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ほとんど観た歌舞伎の話

昼の部は『研辰の討たれ』『関三奴』『髪結新三』で、
夜の部に比べると見た目は少し地味、でも味わい深い三演目でした。

『研辰の討たれ』は勘三郎の野田版をシネマ歌舞伎で観たことがあるけど、
大正14年初演というこのお芝居を観るのは初めて。
研ぎ屋から侍に取り立てられたものの、朋輩の中で浮きまくりの辰次(幸四郎)。
町人上がりだからというよりも、殿と奥方には気に入られようと媚びへつらい、
朋輩たちへはとても態度が悪いので嫌われているというのが実情。
平和な世の中なので武士たちも茶の湯や囲碁など嗜んでいるわけだけど、
それを辰次は小ばかにする。
その辰次をたしなめた家老の平井(友右衛門)にも小憎らしく逆らうので、
平井もとうとう辰次を叱りつけたら、これを逆恨みして闇討ちにしてしまう。

辰次はその場を逃げ出すが、平井の二人の息子・九市郎(彦三郎)と才次郎(坂東亀蔵)が父の敵討ちの旅に出る。
野田版では逃げる辰次が勘三郎で、追う兄弟が染五郎(現・幸四郎)と勘太郎(現・勘九郎)だったので、辰次が一枚上手、逃げおおせるかも!?って感じでしたが、
今回の平井兄弟は強そうで、逃げられるのかなあ?な感じ。

近江の粟津から逃げ出して、山深い倶利伽羅峠方面へ行ったかと思うと、
三年後には四国の善通寺でついに兄弟が辰次を追い詰める。
追いかけっこの間は辰次の自由奔放なその場しのぎで笑えるのですが、
最後は一転してなんともいえない結末となりました。
喜劇かこれは?と思ってたら悲劇でした。
平井兄弟のほうを主役だと思って観ると、辰次があの調子で逃げまくってたらどうなるんだ彼らの人生?です。
善通寺裏の人たちのように、散々命乞いをする辰次を見れば「もう許してやれば?」と言いたくなるけど、
(そこで「やっちゃえ」っていうのも嫌なものだし)
兄弟のことを考えるとそれも無責任なんだよね。
そして兄弟だって人殺しをしたいわけではないのです。
終盤まで過剰に笑いを取りに行ってないか?と思いつつ見てましたが、
幕切れの三人の姿に受けた衝撃とのコントラストなのだと納得しました。

衝撃の研辰の幕切れから気分を換えて『関三奴』。
背景が江戸城の向こうに富士山の日本橋。
奴の駒平(芝翫)と松平(松緑)が毛槍を持って旅立ち前に一踊りといった感じ。
もはや奴さんというには貫禄十分で美々しい二人です。
大名行列・花魁道中・奴道中・酔っ払いと踊りながら、毛槍を振って旅立っていくのでした。
花魁道中で花魁のように片肘パッと張るところを見ると、
この二人ならさぞや立派な花魁になるだろうなと思いました。
立ち姿だけなら観てみたい気がする、この二人の花魁。
一番らしいのは酔っ払い。

江戸の古地図で北が上でなく、西が上になっているのは、
この背景のように江戸城の上に富士山を描くのが絵になるから説があるそうです。
絵になるからっていうか、わかりやすかったでしょうね。
短い踊りを挟んで、再び小悪党の話『髪結新三』。

『髪結新三』といえば音羽屋だろうと思っていますが、菊五郎で観るのは二度め。
前回は勝奴が菊之助でしたが、今回は権十郎。
菊五郎が新三なら権十郎の勝奴のほうがしっくりくる気がする。

家主は左團次、弥太五郎源七が團蔵、善八が秀調、家主の強欲なおかみさんが萬次郎と、
全体のバランスがとてもいい二幕目の新三の家と家主の家。
こういう家主のような爺さんとか、新三たちのようなあんちゃんとか、
いるのかなあ、いたんじゃないかなあと自然に思えてしまう。
現代の感覚だとやばさ満載の話なのですが、「そうね~」って思っちゃう。
なんなのでしょう、この感覚。

魚売り(橘太郎)の鰹捌きは声もいいし、捌く流れも鮮やかで、
客席から「ほ~」と歓声があがるほどでした。
もしかしたら魚市場とか行けば今もこういう手際のいい仕事をしてるのかもだけど、
目の前で観る機会はなかなかないですもんね。
家主のおかみさんが羽織をぱっと畳んでくるくるっと巻いて仕舞うのも鮮やか。
普段着ってたぶんこれでよかったんだよね。
勝奴と新三が棚に植木鉢並べて、じょうろで水やるところとか、
ちょっとした仕草に「そういえば、子どものころこんな風景があったなあ」(江戸時代じゃないけど)と思い出す。
江戸から昭和はまだ地つながりなところがあったかも。

筋書きで菊五郎が「若い人に教えているうちにやりたくなった」と言ってますが、
ぜひぜひまたやってほしいものです。