいが関の山だろうなあと思った。

 

それだけリレー小説っていうのは難しいのだろうなあと思う。

 

さて本作であるが、トップバッターは日本を代表するストーリーテラーの宮部みゆきさん。

 

この天才をもってしても面白くならないなら、たぶんリレー小説には未来はないと思う。

 

で、読んでみた。

 

やば。チョー面白い。

 

イラッとさせられる同僚についての愚痴を言い合う先輩と後輩。

居酒屋でよく見かけるシーンからはじまって、自然な流れで後輩君が「人でないもの」についての話をはじめる。
彼が少年であったころに遭遇した、「家」にまつわる恐怖の物語。
そして、先輩にはとうとう語らなかったけれど、その「家」の物語のもっともっと恐ろしい結末。

 

いやーホラーだわー。本当に。
ホラーってやっぱり語り口が一番大事だよね。題材ではなくて、どう語るか。
ミヤベさんのストーリーテリングの力だよ。

 

で、この作品からバトンを渡されたのが同じ女流ミステリ作家の辻村深月さん。

 

あ、リレー小説っていってもストーリーとキャラクターを引き継いで物語を続けていくわけじゃなくて、プロットを繋いでいくっていう意味での「リレー小説」なわけね。

 

でもね、講談社に教えてあげたい。

これは「リレー小説」じゃなくて「アンソロジー」っていうんだよ、って。
(って思ったらオビには「リレー・ミステリーアンソロジー」って書いてあった。やり口がキタナイな)

 

……まあ、でも一般的なリレー小説とは違って失敗しないよねこのスタイルなら。

 

辻村深月さんの「ママ・はは」はミヤベさんの紡いだ物語から「ホラー」「変化する写真」という要素を引き継ぎ、さらに「正常であったように思われた語り手が、実はそうではなかった」というスタイルのオチまで踏襲するという、まさにこれはリレーと言っていいでしょう。


ミヤベさんのプロットをしっかりと引き継ぎながらも質の高いホラー小説になっています。

第二走者も優秀で、これは僕が考えていたリレー小説とはちょっと違うけれど、アンソロジーとしては非常にレベルが高い。

 

と思ったのはここまで。

 

後続の薬丸岳、東山彰良、宮内悠介はそれぞれ、

 

「リレーしているのはホラーってことだけ」

「それだとリレーアンソロジーではなくてただのアンソロジー」

「そもそも本質的にホラー小説の意味がわかっているのか」

 

などとツッコミを入れたくなるような出来で、せっかくの第一走者と第二走者の好走がまったくの無駄。


そういう意味ではたぶんバトンを放り投げて明後日の方角に走り出したのは三走をつとめた薬丸岳で、彼の責任は非常に大きい。


人選を誤ったな講談社。