ベック、まとめて、アルバムをレビュー

Mellow Gold / Beck

メロー・イエロー・・・、じゃなくて、「Mellow Gold」(1994)ですね。
余談ですが、80年代後半に、メロー・イエローという炭酸飲料があって、00年代にメロー・イエローの復刻版が一時期、発売された訳ですが、100ml辺り60キロカロリー位あって、まぁ、超スーパーウルトラ高カロリーだったんだよねぇ、鬼のような甘さだっぺよ。
「Mellow Gold」は、インディから2枚のアルバムを発表した後、メジャー・デビューとなる3作目のアルバムとなっているヨン。
ジェフ・ベック・・・、じゃなくて、スタン・ハンセン・・・、でもなくて、ベック・ハンセンは、「パンクやハードコア、フォークやブルース、どれもプリミティヴという点であるという点に於いては同じ」と語っているヨン。
ベックの音楽性の特徴は、ロック、フォーク、ブルース、ヒップホップ、カントリー、ラテン・・・、と縦横無尽に行き来するポテンシャルとフレキシビリティに有るんだよねぇ。
ベックを筆頭とするミクスチャー・ロックが誕生した背景には、パンク・ロック以降、70年代末にニューヨークで、ディスコとラテンとテクノとフリー・ジャズが混ざり合った影響が大きく、それらが、10年後の布石となっているんだよねぇ。
まぁ、個人的には、ゼロ年代以降、ブルースを通過した事もあって、ブルースとヒップ・ホップが軸となり、シンプルに程良く配合されている「Mellow Gold」が、ベックのアルバムの中で、最も好きなアルバムになっているヨン。
ベックは、音楽性だけで無く、歌詞の面でも、「Mellow Gold」を代表する楽曲「Loser」に於いて、冷笑的で自虐的な負け犬宣言をしていて、晦渋な表現の歌詞ではあるけれど、オルタナ/グランジ世代の多くの共感を得る事になったヨン。
まぁ、私は、IT系の会社で働いていた時、新人研修の管理者養成学校に於いて、マインド・コントロールされる位に、やる気満々の真面目系サラリーマンだったし、IT系の会社で働いていた時は、毎日、夜の11時過ぎまで残業したり、電車や家の中で只管に仕事をしていたり、と、ワーカホリック的に忙しい20代の人生を過ごしていたんだよねぇ。
エレキングのライターは、甲斐性無しのニートを擁護をするような文章を書いたりする時もあるけれど、私の信条は、労働者側の擁護にあるので、当然、相容れない価値観であり、ベックの価値観や考え方は、20代の頃は、何かこうね、共感が出来ない処があったんだよねぇ。何て言うんですかねぇ、私のキャラクターが、良心的で真面目で社会的な人間であるから、と言えば良いんですかねぇ。
しかし、三十路以降、哲学や現代思想を通過した事もあって、ベックのX世代特有の「いい加減」な価値観にも、共感する処がある訳で、烏賊・・・、じゃなくて、以下、「Mellow Gold」のライナーの重要な部分を抜粋しておくゲソ。
-気が付くと、人間は自分自身の為、家族の為、社会の為、国の為、に汗を流し、必要以上に真剣に世界と格闘してしまうが、それこそが罠であり、それこそがシステムと呼ばれるものの正体である。(略)
そこで、何もしないままでいれば飼い慣らされるだけであり、そこに闘いを挑めば、蟻地獄に嵌ったかの様に一生、足掻き続ける事になる。(略)
もしかすると、ベックこそが現在、最も内なるシステムと過酷な形で闘っているアーティストなのかもしれない。-
と、こんな感じなんだよねぇ。ダグラス・クープランドの小説に於いてのメッセージ性に近いかもしれないけどねぇ。
そして、ベックの価値観に関連性のある話ですが、「本人」という雑誌に於いて、2ちゃんねるのひろゆき氏は、「世界の仕組みを解き明かしたい」と語っていて、以下、重要な部分を抜粋するヨン。
-「言ってる事は分かるけど、感情的に納得できない」みたいな人がたまにいるじゃないですか。そういう人は僕の事を嫌いなんですよ、耳障りのいい事を言わないから。-
-「ロジックが無いと損をする世代なんです」-
-世界にはシステムがあって、そのシステムのもとでロジックが動いていく。論理的に考えれば、論理的な結果になる。-
-こういう論理的な脳の判断能力って、僕が現実に判断する時に使ってるのと同じ判断能力だと思いますよ。
シミュレーションゲームをたくさんやってると、ロジカルな思考能力も高まる。(略)
だから「おまいら、ゲーム脳になれよ」っていう感じですかね。-
と、短くして、抜粋するとこんな処だヨン。
要は、何が言いたいかというと、私は、基本的にデカルト信者であり、ロジック重視の考え方であり、ひろゆき氏にも影響を受けていて、その上で、「Real Yellow Monkey」や「Future Shock」のブログの文章を書いているという事だヨン。
まぁ、国家の支配者側は、支配欲を満たす為に、ロジックを駆使して作戦を練り、国民を支配する為に支配体系を組み立てて、国民を感情的にさせてマインド・コントロールをしてくるので、国民は、正義感だけでなく、ロジカルな思考も必然的に重要になってくるヨン。
そして、ダウンタウンの松本が、お笑いの斯界の笑いの感覚を一変させただけでなく、一般の国民の笑いの感覚を変えて、それが遍く浸透し何時の間にか定着したように、国家の支配者側の戦略的なマインド・コントロールも、国民の間に何時の間にか遍く浸透し定着してしまう訳で、国民は相当な危機感が必要なんだよねぇ。
畢竟、ベックの世界を愚弄しながら風刺するアティチュードは、現代の社会状況に対して、冷静に論理的に考える上で、必須になってくる要素だと思うヨン。

Odelay / Beck


伯父、礼・・・、じゃなくて、「Odelay」(1996)ですね。(伯父・叔父(おじ)とは、父・母の兄弟の事。又、伯母・叔母(おば)の夫の事。父・母の兄には、「伯父」、弟には「叔父」と書く。)
私は、2001年のサマー・ソニックに参加しているけれど、その時、最後にメイン・ステージに出演したのがベックであり、私は、事前にライブの予習としてベックのアルバムを中古で集めていたんだよねぇ。
まぁ、90年代にリアルタイムでベックを聴いた時は、ミクスチャー・ロック自体、その時点で人口に膾炙していたし、ブルースとヒップホップの組み合わせが、ちょっちゅだけ、面白いと思った程度で、そんなに良いとは思わなかったんだよねぇ。
だから、2001年の当時としては、正直、ベックは、今さらジローといった感じではあったけれど、実際にベックを生でライブで観た時は、パフォーマンスが素晴らしく、個人的には、サマー・ソニック2001のベスト・アクトだったと思っているヨン。
まぁ、私は、恥ずかしながら、一人でサマー・ソニックを観に行っていて、メガネを掛けて、赤いTシャツにジーンズという格好で、最後尾で腕組みをしながら、ベックのライブを観ていたんですけどねぇ、そらそうよ。
本題に入るなら、「Odelay」は、前作と同様に、ジャケットのアート・ワークが素晴らしく、内ジャケや裏ジャケも合せて、適当な悪フザケがコラージュされていて、そのユーモア感覚は、同年代のエイフェックス・ツインに相通じるモノがあるんだよねぇ。
こういうシニカルで適当なユーモア・センスは、日本人のアーティストには少なく、それも、私が邦楽より洋楽を好む要因になっているんだよねぇ。何かこうね、全体的に日本人アーティストの楽曲は、生真面目で青臭い印象があるんだよねぇ。
「Odelay」の音楽性について言及するなら、ブルース・シンガーの資質とヒップ・ホップとサンプリングの同時代の感覚を取り入れた前作を更に発展させて、ソウルやファンク、ボサノヴァまで、多彩な要素を取り込み、プロデューサーに、ダスト・ブラザーズを起用して、複雑な音楽性を実現しているヨン。
それだけでなく、音の質感がザラついていて、それが、更なるジャンク感とキッチュ感を醸し出す効果を演出していて、奇妙なギミックに満ちているだけでなく、音楽マニア向けの雰囲気を感じさせるアルバムに仕上がっているヨン。
余談ですが、90年代後半、宇都宮のユニオン通りにある古着屋で、ベックの「Mellow Gold」や「Odelay」がBGMとして掛かっていた事があったけれど、何て言うんですかね、同時代の適当でいい加減な脱力感と言うんですかね、そういった時代感覚とベックの感覚は、ベストマッチしているし、古着のような音響の感覚でもあるんだよねぇ。

Mutations / Beck


妙なテンション・・・、じゃなくて、「Mutations」(1998)ですね、ホホホ~イ。
ベックは、ファースト・アルバムとセカンド・アルバムの間に、「One Foot In The Grave」というアルバムを発表していて、私は、そのアルバムを中古で購入して、所持していたヨン。
まぁ、ベックのアルバムは、一時期、「Sea Change」までは、全て中古でアルバムを揃えていたけれど、今、所持しているのは、「Mellow Gold」と「Odelay」の2枚だけですねぇ。
一般的に、この2枚のアルバムが、ベックのキャリア・ハイと評価されている事は、間違い無い、と思うヨン。
まぁ、「One Foot In The Grave」に関して言えば、戦前のデルタ・ブルース風の曲を全体的に配した作品で、初期衝動を剥き出しにしたラフな唄と演奏であり、当時は理解が出来なくて、大して聴かないで売却した記憶があるヨン。
そして、「Mutations」に関して言えば、タイトルの和訳の「変化」の意味通り、ファーストやセカンドの頃とは、截然たるダウナーな弾き語りを中心とした楽曲が全体的に配されていて、まぁ、良く言えば、穏やかな作風だけど、悪く言えば、少し退屈な印象のアルバムでもあるんだよねぇ。
とは言え、ライブで、「Mutations」に収録されている「Cold Brains」と「Nobody's Fault But My Own」の2曲を聴いた時は、思わずチキン・スキン・ミュージックになったヨン。
又、夜、野外で弾き語りの演奏をしているベック・ハンセンの姿は、FCソフト「ゲイモス」の映像のように壮麗であり、印象深く、記憶に残っているヨン。
そして、「Mutations」のジャケットに関して言及するなら、内ジャケは、グロテスクな印象があるけれど、表ジャケはイケメンなルックスで、ファッション・センスも良くて、流石に、別嬪のウィノナ・ライダーと付き合っていたレベルだけあるなぁ、と思うヨン。
因みに、ファッション・センスと言えば、知命になった事もあって、私の着ている服は、ほとんどが「ファッション・センターしまむら」で購入した服なんだよねぇ、散歩がてらにお気軽に着ていますねぇ。
まぁ、ベック・ハンセンは、ポスト・グランジに該当する存在でもあるけれど、ダーティーな装いを特徴とする亜米利加のグランジ勢の中で、一際、粋で瀟洒な雰囲気を持つ存在だった事が、怜悧で曲者的でもあり、何かこうね、当時は新鮮だったんだよねぇ。

Midnite Vultures / Beck


「ミッドナイト・エクスプレス」・・・、じゃなくて、「湾岸ミッドナイト」・・・、でもなくて、「Midnite Vultures」(1999)ですね。
因みに、私は、水戸コンピューター専門学校時代は、スポーツ・カーやレーサー・レプリカのバイクが好きで、180SXやCBR400RRを所持していましたが、「頭文字D」や「湾岸ミッドナイト」のコミックは所持していなくて、「キリン」というバイク漫画の大ファンだったヨン。
又、水戸コンピューター専門学校時代は、友人F君やY君に話を合わせる為に、「修羅の門」や「特攻の拓」や「BAD BOYS」を全巻、揃えていたヨン、安い投資だヨン。まぁ、私は、意外と人と話すのが好きで、えんどうマメな性格だったと思うヨン。
そして、勝田工業高校時代の帰宅時は、ホット・スパー(コンビニ)の駐車場で、駄菓子を奢って貰いながら、教室では話せないような事を、友人I君と毎日30分位は語っていたという、ホットで酸っぱい想い出があるヨン。
又、20才位の頃は、友人F君の家で、夜半から払暁まで、数人位の友人が集まって、語り明かした日もあったヨン。
私は、学生時代の頃は、碌に勉強はしていなかったけれど、友人関係やバイトの人間関係を通して、学ぶ事が多く、そういった事を通して、人間力が形成されていくんだよねぇ。
因みに、私が、10代後半から20代前半の頃は、ひたちなか市の海浜公園の近くの道路で、深夜にゼロヨンが行われていて、まぁ、私は、スポーツ・カーが大好きだったので、友人A君、その他と毎週、ゼロヨンを観に行って、帰りに吉野家の牛丼を食べて、家に帰った想い出があるヨン。
まぁ、若気の至りと言うんですかねぇ、水戸コンピューター専門学校時代の友人、その他の友人を含めて、7人の友人(七人のサムライダー)と、「白虎隊」という走り屋のチームを作って、ショップで誂えた「白虎隊」のロゴ入りのトレーナーを着用して、私は、スポーツ・カーやレーサー・レプリカのバイクに乗っていた、というね、そんな時代もあったよねぇ。
ベックのアルバム・タイトル「Midnight Vultures」は、和訳すると、真夜中のコンドル、深夜のハゲタカ、真夜中の強欲な人、深夜の冷血な奴、深夜のハゲタカ(商人)、といった感じの意味になると思うヨン。
まぁ、アルバム・タイトルは、深夜の走り屋みたいなイメージとは、異なると思うけれど、一体、どういう意味合いで、タイトルを付けたんでしょうねぇ・・・、ク、ク、ク、ク、クエスチョ~ン。
我ながら、良い質問ですねぇ~。私が思うには、真なる支配者は遮蔽された裏の世界で国民を支配するのであって、陰の支配者といったメタファーとして、ベック・ハンセンは、アルバム・タイトルを付けたと思うヨン。
まぁ、最後に、「Midnite Vultures」の音楽性について言及するなら、プリンス等のファンクのオマリー・・・、じゃなくて、オマージュと言える作風で、ソウルやファンクへの憧憬は感じるけれど、本来の資質からは乖離していて、フェイク・ファンクと一言、物申したくなる音楽性になっているヨン。

Sea Change / Beck


CDチェンジャー・・・、じゃなくて、「Sea Change」(2003)ですね。
因みに、90年代以降、私が家で使用していたコンポ、ケンウッドのアローラは、CDチェンジャー搭載で、ミスター・コンセントというひたちなか市にあるショップで3回位、修理しながら、10年位、愛用していたヨン。
「Sea Change」は、アコースティック・ギターの演奏を中心とした静謐なアルバムではあるけれど、「ビルボード」では8位と過去最高位を記録した作品でもあるヨン。
歌詞は、幼少期に両親が入信していた新興宗教サイエントロジーに救いを求めるという、精神的な危機の中で制作されていた事もあって、心痛を披歴した独白的な内容になっているヨン。
そして、楽曲自体は、古典的なメロディ・メーカーとしての才能を遺憾無く発揮していて、決して駄作とは言えないアルバムになっているんだよねぇ。
まぁ、「Sea Change」は、ニック・ドレイクのアルバムに雰囲気が似ている事もあって、悄然としている時に聴くと、何かこうね、気持ちが落ち着いてきて、良いと思うんだよねぇ。
因みに、アルバム・タイトル「Sea Change」は、日本語で「根本的な大変化」を意味する言葉で、まぁ、このアルバムを機に、最先端の音楽を制作する事から身を引こうとする意思も感じるんだよねぇ・・・。
蛇足ですが、「Sea Change」と言えば、地元の日立駅も全面改装によって、素晴らしいオーシャン・ビューになったという事も、伝えておきたい処だっぺよ。

Guero / Beck
下呂・・・、じゃなくて、「Guero」(2005)ですね。(下呂とは、岐阜県中部、飛騨川の上流に位置する市。下呂温泉、濁河(にごりご)温泉などがある。人口3万8千。)
(私は、20代の頃、バイク・ツーリングで色々と温泉に行ってますが、ベストは、群馬県の水上温泉だヨン。)
ベックの「Guero」は、2005年のミュージック・マガジンというブックでは、最新作にして最高傑作と評されていて、「本当かよ~、そんなに良くないだろうよ~」と思って聴いてみたら、そんなには良くなかったですね。
まぁ、「Guero」は、ダスト・ブラザーズがプロデュースした事もあって、確かに「Odelay」に近い雰囲気のアルバムではあるけれど、2005年にしては、作風が古臭いのも否めない事実なんだよねぇ。
又、ラップに関しても、エミネムが君臨した後となっては、2拍4拍の韻を踏むだけのラップは、物足りなく感じるんDAYONE。まぁ、この頃になると、ベックは、ポップ・アイコンというビッグな存在からバックしている印象が、僕にはあるYO。
因みに、アルバム・タイトルの「Guero」は、ヒスパニック系の多分に嘲りの意を含んだスラングで「白人の男の子」を意味していて、それは、アティチュードにもなっていて、ストリート・ノイズを使ったタイトル・トラックは、サイプレス・ヒルを想起させる肩の力が抜けたヒップホップになっているヨン。
上記以外の曲をピック・アップして解説していくなら、「E-PRO」は、打ち込みビートにラウドなディストーション・ギターが重ねられたトラック上で、アウトローの物語が描かれるナンバーであり、「Girl」は、80年代エレポップ風のチープなリズム・マシーンに60年代ビート・バンドのようなキャッチーな歌メロが乗る佳作だヨン。
そして、「Missing」は、16ビートに中期ビートルズ風のストリングスがあしらわれた60年代トロピカリズモ風ナンバーであり、「Black Tambourine」は、プリンス「Tambourine」のオマージュと思われるファンク・ナンバーだヨン。
又、「Earthquake Weather」は、生ギターのフレーズ・サンプリングを軸にクラヴィネットやスクラッチが交錯するナンバーであり、「Go It Alone」は、ジャック・ホワイトがベースを演奏しているベック流ブルース・ロックと呼べるナンバーだヨン。
まぁ、「Guero」は、最高傑作とまでは行かないまでも、﨟長ける事で、今までのキャリアの集大成と呼べる作品にはなっているんだよねぇ、まぁ、それで、OK牧場だと思うヨン。

The Information / Beck


座員、褒めると損・・・、じゃなくて、「The Information」(2006)ですね。(座員とは、演劇の一座に属している人の事。)
因みに、私は、ゼロ年代以降、友人A君に薦められて、DVDでアニメ「BECK」をレンタルショップで借りて、全巻、観ているヨン。
「BECK」は、陰キャラっぽい高校生が主役の話で、バンドを組み、音楽活動をする話なんだよねぇ。
まぁ、私も勝田工業高校に通っていた頃は、最初は、軽音楽部に入ろうとして、同じクラスのS君と部活の見学に行った事もあるし、専門学校は、元々は、東京にある音楽の専門学校(音響関係、PA)に行こうと思ってたんだよねぇ。
妥協して、水戸コンピューター専門学校に決めた時は、正直、ブルーだった・・・、というね。
まぁ、学生時代の頃は、家で電子ピアノで作曲をしたり、エレキギターを購入して練習したり、社会人になってからも、アコースティック・ギターを購入して、作詞・作曲をして、弾き語りをしてみたり、DTMを使って作曲をしたりと、音楽の制作活動に興味があったんだよねぇ。
要は、昔は、音楽活動に興味を持っていて、ゼロ年代以降にアニメ「BECK」を観た時は、こういう青春も良いべよ、と思ったという事を、私という人間は、声を普通の大きさにして、言いたい訳だヨン。
まぁ、こんな感じのインフォメーション(情報)は、「どうでもいいですよ」(by だいたひかる)的なインフォメーション(情報)だとは思いますが、兎角、現代は情報過多の時代であり、現代人は情報に踊らされて、根本的な思考能力が衰えているようにも感じるんだよねぇ。
結局、多くの国民の脳(思考回路)は、国家の支配者側の都合の良いインフォメーション(情報)に、意図的に支配されてしまっていて、それは、無意識化にマインド・コントロールされて傀儡となる事でもあり、ベックもそういった危機感と炯眼があって、アルバム・タイトルを付けたと推測してるんだよねぇ。
まぁ、最後に、「The Information」の音楽性について言及するなら、ヒップホップの楽曲が中心に配されていて、如何にも情報過多というか、詰め込まれた感覚がアルバムの雰囲気としてあるんだよねぇ。

Modern Guilt / Beck
モダン・ガール・・・、じゃなくて、「Modern Guilt」(2008)ですね。(モダン・ガールとは、当世風の女性の事。昭和初期、多くは軽侮の意を込めて用いた。モガ。)
「Modern Guilt」とは、和訳すると、「現代的な罪」といった意味になり、まぁ、単純に言えば、ネット犯罪や最新テクノロジーを使った犯罪が該当するのだろうけど、それだけでなく、文明の発達による人間の内面の変化の事についても示唆していると思うんだよねぇ。
まぁ、ネット社会になり、悪意が浸透しやすい社会にもなっている訳で、国民の人間性の変化については、国家の支配者側の思惑や計算がある訳で、悪に対する国民の正義の抵抗に関しても、当然ながら、対策は練られていて、それは、技術的な対策は勿論の事、人間の心理状態に関しても、熟知された対策だったりするんだよねぇ。
例えば、以前、社会的なニュースになった「騒音おばさん」と呼ばれている人が実在していて、ワイド・ショーで取り沙汰されて有名になった事があったけど、実は、難病の子供と暮らす可哀想な人であり、近所の組織的な団体の人に散々と嫌がらせの危害を加えられた被害者でもあり、警察やマスコミは悪に与して加害に協力していた訳で、要は、社会全体的な悪の構図が、この事件で露呈した形になったんだよねぇ。
ネット内では、一部の善意的な人たちが憐憫して、「騒音おばさん」のニュースの実態と真実を伝えていたけれど、実際の現代の社会状況を考えるなら、国家の支配者側は、インターネットや高度なテクノロジーや悪の走狗の人員を使った恐怖政治で、国民全体を抑えつけてくる訳で、それは、第二次世界大戦の時の思想統制や全体主義よりも、遥かに狡猾で巧みに計算された戦術なんだよねぇ。
そういった社会全体の悪と危機感を考慮して、ベック・ハンセンは「Modern Guilt」というアルバム・タイトルを付けたと思うんだよねぇ。
最近、私は、NHKの再放送の連続ドラマ「ひよっこ」を観ているのですが、このドラマは、1960年代の高度経済成長に於ける都心部と農村地帯に於ける社会状況と、その中での人間関係が織成す人情が肝要となるストーリーになっているんだよねぇ。
まぁ、昔は、お互いが助け合わないと生きていくのが難しい時代であった訳で、そうした経緯を経て、現代は、システムやテクノロジーが高度に発達し、人間関係の人情の大切さが失われている時代でもあり、「ひよっこ」は、人間関係に於ける人間性を国民に考えさせる事を意図した善意的なドラマでもある、という事を伝えておきたいべよ。
因みに、私の実家は、新しく建てた家と古い方の家と2つに分かれているのですが、私は、家計に負担を掛けない為に、東日本大震災の時は、脚立を使って、古い方の家の2階の屋根に上がり、何回も補修作業をしてたりするんだよねぇ。
屋根の葺き替えとなると、400万円位は掛かるし、棟を取り換えるだけでも、100万円以上は掛かるので、雨漏りを完全に直すのは難しいにしても、自ら補修する事で、ある程度は何とか出来た訳で、数万円以下程度の出費に抑えて家計を楽にしているんだよねぇ。
まぁ、憔悴しているにも係らず、相当に怖い思いをして、疲労困憊しながら、可能な範囲で、屋根を直している訳で、とは言え、まぁ、今も雨漏りはしているんだけどねぇ。
それ以外にも、私は、実家の大掃除全般、その他、片付けを行ったり、それ以外の家の手伝いを色々と行ったりして、相当に倹しい生活をしながら、まぁ、自分の出来る範囲で、家族を助ける行動をしているんだよねぇ。
そして、社会全体に於いては、最近、フード・バンクに4000円相当の食料品を寄付したり、昔は、家の近所の道路のゴミ拾いを自発的に行ったりして、私は、社会に対して慈善的な行動をしているんだよねぇ。
何が言いたいかというと、要は、自分の出来る範囲から善意の行動をしていく事が大切であり、その一人一人の意識が社会全体を善意に変えていく訳で、それは、社会全体の悪に対する抵抗に繋がっているという事だヨン。
国民は、「何も出来ない俺は、まるで高木ブーの様だよ」と嘆くのでは無く、右顧左眄せずに、実際に自分に出来る正義を決起する事、それが大事だと思うヨン。
まぁ、それは兎も角、「Modern Guilt」の音楽性は、久々にベック独特のテキトー感が戻ってきた感もあり、悪くないクオリティの作品になっているヨン。

(2026/9/10)