玉三郎が十二月の歌舞伎座に出るようになってから、
一年の観劇納めは玉様を観よう、になっています。
歌舞伎座の千穐楽は26日ですが、今年はAプロ、Bプロがあって、
Bプロ(玉三郎の「保名」梅枝・児太郎の「阿古屋」バージョン)の最後の日を観ました。
Bプロの阿古屋は児太郎の日です。
なので成駒屋贔屓のお友だちとも会えて、嬉しいクリスマス。
(しかし、歌舞伎なのにAプロ・Bプロって呼び方はわかりやすいけど、なんかもう少しないか?と思う。
そう思うけど、これはどう?ってのが思いつかない。むー)
まず大仏次郎作の「たぬき」。
ころりと流行り病で死んでしまったと思われた大店・柏屋の金兵衛(中車)。
気絶していただけで、弔問客が去った後の焼き場で棺桶から転がり出てくる。
この状況をまずは妻(門之助)の家を捨てて、愛人(児太郎)との暮らしに使おうと思うけど、
愛人ももとより金兵衛の金目当てな女で、別に間夫(坂東亀蔵)がいたとわかる。
すっかりこれまでの人生にがっかりした金兵衛は横浜へ行って別人として生きようと決心。
成功して、馴染みの茶屋に朋輩と遊びにきて、金兵衛を知ってた太鼓持ちの蝶作(彦三郎)らに会う。
金兵衛にそっくりだけど人柄が違う男を見て蝶作らは驚き、訝しむ。
さらに金兵衛は自宅の近くの寺まで蝶作と出かけていくが、
愛人・お染でさえ金兵衛によく似た別人だという。
うまく化けられたかなと思っているところに、別れたときはまだ赤ん坊だった息子・梅吉が女中と通りかかる。
梅吉は父親が死んだとは聞かされておらず、遠くにいると思っている。
その子が一目で「ちゃっちゃんだ!」と金兵衛に向かって叫ぶのだ。
「ちゃっちゃん、ちゃっちゃん」と泣きながら、女中に連れていかれる梅吉に顔をそむけながら、金兵衛の心が大きく動く。
そして「帰ろうか」というと茶屋ではなく、店の方角へ足を踏み出すのだった。
金兵衛と多吉が「女房が辛気臭くて帰りたくなくなる」話で盛り上がるとか、
蝶作とお染(兄妹)が金兵衛を旦那と立てつつ、金蔓としか思ってないところとか、
芝居茶屋に現れた横浜の商人一行の中の金兵衛そっくりに驚く茶屋の人たちとか、
笑えるところが多くて(苦笑いも含めて)最後にホロリとできる気持ちのいい芝居でした。
前回これを見たのが5年前の納涼で、金兵衛は三津五郎、梅吉が七緒八(現・勘太郎)で、
蝶作が勘太郎(現・勘九郎)、お染に七之助でした。
いない勘三郎の存在感がものすごくて、お芝居そのものとして楽しむ気持ちと別に、
「ああ、ただ遠くへ行ってるだけならよいのに」と思っても仕方がないことを思いもしたのでした。
今回は中車はこういうのうまいなあ、
彦三郎の太鼓持ちは柔らかみは少ないけど、こういうスカッとした太鼓持ちも気分いいものだなとか、
これから柏屋でどんな成り行きになるんだろうとか、そんな余裕を持てました。
時間薬ってこういうものなのでしょう。
金兵衛の前からはやく引っ込みたい芸者(笑也)が
「大和屋さんの白雪姫があるので」と去っていくところ、
前回は「大和屋さんの所作事」だったなあと懐かしく思い出しました。
次が大和屋さんの所作事、玉三郎の「保名」。
Bプロを選んでしまうとこの20分余りしか玉三郎を拝めないのですが、
玉三郎の「保名」は初めて観るので楽しみにしていました。
玉三郎が男性の役をするのって義経とか若いころのお染の七役の中の久松とか、
あと昨年の阿古屋の岩永(化粧で誰だかわからない状態だった)くらいしか観てないと思うのです。
(鬼とか変化は除いて)
美しい成人男性で、顔も隠していない。
ポスターで月代が青々している姿を見るだけでも新鮮。
そんな玉三郎の「保名」。
恋人・榊の前が自分のために死ぬ羽目になり、気が狂って彼女の打掛を抱いて彷徨う安倍保名。
菜の花がボーっと霞んでいる春の野を、蝶々を追いかけるように紫の病鉢巻きの保名がゆらゆら歩いていく。
彼女を想い、運命を嘆き、ぱったり倒れ伏す。
ただそれだけの踊りなのですが、寂しさ、悔しさ、悲しさを堪えに堪えて流離う美しい大人の男がそこにいました。
あらゆる女の美しさで魅せてきた玉三郎は、男になっても美しく、男らしい凛々しさだった!
立ち役の人たちの「保名」の方が憂いや恋慕が濃いような気がします。
男として踊ると、玉三郎の手も男の手に見えるので、
いつもの女方としての手の見せ方はやはり至芸なのだなとも思いました。
この安倍保名が狐の葛の葉との間にもうけた子がのちの安倍晴明という「葛葉の伝説」ですが、
玉三郎が父で、羽生結弦が息子はアリだなと思ったりしました(笑)
(羽生選手が全日本のエキシビでSEIMEIを滑ったのを観たばかりだったので)
そして「壇浦兜軍記 阿古屋」。
今年は景清モノに縁があったなあと思います。
平家の残党の景清の行方を追う鎌倉方に、景清の愛人・五条坂の遊君・阿古屋が詮議される。
呼び出す六波羅の畠山重忠に彦三郎、「たぬき」の太鼓持ちからガラリと変わっての登場。
ともに詮議に加わる岩永左衛門はBプロは九團次(Aプロは松緑)。
薪車から九團次になってからは海老蔵の一座でしか観る機会がなかった九團次。
彼を観るのもBプロの楽しみのひとつでした。
阿古屋は児太郎。
琴・三味線・胡弓を弾かせて、その演奏から阿古屋の言葉の真贋を聴き分けようという重忠の詮議。
児太郎の阿古屋は神妙で、寂しそうで、でもウソごまかしはないのですというきりっとしたところのある阿古屋でした。
昨年は梅枝の阿古屋を観たのですが、梅枝のほうが情熱が迸ってる感じかなあ?
児太郎の方はうちに秘めてる感じです。
玉三郎と比べるのはやめましょう。
で、Bプロ観て思うのは、この場で一番偉いのは重忠なんだなと。
阿古屋がどう弾くかと、重忠がどう聴くかで成り立つ話だなと。
玉三郎が阿古屋だとあまり重忠に気が行かないのですよね。
スッキリして賢そうで強そうな彦三郎の重忠と、
もっさりして頑固そうで、ちょっと抜けた感じの九團次の岩永の対象がとてもよかった。
ピンとした空気を時々緩めるのが岩永だと思うのですが、
九團次の岩永にはそのホッとした感じがあって好ましかったです。