水底の本棚 -3ページ目

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

消費者金融で働く新米社員・諸星雄太が延滞者を訪ねると、男は行方不明になっていた。
家には男の妻と娘が残されていたが、返済は待ってほしいと言うばかりだ。
取り立てに通ううち、雄太は奇妙な色気を滲ませるその人妻に搦めとられてゆく。
やがて周囲の人間が、一人、また一人と変死を遂げてゆき…。
衝撃の結末に凍りつく、一気読み必至の傑作ホラーサスペンス!

 

 

解説の春日武彦氏(精神科医)が、貴志祐介の「黒い家」を比較として挙げているが、

 

「『黒い家』とこの凡作を並べて語るなよ。おこがましいわ」と言いたい。


「黒い家」が描くのは「人間の怖さ」である。

 

それも、オカルティックな怖さではない、現実世界という地平にしっかりと足を着けた上で描く「サイコパスの恐怖」である。


貴志祐介はその「サイコパス」が住まう家を「黒い家」として表現した。

 

特段、何か変わったことがあるわけでもない、にもかかわらず見るものをぞっとさせるような恐怖を与える「家」を見事に描写していた。


一方、本作は「家に顔がある」と書き出し、タイトルも「亡者の家」とされているにもかかわらず、その「家」の「顔」などまったく見えてこない。


そこに住まう債務者たちにも何の存在感もなく、ホラー小説どころか、まるで「闇金ウシジマくん」の出来損ないのようなノワール小説でしかない。


かと思えば、ラストは唐突に、何の伏線も説得力もないオカルティックなオチで物語がぶった切られる。バカにしてんのかこれ。


オビの「衝撃の結末に、あなたはきっと凍りつく」はある意味嘘じゃない。

 

確かに凍りつくわ。

 

寒くてね。

運行しているはずのない深夜バスに乗った男は、摩訶不思議な光景に遭遇した―奇妙な謎とその鮮やかな解決を描く表題作。
女子中学生の淡い恋と不安の日々が意外な展開を辿る「猫矢来」。
“読者への挑戦”を付したストレートな犯人当て「ミッシング・リング」。
怪奇小説と謎解きを融合させた圧巻の一編「九人病」。
アリバイ・トリックを用意して殺人を実行したミステリ作家の涙ぐましい奮闘劇「特急富士」。
あの手この手で謎解きのおもしろさを伝える、著者再デビューを飾るミステリ・ショーケース。

 

 

表題作の「Y駅発深夜バス」が本当に素晴らしい出来。


不可解な現象がすべて伏線となりひとつの殺人事件の真相に帰結する。


精緻に描かれたミステリというものは本当に美しいと心から思う。


本質と一見無関係な不可思議な現象や、どうでもいいような細かいことや、要らないんじゃないかこの設定?と思うような事柄まで、すべてが伏線として活きていることがラストでわかり、ああミステリの面白さってこういうことだよな、と。


たとえば、主人公の男性がパーキングエリアの真っ暗な休憩所で物も言わず外を眺めている一団に遭遇する。


この異常な光景は「酔っぱらっていて変な夢でも見たんじゃないか」「時間もやはり自分の勘違いなんだろうな」と主人公に思わせる効果がある。


実際はしし座流星群を観測するための同好の士が集まっていただけなのだが。


そしてこの「しし座流星群」は、被害者をマンションのベランダに誘い出す小道具としても使われる。

ああ、そことそこが繋がるんだなあという驚きがある。


筋は通っているけど……それは現実的にあり得なくない?

わざわざそんな面倒臭いことする人間はいないだろうよ、と思わずにはいられないミステリが多い中、本作はすべてがすっきりと腑に落ちる。


大切なのは「不可解な謎」と「美しい着地」であり、どちらが欠けてもミステリとして成立しないと僕は思っている。


本作はそのどちらも兼ね備えた秀作だと思う。

幼馴染の美人双子、優衣と麻衣。僕達は三人で一つだった。
あの夜、どちらかが兄を殺すまでは―。
十五年後、特捜検事となった淳平は優衣と再会を果たすが、蠱惑的な政治家秘書へと羽化した彼女は幾多の疑惑に塗れていた。
騙し、傷つけ合いながらも愛欲に溺れる二人が熱砂の国に囚われるとき、あまりにも悲しい真実が明らかになる。
運命の雪崩に窒息する! 激愛サバイバル・サスペンス。

 

 

※ねたばらし満載で感想を書いていますのでお気をつけください。

 

 

 

オビの煽りは「15年ぶりに現れた初恋の人に浮かぶ、兄殺しの疑惑。」
これ、省略し過ぎだろ。

 

惹句だけを素直に読むと、

 

「15年ぶりに初恋の女性と再会し、ドキドキが盛り上がってきたところに、犯人がわからないままに迷宮入りしていた兄殺害事件の犯人が彼女なのではないかという疑惑を持つような何かがあって、恋愛感情と兄を殺害した犯人への憎しみの狭間で揺れ動く主人公が、彼女が犯人でないようにと願いつつも疑わずにはいられない複雑な気持ち」

 

みたいな感じのストーリーを想像するのだけれど。

 

実際読んでみると、「兄殺しの疑惑」はわりとどうでもよくて、

 

初恋の彼女が秘書として尊敬してやまない政治家である是枝孝政の汚職を暴こうとする淳平は、その内偵捜査の過程で彼女と是枝が愛人関係にあると知り、仕事への情熱と嫉妬心の両方から必要以上に捜査に熱を入れるのだが、彼女は是枝を護ろうと必死になり、淳平はますます敵愾心を燃やす

 

……みたいな展開なのである。


つまり、実際は、「(東京地検特捜部の検事となった淳平の前に)15年ぶりに(淳平の捜査対象である議員の秘書になり敵として)現れた初恋の人」というハナシなのだ。


東京地検特捜部がどうの、汚職がどうの、っていうことを書くよりも手に取ってもらいやすいオビではあるかもしれないし、確かにウソをついているわけじゃないのだけれど、なんだかなあ。

 

オビの惹句にはもうひとつ、「3頁先すら予測不可能!!」とあるけれど、こっちは正真正銘、ホント。


神戸の田舎町で淳平少年と双子の姉妹(優衣と麻衣)がお医者さんごっこをするシーンからはじまって、麻衣の兄殺しを経て、阪神大震災で麻衣が死亡、それから時を経て検事となった淳平とその捜査対象である政治家の秘書になった優衣が再会し、最終的には二人してアルジェリアでテロに巻き込まれて人質にとられる……なんていう展開は絶対に予想不可能だろう。


神戸の田舎町からスタートして、最後、アルジェリアよ?

 

そら確かに予測不可能であることは間違いないッスわ。

 

退屈する暇がないくらいの怒涛の展開で一気に読ませてくれることは間違いないので、オビが気になって手に取って、でも「これそういうハナシじゃないじゃん」って憤慨する人はいるかもしれないけれど、それでも損をした気分にはならないと思います。たぶん。

「絶対一番なるんじゃ」。
かつての野球少年達が選んだ芸人への道。
焼け付くような焦りの中を頂点目指してもがき、ついに売れると確信した時、相方を劇症肝炎が襲う。
人生を託した相方である友の再起を願い、周囲に隠し続ける苦悩の日々…。
今なお、芸人に語り継がれる若手天才漫才師の突然の死と、短くも熱いむき出しの青春が心に刺さる感動作。

 

 

2014年、僕がある中堅書店チェーンの本部に居たころ、本書が映画化されることになり「映画の宣伝に協力してくれ。宣伝費は経費込みで100万円」というオファーが吉本興業からありました。


その書店は芸能界に非常に強いパイプがあるのでこういうオファーもあるのだけれど。

 

って言ってもね。書店でできる宣伝なんか、たかが知れているよね。

 

とにかく本をがっつり積んで、パネルやPOPで「映画やりますよー」っていう告知をするくらい。

 

でも100万円貰ってそれじゃあ話にならないっていうので、先方から使用していい画像データを用意してもらってポストカードなんか作って「本書をお買上げの方にもれなくプレゼント」とかやってみたりしたけれど。


それも、何十店舗もあるような大型書店チェーンやコンビニなんかでやればそれなりの効果があるだろうけど、その書店チェーンの店舗数はせいぜい20店舗弱。

 

それでかかった経費はせいぜい2万円くらいのもので、あとは全部丸儲け。

 

芸能事務所とかテレビ局の感覚だと100万円程度は気にもならないような額なんだろうけど、書店が利益ベースで100万円を得るためにはどれだけの本を売らなければならないかって考えると……ホント、この企画って罪悪感しかありませんでしたね。


こんなことで100万円貰っていいの?って。

 

閑話休題。

 

まあ、そんなことがあったのでね。ちょっと気にはなっていたのだけれども。

 

ほならね、なんでそのときに読んでないのかっつー話ですけどもね。

 

まあ、実話っていうのは本当に強いね。

 

一緒に夢を追っているパートナーや、世界中で一番愛している恋人が不治の病に罹って死んでしまうというハナシは数多あるし、それなりに名作も存在するのだけれど(たとえば「君の膵臓をたべたい」あたり)、駄作もうんざりするほど多い。


けれど、実話っていうのは、もう有無を言わさない迫力がある。

 

説得力とかリアリティとか伏線とか。

そんなもの全く関係なく読ませる力がある。

だって本当にあった話なんだから。

 

実際、本書で河本氏が肝炎を発症するのは本当に突然で何の伏線もないし、発症から亡くなるまでの期間に何か感動的なエピソード(たとえば一度奇跡的に意識が戻るとか)があったりするわけでもない。


にもかかわらず、読者を惹きつけるのはこれが実際にあったことだからなんだよね。

 

実話は強い。

 

書き手と登場人物たちの想いがダイレクトに乗っかるから。

 

本当にパワフルにお笑いを愛した河本栄得という男の、そのエネルギーが読者にモロにぶつかってくるから。

 

フィクションもそれに負けずに頑張ってほしいよね。

この真相、絶対予想不可能。
横溝正史ミステリ大賞を史上最年少で受賞した異端児が仕掛けた罠を見抜け。
僕の彼女は「嘘つき」たちに殺された――。
廃墟探索ツアーで訪れた無人島で死んだ最愛の人・美紀。

好奇心旺盛で優しい彼女は事故に遭ったのだ。
僕は生きる意味を喪い、自堕落な生活を送っていたが、美紀と一緒に島にいた女と偶然出会いある疑いを抱く。美紀は誰かに殺されてしまったのではないか。
誰かが嘘をついている――。
嘘と欺瞞に満ちた血染めの騙し合いの幕が開く。

 

 

菅原和也氏はデビュー以来、わりとハズレなくコンスタントに良質の作品を提供してくれていたので、今回も期待をして読んだ。


だが、オビの惹句に期待させられ過ぎて、ちょっとガッカリした感も否めない。
(オビがダメなのは作者の責任ではないのだが)

 

「この真相、絶対予想不可能――。」

 

僕のいちばん嫌いなタイプのオビである。


僕はこれを「何も言っていないのと同じオビ」というジャンルに分類している。


もしも青果店がリンゴにオビ(そんなものは無いが)を付けるとして、「このリンゴは赤いですよ!」と書いたら誰もが「当たり前だろう」と苦笑するだろうに。


「このミステリは真相が予想できませんよ!」というのがどうして売り文句になると思えるのだろう。

 

真相が隠されていて予想できず、最後で読者にあっと言わせるのは、リンゴが赤いのと同じくらい、ミステリとしての大前提なのだがなあ。

 

「廃島を舞台に嘘つきたちの騙し合い。」

 

上記の惹句はただ間抜けなだけだが、オビに偽りあり、と思うのはこっちだ。

 

もちろん犯人は「嘘つき」なのではあるが、他の登場人物たちは記述者(ワトソン)も含め、ただの善意の第三者であり、あとはせいぜい探偵役がその正体を隠しているというだけ。


「嘘つきたちの騙し合い」ではまったくもって無い。


「嘘つき」たちが「廃島」で騙し合うという展開から想像される「デスゲーム系ミステリ」または「多重推理」のいずれでもなく、ごく普通のミステリであった。

(「嵐の孤島」パターンですらない)

 

冒頭から登場人物たちがハンドルネームで呼び合っているので、ここに叙述的トリックが仕掛けられている可能性もあるな…と思ったのだが、叙述トリックでは読者を騙すだけで、「嘘つきたちの騙し合い」にはならないしなあと気づき、打ち消す。


「それはないだろ」と思った方の推測が的中するほど、面白くない結果はない。

 

叙述トリックそのものは「時系列に叙述トリックを仕掛けることで人物を錯誤させる」という、最もありふれたパターンではあるものの、よく練られていて綺麗に決まったと思う。


殺人に関する物理トリックも、とてもグロテスクで非常にショッキング。良く出来ている。

 

叙述+物理の両トリックをうまく組み合わせた、良質なミステリであるにもかかわらず、なぜか読後に「ハズレを読まされた」ような気分になる。

 

それは、タイトルとオビが「きれいにまとまった良質な正統派本格ミステリ」であることを示唆していないからだ。
トンチンカンなタイトルとオビがこの作品の評価を下げているとすればそれは間違いなく出版社(編集者)の責任であろう。