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ほとんど観た歌舞伎の話

直木賞と本屋大賞をW受賞した恩田陸の小説が原作の映画『蜜蜂と遠雷』を観ました。
原作は読んでいません。

恩田陸が「そもそも、この小説は絶対に小説でなければできないことをやろうと決心して書き始めたもの」と書いた作品(文庫2冊)をどう映像化したのか。

芳ヶ江ピアノコンクールは世界への登竜門と言われている。
各国から若手ピアニスト(年齢制限で28歳まで)が集まってくる。
そこにエントリーした16歳の塵(鈴鹿央士)、19歳のマサル(森崎ウィン)、20歳の亜夜(松岡茉優)、28歳の明石(松阪桃李)。

生まれも育ちもここに来るまでの人生のバックグラウンドが違う彼らが出会って、
ともにコンクールに臨んで、また次へ進んでいく。
誰が勝つかも気になるけど、結局それはあまり重要ではない話なのだなと思いました。

映画なので弾く様子も見えるし、流れる音楽も聴こえる。
小説は文字だけでこれを表現しているということの方がスゴイと思う。
ピアノの練習をさせてもらえる工房で塵が弾いていると、亜夜も並んで弾きだす。
窓から外を眺めると綺麗な月が上っていて、ドビュッシーの「月の光」の連弾から、
「ペーパームーン」に替わって、また「月の光」に戻る。
月の光を浴びて嬉しくなって、一緒に弾いててさらに楽しくなってく様子がよくわかる。
これを文字だけで表現されたとして、私はとっさにあのメロディーを思い浮かべられるだろうか。

知っている曲ならまだいい。
文字だけでプロコフィエフの何番とかラフマニノフの何番とか言われても、
なんかすごいんでしょうねーしかわからない。
私には映画の方が向いているなと思う。

28歳で家庭もあって、仕事をしながらコンクールに挑んだ明石。
4人の中でひとり最終予選には残れなかった。
けれども第二予選の「春と修羅」(この映画のために作曲された)は宮沢賢治の詩からできた曲で、
この詩集を家族と読んでいた明石の解釈が、あとの3人の助けになっている。
コンクールに参加する人どうしの話というと、
お互いにどう相手を蹴落とすか、みたいな話もあるけれど、
この『蜜蜂と遠雷』の4人にはそれが一切なく、
ささやかにちょっと助け船を出し合うと、それがささやか以上の効果をだすのが清々しい。

ポーンと飛び出していく人はひとりでも、
そのひとりに関わった人たちから受けた何かが燃料になっている。
映画の中で彼らは成長していくのだけど、
審査員や指揮者などの大人から、そして参加者お互いから、受けた刺激で育っていく。
いい出会いができるって幸せなことだし、それを生かすのも才能なのだろう。

塵は正規のピアノ教育を受けていないが、ある大家に認められ推薦状を持ってやってきた。
審査員たちは「彼をギフトとするのも厄災とするのもあなたたち次第」という文章を読むことになる。
個人が自分の能力を生かす才能と、個人の能力を開花させる周囲の才能。
これが揃えば、この映画のように清々しい世界になるのかもしれない。

この芳ヶ江は浜松がモデルのようだ。
コンサート会場のクロークの受付の女性(片桐はいり)は一言もセリフはないのだが、
受付に座りながらしょちゅうイヤホンで会場内の音楽を聴いている。
彼女もピアノが大好きなのだろう。
ここに憧れた元ピアノ少女なのかもしれない。

亜夜が子ども時代に母親と並んでピアノの鍵盤から音を紡ぐ場面が素敵だ。
音楽や楽器との出逢いはこんな風だったら幸福だろうなと思う。

4人のピアニストが4人の登場人物のコンクール場面を弾いているそうだ。
音楽好きな人にはそれも楽しいだろうと思う。

…と書いていて、やはり実際の音なしで、この話を進めきってしまう小説はすごいなと思う。
積読が片付いたら読んでみたい。