神は日本を憎んでる
ダグラス・クープランド
マイク・ホワットソン=画
江口研一=訳
角川書店


「神は日本を憎んでる」は、1990年代の日本とカルト宗教に焦点を当てて書かれた小説であるが、バンクーバーの作家、ダグラス・クープランドから見える日本、という特異点が、際立つ小説と言えるだろう。
1995年の地下鉄サリン事件は、果して海外の人間の目にはどのように映ったのだろうか?
その時、私はまだ20才であったが、オウム真理教は謎のベールに包まれており、その信者の理解に関しても遠く及ばない所にあった。
只、不遇の時に何かに縋りたいと思う人間の精神構造自体は、人類の黎明期以来、旧態依然としているのであろう。
「神は日本を憎んでる」の中に登場するキミコやカオルやリエコ、そして主人公ヒロの両親は、至って普通の人生を送ってきた人間である。
しかし、その一般的な普通の人生の中には、多大な社会の歪みが隠蔽されているのだろう。
そして、その多大な社会の歪みから逃避し、全く新しい価値観や秩序を提供するのがカルト宗教という団体なのだろう。
私にとっては、カルト宗教の信者の心理が未だに理解不能の領域にあるのだが、この小説の読後も、それは全く変わる事が無い事実だという印象がより強くなった。
只、この国(日本)の秩序体系が完全に崩壊している場合、国民が民主主義の原則に則り、新たに秩序体系を再構築する必要性が生じてくるだろう。
それは、カルト宗教の使命では無く、民主主義の使命なのである。
思うに、90年代は、世紀末的な破局の不安から救世主思想に陥りやすい処があり、それは資本主義の限界を示していたという事でもあるが、アニメ等のメディアの影響も大きかった、と言えるのではないだろうか。
主人公ヒロが宇宙戦艦ヤマトに傾倒するのも、上記の通りであるし、ヒロ自身も危ういメンタリティを常に抱えているのである。
只、現実的に周囲の人間を見渡してみると、無思考で欲望や感情に流されて生きている人間がマジョリティであり、カルト宗教は、極一部の思想的な人間の心の隙間に入り込むウイルスのようなものなのだろう。
そして、そのウイルスに侵されてしまったら、現実逃避一辺倒の思考回路になってしまうのである。
ヒロの友人テツの妹のナオミは、地下鉄サリン事件の影響で、片方の肺を失う事になる。
実際に、地下鉄サリン事件は、12人の死者と5000人の重軽傷者を出し、巷間を震撼させた事件である。
恐らく、ダグラス・クープランドが書いた小説の中では、今までで最も重いテーマだと言えるのではないだろうか。
そして、ヒロの両親もカルト宗教に入る事になるのだが、これも近年の山上徹也被告の事を考慮するならば、蔑ろに出来ない重いテーマを扱っていると言えるだろう。
しかしながら、マイク・ホワットソンのポップなイラストが、コミカルな描写の文章と共にふんだんに使われている本書は、不思議なアイロニーと諷刺に満たされている。
これ程の重いテーマを、ハイセンスでポップなイラスト小説にしたのは、そうする事によって、読者を深慮させる作者の明確な狙いがあるのだろう。
信じられない事が現実に起きて、その現実感を伴わない現実が、現在、そして、未来へと継続し、日々、増大していく。
今、日本に起きている現状の問題から決して目を逸らす事無く、作者は、この作品で、外国人の視点から問題提起を行っている。
私自身に関しても、過去20年前から今までに、現実感を伴わないレベルの恐ろしい現実が実際に起こり、日々、生命を脅かされながら、命を懸けて文章を記している。
この作品の表紙に、イラストとして描かれているのは、化学洗剤と化したヒロの両親の身体である。
それは、特別な人間の姿では無く、日本人全体が、この国を支配する者によって、漂白されていく事を危惧したイメージのイラストなのだろう。
彼等(日本人)の脳(思考回路)は、都合の悪い事を無視するように、改変させられている。
日本人、そして各々の問題を抱えている個人が、今までどういう歴史を辿ってきたか、現実として鑑みる必要性があるのではなかろうか。

引用

僕たち世代感のない者は、基本的に、その純粋さを試されずにきた何らかの旧いシステムの崩壊の産物だった。
レゴのようにシンプルなシステムでさえも。
僕らはみんな、カスタマイズされた変異ブロックで、僕らが適合する青写真なんてものはどこにもなかった。
僕らは集合体として、ある特定のものを形成するために、一緒に組み合わされるというわけでもない。
そのうえ、古くて純粋なシステムにノスタルジーを感じることもない。
それは僕らがやって来る前に、既になくなっていたからだ。
そんな僕らの社会的適応力の欠如は、古い秩序を排除したくなる。
それは絶対に僕らが適合しないことを分かっているからだ。
(P.49)

「そのまんまさ。日本はもう、資本主義の曲線の終わりにきてるんだ。
僕らは地球上のどの文化よりも、ショッピングという考えを押し広げてきた結果、これからどうするかの地図さえないんだ。
導いてくれる神話も、歴史的な経験もないのさ。僕らは純粋に切り捨てられる運命にあるんだ。
歴史を日本にどう適用できるかという点からいえば、もう既に終わってるのさ」
(P.120)

一体何が、人に何かをさせてしまうんだろう?
僕らは朝になれば眠りから目を覚ます。そして自分が何者か、どこにいるかも覚えている。
たまに、何曜日だったか、どの季節だったかは忘れてしまい、努力しないと思い出せないこともあるけど、そのうち思い出したりする。
僕は、時々、朝になって目を覚まし、何も思い出せないのがどんな感じか、想像してみるのが好きだ。
自分が誰か、何者なのか、どこにいるのか、いつの時代の人間なのかも。
そうやって目覚めれば、自分を新しくやり直さざるを得ない。
やりたくなくても、もう一度自分を作り直さざるを得ない。
(P.254)

時々、もしかしたら自分の両親にもこういう事が起きたのではと思う。
もしかして、それまでの自分を忘れてしまったのかもしれない。
そしてその結果、有害で麻痺したカルト教団を選ばざるを得なかったのかもしれない。
カルト教団は、皇居から放射状に広がる一番外側のスポークをなぞった点線上の空っぽな郊外で暮らす両親に与えられた、たったひとつの人生だったのかもしれない。
歴史は、僕の両親を時代後れにしてしまい、歴史は、彼らの顔を地面に擦り込むほど非情だった。
(P.256)

(2025/10/4)