90年代後半から00年代にかけて、JR西日本では新車投入ペースが遅くなったこともあり、既存の国鉄型車両に対して新車並みの改造を施すことになりました。それが「体質改善40N工事」であり、ターゲットとなった車両は見違えるほどの変貌を遂げています。対象は113系や115系の他、大阪都市圏の201系 や、当時首都圏では淘汰の対象となっていた103系にも実施されることになりました。そんなわけで・・。今、上にあげた画像がその103系と201系なのですが、どちらがどちらでしょう(^^;;
というわけで、体質改善が施された103系です。前面のデザインはほとんど変わっていないものの、ライトや運番、方向幕が支持を挟まないものとなり、前面窓も柱がありません。そして、側面に関してはもはや何系ですかと(^^;; ちなみに、画像のように1編成全車両に対して施工されているのは珍しく、非更新車と編成を組んでいる場合がほとんどで、編成美が崩れた凸凹した印象です。
大阪環状線では、大阪の魅力を発信するべく8人のアーティストが1両ごとに大阪の魅力を描いた「OSAKA POWER LOOP」という編成がいました。
大阪環状線で活躍する最後の103系の内の1本として力強く走り続けていました。私も2年間という短い間でしたが、この編成には時々通勤の足としてお世話になりました。
側面もこの通り、かなり賑やかですね。
そしてこちらは阪和線系統の103系。大阪環状線に残った編成は全て高運転台車両でしたが、こちらには低運転台車両も存在しました。
車内です。これが103系とは、にわかに信じがたいものがあります。
ドアです。こちらは従来のままですね。唯一車内に名残を感じられる部分となっています。
車端部です。化粧板がJR西日本お得意のベージュ色のものに貼り替えられているのはお馴染みですが、201系とは違い妻窓は埋められています。
優先座席を有する車端部です。仕切り扉も窓が細長いものに交換されました。従来のものとは違い、軽い力でサクッと開きます。
晩年は優先座席のモケットが緑系のものに交換されておりました。
最前面です。高運転台車のため前面展望はもともと厳しいものがあります。ですが仕切り窓は3枚で残されています。中央の窓が埋められるケースが多い中、3枚で残っているのは貴重ですね。そもそも、103系の存在自体が全国的に貴重になりつつありますが・・。
で、阪和線の低運転台車両の最前面。この車両に限った話ではありませんが、こちらの方がよく見かけるような気がします。
天井です。この103系の中で一番変わった部分といえばここでしょうか。蛍光灯には新たにカバーがかけられました。体質改善初期の編成は、このようにラインデリアに改造されています。103系でラインデリアとは・・。
しかし、ラインデリア化が面倒になったか費用をケチったか、途中から構造をそのままとした簡易的な工事に改められています。ただ、扇風機もそのままではなく、薄型のもので天井に埋め込まれた形状になっています。
窓です。元々田の字窓でしたが、下段は一枚固定窓、上段は二枚上昇窓に改められました。日除けも爪を引っ掛ける一枚のロールカーテンになっています。
座席です。ドア間は4+3で分けられた7人掛けです。ですが言わずもがな、6人で座られていることが多いです。袖仕切りは肘掛を兼ねたもので、外側には化粧板、内側にはモケットが貼られています。これが、関西クオリティ。
ドア間の優先座席です。相変わらずこの全面優先座席モケットは強いインパクトを放っています。
車端部は3人掛けです。モケットこそ青いものに交換されていますが、座り心地までは改善されておらず、全体的に薄っぺらで底付き感がします。昭和の国鉄通勤電車そのまんまです。
そして車端部の優先座席。窓は埋められていますが機器スペースとして残された肘周りの余裕が嬉しい限り。
そして晩年の優先座席。緑をベースにピクトグラムを散りばめたものとなりました。
ですが、30N車同様狐の尻尾、袖仕切り部分のモケットは従来のままで残っています。
長きに渡り通勤電車の顔として活躍してきた関西の103系。なぜか体質改善車の方が先に引退してしまいましたが…とにもかくにも、お疲れ様でした。
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