ブログを書く事の意義について

私は、2010年~2013年頃まで、そして、2015年~2024年まで、マスコミ、その他を使った、国の支配者側の企みによって、文章やブログを、自由に書く事が許されない立場の人間になっていた。
今、現在でも、ネットカフェでブログを更新している上に、国の支配者側に、身体等に危害を加えられている立場の人間なので、正確には、自由に書けているとは言えないのだが、国民に、文章やその他で、メッセージを伝える事が出来るようになって、その事に関して言えば、生きている意味と充実感を得られていると思う。
(正確に言うならば、私は、私生活の動画を映されていて、支配者側にインターネット上で、非公開形式で、動画等を国民に広められている形式にされているので、ブログを書く以前に、動画上で、自分が書いた文章や、自分の話す言葉で、2025年以降に於いて、表現自体は出来ているのである。)
支配者側といった言葉を、この「Future Shock」のブログで使用する事に抵抗感はあるのだが、現在、左脇腹や背中の痛み、足の痛みや痺れ、腕や手の指の痛みや痺れ、胸の痛みや動悸といった心臓の状態、頭痛や頭の痺れ、その他、の症状が相当に酷く、日毎の生活に於いて生命の危機の状態であり、文字を書く事も歩く事も、痛みや痺れによって困難になってきていて、悠長な事は言ってられない事態になっているのである。
今、この状態で、私が考えている事は、阪神タイガースの横田選手が、亡くなる最後まで、講演活動を行ったように、私も、多くの国民に対して可能な限り、メッセージを最後まで全力で伝えていきたい、という事である。
又、私淑する奥山貴宏さんは、末期癌と闘病しながら、死ぬ最後の一滴まで文章を書く事をやり続ける、と言って闘志を見せてくれた訳で、私も、それに倣って全力を尽くして、今まで文章等でメッセージを伝えてきたけれど、これからも、可能な限りメッセージを伝える努力をする事で、多くの人たちに闘志を見せたい、と思っている。
「Future Shock」というブログに関しては、以前、ブログの「ブログの新しいコンセプト」という記事に記したように、未来の社会的な警告のメッセージ、社会的な告発、その他、をレビュー等を通して、上手く伝えていこう、というコンセプトや考えがあって、それなりに、表現する事が出来たと思う。
そして、ブログでは、ユーモアに関して、独自の考え方を取り入れていきたい、と書いたけれど、要は、他人の不幸を笑うのでは無く、知性のあるユーモア等で笑う事が、良い人間関係を築く事に繋がり、平和な社会を目指す上で重要な事だ、という事を私は考えていて、それに関しても、こうして書いた事で、国民に何とか理解して貰えるのではないか、と思っている。

最近、観たテレビ番組で、V・E・フランクルが「フランクル回想録」で記していた、印象的な言葉を引用したいと思う。
-「パウル、こんなにたくさんの事がいっぺんに起こって、これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。」
「何かが僕に期待している、何かが僕から求めている、僕は何かの為に運命付けられているとしか言いようがないんだ。」-
私の場合、強制収容所の体験よりも、遥かに稀有で、大きな試練の運命を辿ってきた人間だと言えるだろうし、人類の歴史的に考えて、相当に重要な意味がある存在として、運命付けられている、と言えると思う。
今まで、多くの著名人(エレキング関連、ミュージシャン(海外ミュージシャンも含む)、砂原良徳、細野晴臣、小沢健二、太田光、中村文則、益田ミリ、横尾忠則、いしいひさいち、鷲田清一、天声人語の記者、その他、多数)が、私に関係していて、私は、国民の認知度も相当に高く、私のメッセージの影響力は、歴史的に考えて相当に大きいと言えると思う。
只、私は、元々、人の上に立って話をするようなタイプの人間では無く、しかし、そういう人間でないと伝えられないメッセージがある訳で、私が、大勢の人間にメッセージを伝えるという事は、世界の運命として大きな意味を持っている、と思うのである。
私は、2004年以降、相当に苦しい日々が多く、特に、2013年以降からは、支配者側に、家の中、又は、外部から、空気汚染や騒音、その他、等で、身体等に危害を加えられたり、身体拘束のルールによって、自由に身動きが出来なくなる、等の数々の迫害に耐え抜いて、今まで生き抜いてきたが、それは、人類にとっての大きな歴史を残してきた、と言えると思う。
そして、2004年以降、身体的にも精神的にも苦しい事が多かった中で、私の心の支えになったものが、過去の人間関係に於ける、「人間らしさ」といった想い出であり、それは、30歳以前の想い出が多いのだが、それがあってこそ、自分自身が何とか「人間らしさ」を保つ事が出来たのだと思う。
又、2004年以降、支配者側の指示にせよ、悪意の感情にせよ、私が外出している時に、私に対して、悪意の対応を見せる国民が多く存在したが、そういった中でも、「人間らしさ」を見せてくれた国民が何人か存在したし、それは、重要な事実であり、記しておきたいと思う。
勿論、出来レース等によって、国民に対して、人間らしい善意を信じられなくさせる支配者側のマインドコントロールの狙いは、今まで数多くあったのだが、それでも、人間が人間を信頼する重要性は、人間が生きる意味として、国民の間で、決して変わる事は無いと思うのである。
人類の過去の歴史を振り返ると、数々の戦争やホロコースト、魔女狩りや黒人奴隷、その他など、人間に対する非道な仕打ちが、数多くあり、それは、今も尚、人類の人間性の根本的な問題として、変わっていないのである。
支配者側に関しても、国民を支配したいという欲求が相当に強くあり、2004年以降の今まで、私に起こった事に関する経緯、全てを考えて、支配者側の本来の目的は、国民を支配する事にある、と言えるだろう。
支配者側の支配に対する欲求は、過去の人類の歴史から変わっていない、人間社会としての根本的な問題なのである。
そして、今、支配者側は、国民全体を支配する意思を、マスコミ(朝日新聞)を通して、公言している展開になっているのである。

2025年以降、私は、人間が互いに話し合う事によって理解し合う重要性、について考えてきたと思う。
勿論、社会全体であっても、小規模の人間関係であっても、力の支配の関係性によって、本当に自由な言論は、封じ込められてしまう場合が多いが、それでも、人間を信頼するならば、話し合う機会はあるだろうし、話し合う力は、相当に大きい力を持つと、私は思うのである。
現在の社会状況で言うならば、支配者側の不正等に対して、正義のメッセージを多くの国民に遍く伝える事は、私にしか出来ない社会状況になっている、と思う。
しかし、国民が互いに今の社会状況や正義について話し合う事は可能であり、国民が正義の為に一致団結する事も可能であり、その為に、私は、正義のメッセージを国民に対して伝えているのである。
そして、正義の為に大勢の国民が一致団結をするのなら、支配者側の力を上回る事が出来て、真なる平和な社会を築く事が可能になるのである。
「Future Shock」は、国民に対して抵抗感が少なく、親しみやすくて読みやすい形式で文章を書いていて、「I,Human」に関しては、正確に真摯に状況報告とメッセージを伝える形式で書いてきたのだが、文章を書き始めてからは、約1年半、ブログを書き始めてからは、約1年しか経っていない。
まだまだ、表現したい事が沢山あるにも係らず、健康状態を考えると、ここまでが自分の運命として限界かもしれなく、悔しい思いが相当にあるけれど、今まで、苛酷な日々を送りながらも、充実感を得た時間もあり、自分としては、自分の出来る範囲の中でベストを尽くした努力が出来た事を、自分自身に対して認める事が出来て、それに関しては、本当に良かったと思っている。
支配者側の危害によって、思考状態や健康状態が相当に苦しい状態で、文章を書く事は、本当に大変な苦労を伴い、強い意志と努力があってこそ出来た事だと、自分自身を誇りにしたい、と私は思っている。
ルールがあった、2015年から2024年の約10年間は、出来レースとして偽の希望を持たされた上に、何も出来ないままに殺される事を覚悟していたので、こうして、文章やブログ、その他で、国民に表現できる日が来る事は、想像が出来なかったし、多くの国民にメッセージを伝える事が出来た運命に関しては、本当に良かったと思っている。
後は、自分の意志を託したメッセージを受け取った多くの国民が、何を考えて、どういう正義の行動を起こすのか、それは、私が死んだ後でも、社会全体への希望になる事を、私は信じていたいと思う。

(2026/7/10)