https://ameblo.jp/severus109/entry-12465182102.html
五月に近松門左衛門の『出世景清 素浄瑠璃』公演というのに行きまして、
そのときは「阿古屋住家の段」「観世音身替りの段」「清水寺の段(最後の場面)」が上演されました。
今回はそれとは別の段、「六波羅新牢から牢破りの段」が豊竹睦太夫・鶴澤燕三で上演されました。
これは前回の「阿古屋住家の段」と「観世音身替りの段」の間に入るお話です。
この「出世景清」に私が興味を持っているのはNHKドラマ「ちかえもん」のドラマで、
ヒロインのお初が小野の姫道行きを口ずさんだり、平野屋忠右衛門が妻を亡くしたとき、
景清が牢で嘆く場面を見てある決心をしたりと重要演目になっていたからです。
今回語られる段は忠右衛門が見ていた場面となります。
阿古屋に訴人された景清は、六波羅に新たに作られた堅固な牢に入れられます。
ただ入牢させるわけではなく、ぎゅうぎゅうに押し込め、髪をあちこちに括り付け、
重い石や材木を足の上に積み上げ、上からは丸太のようなものを担がせ、
これを人々に見せしめにさらして恥をかかせようという、凄まじさ。
けれども景清は心で観音経を唱えておとなしくしていました。
小野の姫は拷問されたけれども命は助かり、こっそり差し入れに来ます。
景清は小野の姫を労わり尾張へ帰るよう言いますが、姫はまた明日を約束して去っていく。
続いて阿古屋が二人の男の子を連れてやってきます。
景清は「よく来られたもんだな」とつれない。
阿古屋は、小野の姫からの文につい我を忘れて訴人してしまったと詫び、
せめて一言何か言ってくださいと泣く。
子どもたちも父を助けようとしたり、痛むか?と気遣ったりしていじらしい。
阿古屋はともかく子どもたちには罪はないと思うのだけれど、
「お前みたいな女から生まれたと思うと子どもも憎い」と言う景清。
かさねて阿古屋が「自らはともかく兄弟に優しい言葉を」というと、
次の景清の言葉が深いです。
なのでここはあとでまた。
ともあれ、景清の怒りは解けず、赦しも得られないと思い知った阿古屋は、
あっという間に二人の子どもに守り刀で切りつけて殺してしまい、自分も果ててしまうのでした。
景清もこの展開には驚いて
泣けど叫べど甲斐ぞなき、神や仏は無き世かの、さりとては許してくれよ
となります。
この場面を平野屋忠右衛門は見て、感銘を受けたと。
それはスランプだったちかえもんの励みになったと。
そこに阿古屋を唆した彼女の兄の十蔵がやってきます。
牢に入ってるから油断したのか十蔵は「なんてことするんだよ」と偉そう。
すると景清は噴き出して笑い、えいやと立ち上がれば牢はバラバラにぶっ壊れ、
出てきた景清は十蔵をとっ捕まえて踏みつぶし、引き裂いて殺してしまうのでした。
…ハルクかよ、景清。
で、自由になってどっちへ行こうかなと一瞬思う景清ですが、
そうするとまた小野の姫父子がひどい目に遭ってしまうと気がついて、
自分から牢に戻ってお経を唱え始めましたとさ。
で、阿古屋に言い返した景清の言葉。
わかるような、わからないような。
「お前(阿古屋)のような悪人には返事もしたくないが、今ここで述べた後悔の気持ちをどうして先に考えなかったのか。
女の嫉妬はしょうもないと思うけど、夫婦は同じ体なれば、結局自分を責める理になるんだな。
お前みたいな我慢愚痴の猿知恵を獅子身中の虫に例えて、仏様が戒めてくれてるのか。
お前の心ひとつで本望は遂げられず、恥をさらして、
そのうえ、今の言い訳聴いて妻子が不憫と景清がまた心を返していいわけないだろ。
何を言ってもお前は景清の敵、妻とも子とも思わない。さっさと帰れ、思い切ったぞ」
こんな感じ(間違ってるかも…)
このあと、これを聴いて阿古屋は子どももろとも死んでしまうので、
怒り心頭でひどく詰ったような感じになりますが、
俺に関わってるとろくなことにならないからとっとと消えろって言ってるようにも思える。
「夫婦は同じ体なれば、結局自分を責める理」っていうのが深いなあと思います。
お前がこういうことをしたのには、オレにも原因があるよね、
それを反省しろって仏様が言ってるんだなって感じに受け取ったのですが、
景清、阿古屋に対して上からっぽいけど「小野姫のことは悪かったよね」って醸してるんじゃないのかなあ?
どうでしょうか、ちかえもん。
ちょっと唸ってしまった一節でした。
景清が牢につながれている様子も、破って暴れる様子も、人では演じようがない感じ。
復活上演はまだ一度だけという『出世景清』ですが、観てみたいなあと思います。
景清、私の中ではなんかヘラクレスみたいなイメージになりつつあります。