小栗判官藤原正清と照手姫が出会って、別れて、再会してハッピーエンドの物語『新版オグリ』。
主役のオグリを中村隼人が演じるバージョンを観てきました。
照手姫が若くてスラリと背の高い坂東新悟なので、相手も背が高くてスラリとしたはーちゃん(隼人)のほうが絵面がいいかなと思って。
なにより話を展開させていく遊行上人も猿之助/隼人のWキャストなのですが、
20年も修行をしてきたという坊さんなのだから、猿之助がいいでしょう。
さて、京の高位の公家の息子で毘沙門天の化身と呼ばれるオグリ。
いろいろあって母の領地の常陸に来て、小栗判官となりました。
眉目秀麗、文武両道、常陸の国の花赤いバラを愛してバラ園を作っている男です。
彼には六人のオグリ党と呼ばれる仲間がいるのですが、
その中のひとりが恋慕した照手姫の婚礼行列を妨害し、姫を連れてきてしまいます。
照手も実家横山家の政略結婚がイヤだったので、逆らわずについてきたのです。
照手を望んだ五郎(猿弥)は照手にごめんなさいされちゃいますが、
オグリと照手は意気投合して夫婦になろうと誓うのでした。
オグリは「人生は生きている間に楽しみ、花咲く歓びを得るためにある」と考えます。
何かに縛られたり、不当に扱われたりするのは許されない。
オグリ党の面々はもともとの場所が居心地悪く、あるがままの自分を受け入れてくれるオグリの側にやってきた人たちでした。
照手も実家では駕籠の鳥のようだったと思い、これからは自分の気持ちにまっすぐ正直に一生懸命生きようと思うのでした。
そんな若さの光に包まれた二人でしたが、横山家一党によってオグリ党は殺され、照手は相模川に流されます。
二人とも死んでしまうのか?
二人はそれぞれにそれまでの人生とは全く別の体験をすることになります。
照手は身元を隠したために、売り買いされて美濃の青墓の遊女屋の女中になります。
オグリは死んで閻魔大王(浅野和之)に会いますが、
閻魔大王との問答でキレてしまい、オグリ党の面々(彼らはとても強い)とともに地獄を壊してしまいます。
この話の閻魔大王はなかなかの思索家というか哲学者というかで、地獄の在り方について改革が必要だと思っていました。
これを機に地獄改革をすることにして、オグリは姿を変えて蘇らせることにします。
オグリの墓に立ち寄った遊行上人(猿之助)は、そこでオグリの蘇りに立ち合います。
足が萎え、顔も半分崩れて襤褸をまとったオグリは餓鬼病(ガキヤミ)と呼ばれます。
上人はガキヤミが乗った車を引けば功徳があるという札を立て、人々に曳いてもらうことにしました。
行くあてもわからないガキヤミはただただ人に曳かれて行きます。
そうこうするうち小萩と名をかえ働く青墓にやってきました。
噂を聞いて小萩/照手は死んだ夫のオグリや仲間の供養に車を曳きたいと主に願い出ます。
三年間無給で働いたので三日間の休みをもらえました。
お互いに誰だかわからないまま、照手が曳いてオグリは曳かれて。
けれども照手が自分の身の上を語るので、オグリは妻かと気が付きます。
それでも名乗れず、三日が過ぎまた別れていきます。
その後も親切な人に出会ったり、酷い仕打ちを受けたりしながら熊野を目指しますが、
途中で物取りに車を曳いてくれた親切なおじいさんが殺されてしまいました。
この熊野への道行で、オグリは生前の自分を深く反省します。
オグリの美点、眉目秀麗文武両道判官の地位すべて自ら獲得したものではないと気が付いたのです。
無力になって初めて自分は傲慢だったのではないかと悟ったのでした。
こんな自分の妻になったために苦労している照手は、それでも自分の言葉を大事に、いつか自分に会ったら褒めてもらおうと健気に生きている。
足の萎えたオグリを青墓から熊野まで運んでくれた人々の祈り・善意を想うと、
オグリに力が湧いてきました。
熊野の湯の峰の滝つぼにとうとう飛び込むと、薬師如来が助けてくれるのでした。
遊行上人も駆けつけて、元の姿に戻ったオグリと再会し、急ぎ都に戻ります。
そうそうオグリの実家は都だし、そこで帝にこのことをご報告できるような身分だったのです。
みごとオグリは閻魔大王のクェストに応え、美濃の国守となって照手を迎えにやってきました。
死んだと思っていたオグリと再会した照手の「え、え、え?」という表情。
それをじっと見守るオグリ。
いきなり「私だよ、オグリだよ」ぎゅーっとハグ、にならないところにオグリの成長を感じてうるうるするのでした。
当初からオグリたちは「人生は歓喜であるべき」と主張していましたが、
閻魔大王は「苦しみや悩みもない歓喜とはなんぞや?」と問いかけていました。
ただ自由に好き勝手をして、その結果、ほかの人の人生に悲嘆を与えることは考えないのか?と。
オグリはガキヤミになって人の親切と祈りに触れて、自分だけの「歓喜」ではなく、
ともに分かち合える「歓喜」を考えるように成長したのでした。
「苦悩を突き抜けて歓喜へ至る」まさにその道程が青墓から熊野だった。
新悟の照手の明るく健気でへこたれない一途さが、それはもう気持ちよく、
彼女はまさしくこの芝居を照らす存在でした。
会ってすぐの照手とオグリがバラの花園で踊る場面は、ゼフィレッリのロミジュリの舞踏会を思い出すような初々しさでした。
衣裳とっかえひっかえでとにかくカッコいい一幕目のオグリ、
閻魔大王との問答で突っかかっていく若さ暴発的なオグリ、
(「ロマンの病か!」って閻魔大王に言われちゃいます^^;)
そしてガキヤミになってそれまでと違うものの感じ方・考え方に至ったオグリ。
オグリの成長・変化の過程を見守った遊行上人と閻魔大王。
ジーンとするセリフ・場面の多い芝居でした。
舞台に鏡やスクリーンを使って自然映像を流しているのが、
不思議な感じや壮大な感覚になれてよろしいなあと思いました。
最後はみんなで「歓喜の舞」でフィナーレ。
スーパーリストバンドという青っぽく光る腕輪(電池交換で再使用可)をつけて、
ぴかぴかさせながら客席も一緒に手をたたいたり振り上げたり。
簡単な振りと言っても、なかなかすぐできるものではないのですが、
舞台のはじっこでハロウィーンの魔女みたいな恰好の浦の婆さん役の寿猿さんが、
かわいらしくゆっくりやってらしたので、そちらに合わせてやってみました。
派手な立ち回りやキラキラした演出なども楽しいですが、
物語の骨格がしっかりしているところが一番だなと思う作品でした。
梅原猛さん、もっと書いてほしかったです。