北側より富神山。
この山形市門伝地区には、キリシタンが住んでいたといわれています。
右がキリシタンが拝んでいたとされるキリシタン地蔵ですが、祠の覆屋はこの土地の所有者が建てたそうですが、特に左側が、
富神山の山頂にあった祠とそっくりです。
お地蔵様は丸いお顔だったそうで、お地蔵様が祀られている側が田の水路の三分岐点だったため力自慢に投げられて、胴体は半分に割れ、頭も紛失し、現在は仮に丸い石をのせているようです。また、お地蔵様は干(かん)クロス(十字架)を左手に載せ、右手を添える形状であることがわかり、台石には「徴」という文字が刻まれており、「徴」とは干クロスを指すとのこと。布に隠されていて確認できませんでしたが。そして左隣は、どなたかのお墓……?
富神山山頂では、キリシタンの狼煙が上げられたといわれています。
そういえば先月、「長崎・天草の潜伏キリシタン関連」が世界遺産に登録されましたね。
潜伏キリシタンとは、江戸時代初期、幕府の摘発を逃れるため、表向きは仏教徒として生活し、内面はキリスト教を信仰する人たちのことで、隠れキリシタンとは区別しているようです。
天照大神や観音像をマリア様に見立てて、その地域の言葉で祈りを捧げるなど、独自のやり方で形作っていたようです。山形県内はもちろん、東北にも多いとか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キリシタン宣教師が処刑された処刑場の地に立つ皆龍寺。
戦国時代、美濃から逃げてきた武将が源流とのこと。
キリシタンと縁のあるお寺です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時間があれば、この辺りの遺跡などをもっと巡りたかったのですが、
このあと向かう最終目的地のタイムリミットが迫っていたので、予定をすっ飛ばしました(富神山に登らなければ廻れたのですが)。
すぐ近くにある菅沢古墳も断念。
その最終目的地とは――
引き続き、このシリーズ外で紹介します。
ところで今から6年前に、この富神山周辺で地元のテレビ局が偶然とらえた未確認飛行物体の映像を紹介したことがあるのですが、今一度確認すると、以前にも増して感慨深い。
富神山の近くを横切って、北の月山方面(出羽三山)へと消えてゆきました。
~~~~~~~~~~~~~~~